2021年9月15日水曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (180) 「幌内ダム」

引き続き、道道 60 号「下川雄武線」で雄武町幌内に向かいます。中幌内のあたりは広くは無いものの平地が続いていて、走りやすい直線が多い印象です。
「中幌内」と「北幌内」の間は、川と道路を通すだけで精一杯なくらいの狭い谷となりますが……
北幌内に抜けるとご覧の通り。左右に迫っていた山は見えなくなりました。

幌内ダム

ようやく平野部に抜けた……と思いたくなりますが、実はここのすぐ右側にはダム湖があるのです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ダムと言えば、たとえば「岩尾内ダム」や「サンルダム」のように、山の中に建設されるイメージがあります。もちろん「二風谷ダム」のように中流域にダムを築く場合もありますが、幌内ダムのように、海から僅か 4 km ほどの場所に(頭首工レベルのものではなく)本格的なダムが存在するというのは、かなり珍しいような気がするのですが……。

この「幌内ダム」は戦前に建設され、戦中に決壊した……という話を聞いた記憶があるのですが、Wikipedia にも「1941 年(昭和 16 年)にダムが決壊しその後放棄」とあるので間違い無さそうですね。

どうやら元々は「発電用ダム」として建設されたものだったらしく、1953 年(昭和 28 年)に再建されたダムも発電用のものだったみたいです。ただ、発電所は 1978 年(昭和 48 年)に廃止され、今は「砂防ダム」という扱いになっているとのこと。

「幌内ダム」の南北には台地が広がっていて、川だけが 7~80 m 下を流れるという、これ以上無い立地と言える場所に堰堤があるのですが、実は堤高は 21 m しか無いとのこと。地形を考えると倍の高さにもできた筈ですが、これでも崩壊した旧ダムよりも 8 m 高かったとのこと。

貯水量が増加したことで、発電能力も大幅に増加したようですが、より巨大な発電能力を持つ発電所が次々と建設されたこともあり、幌内ダムでの発電は割高なものになってしまいます。その結果、1978 年に発電所が廃止されてしまった、ということのようです。

実は台地の上だったり

道道 60 号は幌内ダムのすぐ北側を通っている筈なのですが、ダム湖はまったく見えなかったような気がします。このあたりも平野の中を走っている……ように見えるかもしれませんが、ここは標高 50 m ほどの台地の上です。
下り坂の先に、ようやくオホーツク海が見えてきました。
坂を下ると、いきなり「津波浸水予想地域」です。海も近いですし、標高も 7 m 程度なので、これは仕方がないですね。

道道 60 号・終点

国道 238 号の「幌内橋」が見えてきました。
そして道道 60 号「下川雄武線」の終点となる T 字路が近づいてきました。
左折して、国道 238 号で枝幸に向かいます。

稚内まで 162 km

国道 238 号に入りました。左手に土手が見えますが、あれは建設途中で放棄された「興浜線」の路盤かもしれません。
「枝幸」は隣町なので、青看板の序列は一番下になりました。浜頓別まで 70 km、そして稚内までは 162 km と出ています。あと 3 時間あれば稚内にたどり着ける計算になりますが、これを「近い」と見るか「遠い」と見るかは……?(個人的には「ちょい遠い」という印象)
国鉄興浜南線の終点だった「雄武おむ」と、国鉄興浜北線の終点だった「枝幸」の間が鉄道で結ばれることはありませんでしたが、今でも路線バスは走っているようです(随分と古い話になりますが、蛭子さんのバス旅でも乗車していた筈)。バス停の横には随分と立派な待合所が設置されていました。
枝枝幸えだえさしのあたりを過ぎると、国道はオホーツク海のすぐ傍を通るようになります。国道 238 号はずーっとオホーツク海沿いを通っている筈なのですが、海が見えない区間も意外とあるのです。

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