線路の前後には、線路とバラスト(敷石)をモチーフにしたと思しきデザインの石畳(でいいのかな)が敷設されています。
また、敷地と歩道の間には、森林鉄道をモチーフにしたと思しきベンチ(ですよね?)が。
下川には実際に森林鉄道があり、下川鉱山からの鉱石の輸送にも使用されていたのだそうです。
このカラーリングは?
静態保存されているのは「キハ 22 245」と「キハ 22 237」の 2 両で、いわゆる「首都圏色」(たらこ色)に緑色の細い帯を巻いたようなカラーリングになっています。この緑色の細い帯には記憶がないのですが、どこかで見たような気もするような……(実際に名寄本線をこのカラーリングで走っていたのであればすいません)。「名寄本線」と言えば、旧・国鉄の「本線」の中で全線が廃止された唯一のケースだったでしょうか(この「全線廃止」には色々と裏話もあったようですが)。ですので「JR」という印象はあまり無いのですが、1987 年 4 月に JR 北海道が発足してから、2 年後の 1989 年 5 月に廃止されていました。JR 時代が 2 年もあったというのはちょっと意外な感じがしますね……。
興部側の車輌が「キハ 22 245」です。ナンバーはかなり綺麗な状態なので、再塗装後にスプレーで吹き付けたとかでしょうか。今まで気にしたことが無かったのですが、「4」はこのように塗装されていたんでしょうか……?
さすがに幌は見当たらず
車輌の名寄側には腕木式信号機も見えます。キハ 22 は両運転台の車輌なので、連結部側にも運転席があります。線路上に積もった雪を排除するスノープラウが見えますね。
車輌は連結されていますが、車輌間をつなぐ幌は見当たりません。
名寄側の車輌が「キハ 22 237」です。床下の艤装品にはサビが目立っていますが、まぁこれはしょうがないですよね……。
腕木式信号機
「腕木式信号機」のところまでやってきました。線路の先にはログハウス風の小屋が見えますが、なんか信号機小屋のようで面白いですね(実際にはトイレとかでしょうか)。腕木式信号機の根本には「転轍機」のようなレバーが見えますが、これが腕木を操作するレバーだったんでしょうか。腕木式信号機は、腕木を上下させて灯火の前の色つきレンズを切り替えることによって、色を変える仕組みでしたよね。
2 両の保存車両は実際にこのあたりを走っていた車輌だったのか、「JR 北海道」の銘板が残っていました。
利用状況
車輌の前後に階段があるほか、車輌の横にもプラットフォーム状の階段が用意されています。車輌の横にある階段はサイズが大きめなので、ちょっとしたステージのような使い方もできそうですね。ところで、この車輌が実際にどのように「利用」されているかが皆目わからないままなんですが、どうやら車内は座席が取り払われて座敷のようになっているとのこと。簡易宿泊所としての使用が許可されているのかは良くわかりませんが、イベントの際の詰所などとして使用されるケースがあるとのこと。
踏切の警報機に「使用中止」とあったので焦ってしまいましたが、車輌自体は然るべき手続きを踏めば中に入ることができる……ということで良いのでしょうか。「乗り場」にはチェーンが張られていたので、若干の不安が残るのも事実ですが……。
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