(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
メママカシンナイ川
(? = 典拠あり、類型未確認)
声問川(旧・幕別川)の東支流で、稚内市恵北と樺岡の間(マクンベツ川よりも南側)を流れています。地理院地図には河川として描かれていますが、残念ながら川名の記載はありません。地理院地図では、「メママカシンナイ川」の源流部の鞍部に風力発電の風車があるようにも見えますね。
明治時代の地形図には「ソーポックシュナイ」と描かれていて、その支流として「ニカプカラシナイ」と「アフカル
この「メママカシンナイ川」をどう考えたものか……という話ですが、素直に読み解けば mem-mak-us-nay で「泉池・後ろ・そこにある・川」と言ったあたりの解が想像できそうです。このあたりは声問川(幕別川)の湿地が広がっていた筈なので mem が存在したかどうかは怪しいですが、東側(上流側)の丘陵部であれば湧き水があっても不思議ではない……かもしれません。
ただ、改めて永田地名解を眺めてみると、次のような川が記録されていることに気づきました。
Menomai kara nai メノマイ カラ ナイ バツコ柳ヲ伐ル澤 「シユシユ」ハ川柳ナリ「メノマイ」という語は初耳のような気がしますが、どうやら meromay あるいは menemay で「マルバノバッコヤナギ」を意味するとのこと。https://ainugo.nam.go.jp/siror/book/detail.php?book_id=P0320 には「シウスス」とありますが、知里さんの「植物編」によると、これは十勝方面で使われる表現のようです。
また、これも「植物編」からの情報ですが、meromay は名寄で記録されたもので、menemay は眞岡と白浦で記録されたものとあります。menemay は「樺太風」の発音だったと言えそうです。
ということで、「メママカシンナイ」は menemay-kar-us-nay で、「マルバノバッコヤナギ・伐る・いつもする・川」と考えられそうな気がします。そう言えば明治時代の地形図にも「ニカプカラシナイ」と言う川が描かれていましたが、これも nikap-kar-us-nay で「(ハルニレの)樹皮・取る・いつもする・川」と読めます。
「マルバノバッコヤナギ」は舟材として用いられたようですが、内皮の繊維を紡いで糸にすることもあったとのこと。明治時代の地形図は nikap というざっくりした表現で記録していて、永田地名解では menenay という具体的な樹木名で記録した(故に違いが生じた)、というオチかもしれません。
パンケシュプナイ川
(典拠あり、類型あり)
声問川(旧・幕別川)の東支流で、「メママカシンナイ川」よりも南側(樺岡寄り)を流れています。明治時代の地形図には「パンケシュプンウㇱュナイ」と描かれていました。……あ。panke-supun-us-nay で「川下側の・ウグイ・いる・川」と見て決定的ですね。-us は省略しても意味が伝わるケースが多いため、省略されてしまうことが多いのですが、ここでも見事に略されてしまったように見えます。
永田地名解にも次のように記されていました。
Panke shupu nush nai パンケ シュプン ウㇱュ ナイ下ノウグヒ川
Penke shupun ush nai ペンケ シュプン ウㇱュ ナイ上ノウグヒ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.426 より引用)
shupu nush と shupun ush でびみょうに表記が揺れていますが、誤差の範囲というか、単なる誤植の可能性もありそうです。ちなみに、現在の「大沼」もかつて「シユフントウ」と呼ばれていました。「東西蝦夷山川地理取調図」には、「シユフントウ」に流れ込む川(=声問川)の(沼から見て)最初の東支流として「シユフンウシナイ」という川が描かれていますが、現在の「パンケシュプナイ川」は「大沼」から 6~7 km ほど遡ったところを流れています。
「東西蝦夷──」の「シユフンウシナイ」と「パンケシュプナイ川」が同一の川であるか否かは慎重に検討する必要がありそうですが、上流部に「タツニヤラ」や「チフクシナイ」などが描かれていることを考えると、やはり同一の川だったのでしょうか。
明治時代の地形図には「イナウオマナイ」や「ソーポックシュナイ」「ニカプカラシナイ」「アフカル
ケラシップナイ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
稚内市樺岡……あ、「稚内市声問村樺岡」が正式でしょうか……を流れる声問川(旧・幕別川)の東支流です。残念ながら地理院地図には河川として描かれていません(降雨時以外はほとんど水のない川なのかもしれませんね)。「ケラ」って何だろう……と思って辞書を見てみたところ、kéra で「味」という意味があるとのこと。kéra pirka で「たいへんおいしい」ということになるそうです。
「へぇ~。それにしても『ケラシップ』って何だろう」と思いつつ明治時代の地形図を眺めてみたところ、そこには「ペンケシュプンウシュナイ」の文字が。おいいい……!
「ペンケ」の「ペン」はどこ行ったとか、「ケラ」の「ラ」はどこから出てきたのだとか、ツッコミどころが満載なのですが、これだけ明白な記録がある以上、「ケラシップナイ川」が「ペンケシュプンウシュナイ」の成れの果てであるということを否定できない感じです。penke-supun-us-nay で「川上側の・ウグイ・いる・川」ということになりそうです。
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