ここも、右側の築堤が路盤跡だった筈です。路盤の上にバラスト(敷石)を敷いて、あとは枕木を並べてレールを敷設するだけ……というところまで来ていた場所もあったのですが、枕木は並べられずに(あるいは撤去されたか)そのまま放置された結果、路盤のど真ん中から白樺が生えている場所もあったと記憶しています。
「理会橋」と「天導橋」
道道 120 号は美幸線跡から離れて左にカーブします。カーブの先(右側)には「ペンケナイ公園」があり、そのすぐ先で「ペンケナイ川」を渡っているのですが……橋が「理会橋」という名前でした。「理解」ではなく「理会」なのは何故なのだろう……と言うより、そもそも「理会橋」って何? という印象が強いのですが……。
道道 120 号は「理会橋」のすぐ先で「桜井ノ沢川」を渡るのですが……
今度は「天導橋」という名前でした。こういったネーミングには何かしら隠されたものがあって、分かる人にはわかるようになっているんじゃないか……と不安になるのですが、これは果たして……?
「何か曰くがありそう」あるいは「何か意味が隠されてそう」と思ったときに限って、案外適当に命名されているケースもありそうなのが「橋の名前」の怖いところです。由来などご存じの方が見えましたら、こっそり教えていただけると嬉しいです。
謎の分岐路
前方に謎めいた青看板が見えてきました。あれっ、こんな道があったかな……と思って地図を確かめてみたのですが、普通に「歌登南町」のあたりに抜ける道路でした。中頓別方面への短絡路としても使えそうですが、行き先が塗りつぶされているのは、通過する車の数を増やしたくないということなんでしょうか。この道路、割と線形が良いので気になったのですが、どうやら「歌登町営軌道」の路盤跡を流用したもののようです。
「ペンケ中央橋」と「辺毛内橋」
道道 120 号は、再び「ペンケナイ川」を渡ります。これまで「これは「三度目の正直」なのか、めちゃくちゃストレートな名前で出てきました。
道道 12 号「枝幸音威子府線」と接続する交叉点まで約 800 m の地点にやってきました。道道 120 号はここでまたしても「ペンケナイ川」を渡るのですが、今回は「辺毛内橋」でした。「ペンケ中央橋」よりもど真ん中の豪速球が出たようです。
歌登の中心と言えば?
橋の手前に「スピードダウン」と出ていましたが、ペンケナイ川を渡ると歌登の市街地です。歌登の市街地は「ペンケナイ川」の北西、「北見幌別川」の南北そして「オムロシュベツ川」の南(北見幌別川の北)に広がっています。どの川もそこそこの規模のもので、治水に労力が割かれそうな場所になぜ町が広がったのかとも思ったのですが、北見幌別川筋とペンケナイ川筋の結節点に町ができたのは、諸々の立地を考えると当然の結果だったかもしれません。
道道 120 号と道道 12 号が接続する交叉点にやってきました。理屈の上ではここが歌登の中心と言える……かと思ったのですが、かつての「歌登町営軌道」は北見幌別川の南側を通っていました(かつての「北見幌別川」はひどく蛇行していたので、川の北側に出るのは容易ではなかった、ということかもしれません)。
現在の道道 12 号と「歌登町営軌道」の駅の間を結んでいたのが現在の道道 120 号で、現在の「稚内しんきん」歌登支店は交叉点と駅の間の中間に位置していたことになります。「稚内しんきん」、改めて見てみると絶妙な立地だったんですねぇ……。
名寄も稚内も!
道道 120 号は、ここからしばらく道道 12 号との重複区間となります。雄武町上幌内でも見かけた、お隣の自治体と仲が良さそうに見える青看板がここにも設置されていました。今回は更にレベルアップしていて、(直接接していない)「名寄」や「稚内」のカントリーサインも見えます。
ENEOS と出光とホクレンと
交叉点を左折して、道道 12 号を音威子府方面に向かいます。道道 120 号との重複区間の筈ですが、影も形もありませんね。先程の三叉路には ENEOS があり、ここには出光があります。複数のガソリンスタンドが近所に存在することで共倒れにならないのか心配になりますが、ブランドが異なり道路の左右も異なるので共存共栄できる……ということなんでしょうか。
道道 12 号(道道 120 号との重複区間)で「オムロシュベツ川」を渡ると、右手にガソリンスタンドと思しき建物が見えてきました。
これは確かホクレンのガソリンスタンドだったと思うのですが、さすがに「ENEOS」「出光」「ホクレン」の三つ巴は無理があったのか、閉店してしまったようです。確か「この先の出光を使ってくれ」と言っていたような記憶があるのですが……。
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