2021年10月7日木曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (194) 「まさかの『北海タイムス』」

ということで、とことんガチだった「中頓別鍾乳洞」の「第一洞窟」を見学していましたが……
無事、洞窟の外に脱出しました。娑婆の光が眩しいぜ……!
ところで、この木橋は「鍾乳洞ルート」のものだったと思いますが、右側にも別のルートがあったんですね。案内図には出てこないような気がするので、これはもしや「鍾乳洞ルート」の旧道……?

左側にも遊歩道が見えますが、これは「湿地ルート」だったと思います。

第 3 洞と第 4 洞

今になって思えば「湿地ルート」も悪くなかったのかもしれませんが、「軍艦岩ルート」を制覇すべく、例の「あずまや」まで鍾乳洞ルートを戻ってきました。
こちら、「遊歩道案内スケッチ」と題されたルートガイドですが、よく見ると「第 3 洞」と「第 4 洞」についても記載があります。「第 4 洞」のところには「崩落の危険性があるため現在、洞内の見学はできません」とあり、また「第 3 洞」のところにも「せまく、崩落の危険があるため立ち入り禁止です」と記されています。第 3 洞の説明は上から貼り付けてあったので、以前は見学可能だったんでしょうか……?

軍艦岩ルート

さてさて。第 1 洞へは「ドリーネルート」「軍艦岩ルート」そして「湿地ルート」の 3 ルートが選択できるのですが、往路は「ドリーネルート」だったので、復路は「軍艦岩ルート」に挑戦して見ることにしました。
「ぬく森館」に戻るルートなので下り坂かと思いきや、いきなり上り坂のようです。前方に何やら岩と石碑らしきものが見えるのですが、あれが「軍艦岩」なんでしょうか……?(たぶん違う
不自然な形をした巨岩(よく見ると下側は木で支えられています)の上に石碑が立っていますが……
はい!?
石碑には「昭和 31 年 11 月 3 日 北海タイムス社建之」と刻まれていました。「北海タイムス社」と言えば日刊紙「北海タイムス」を出していた新聞社でしたが、1998 年に倒産しています。まさかこんなところで「北海タイムス」の文字を見ることになろうとは……。

「北海道文化財百選」

もっとも、いきなり「北海タイムス」が出てきたのは「軍艦岩ルート」を帰り道に通ってしまったからで、ちゃんと往路で通っていれば石碑を裏側から見る羽目にはならなかった筈です。本来はこのように「中頓別鍾乳洞」と刻まれた石碑が正面に見える筈……でした。
なるほど、「北海道文化財百選」なんですね。確かにそれだけの価値は十分にあると思いますが、今になって思えば「北海タイムス」が建てた石碑というのも歴史的価値がありそうな……。

「中頓別鍾乳洞」の石碑の後ろに、例の「あずまや」(「ドリーネルート」と「車椅子ルート」の合流点で、「鍾乳洞ルート」の起点)が見えます。ここまで「あずまや」から坂を登ってきたつもりだったのですが、このアングルだと下り坂には見えないですね……。

足元注意!

「軍艦岩ルート」で「ぬく森館」に戻ろうとしているところですが、尾根の先に「ぬく森館」が見えてきました。
いつの間にか、遊歩道の土が剥げてしまったか、岩の表面が露出してしまっています。これも「貝殻石灰岩」なんでしょうか。
岩の表面には一部苔が生しているところもあります。雨が降った後は足が滑りそうですが、土が残っている部分も泥濘と化しているので下手に足を踏み入れるわけにもいきません。雪道を歩くのと同じような要領で、しっかりと岩を踏みしめて歩くのが正解かもしれません。

「軍艦岩ルート」は階段がガチだった

下の方には池が見えてきました。これからあの近くまで降りることになるのでしょうか……。結構な高低差がありそうに思えますが……
はい!?(本日二度目
これはまたガチな階段ですね……。これまで坂道に枕木を並べたような階段を歩いてきましたが、これは鉄板を溶接してつくられた本格的な階段のように見えます。

これと比べれば「ドリーネルート」は楽なコースだったなぁ……となるのですが、そう言えば「ドリーネルート」は「体力に自信の無い方でも」と書かれていましたよね。なるほど、そういうことだったのか……。

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