2021年8月7日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (855) 「智福・筑紫川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

智福(ちふく)

chip-kus-nay
舟・通行する・川
(典拠あり、類型あり)
浜頓別の中心街はクッチャロ湖の東、クッチャロ川の南に広がっていますが、浜頓別の中心街から国道 238 号の「クッチャロ橋」でクッチャロ川の北に抜けた先が「智福」です。

浜頓別の中心街は「日の出」だったり「緑ヶ丘」や「旭ヶ丘」だったり、瑞祥地名が多い印象があります。中心街の南東にある「戸出」は人名・組織名由来とのことで、「この辺はアイヌ語を音訳した地名は少ないのかな」という先入観を持ってしまったのですが……

ところが、「角川日本地名大辞典」には次のように記されていました。

地内のアイヌ語地名の智福はチップクシナイに由来する。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1554 より引用)
うわっ。これは闇からの一撃を喰らった感が凄いですね……。大正時代に測図された陸軍図を見てみると、クッチャロ湖の北東側は「浅茅野台地」を除けば大半が湿原で、川名や地名の記載はありません。

ただ明治時代の地形図には「ナプクシユナイ」と描かれていたり、あるいは「チクシユナイ」と描かれていました。なるほど、chip-kus-nay で「舟・通行する・川」と考えられそうですね。

そして「チㇷ゚クㇱナイ」の最初の三文字を残して「智福」とした……ということなんでしょうね。元の意味もちゃんと残っていますし、「福」の字は縁起も良いですし、うまくしてやられた感が凄いです……!

筑紫川(ちくし──)

chip-kus-nay
舟・通行する・川
(典拠あり、類型あり)
浜頓別町智福二丁目の西から北西あたりを流れる川の名前です。上流部は猿払村内を流れていて、エサヌカ川と繋がっているように錯覚しそうになりますが、地理院地図では「エサヌカ川」と「筑紫川」は 50 m ほど離れているように描かれています(=繋がっていない)。

「筑紫」を冠する地名は道内のところどころにあるのですが、九州の「筑紫」に由来するのか、あるいはアイヌ語音訳地名なのか明確でないケースが多い印象があります。ただ、浜頓別の「筑紫川」の場合は、明治時代の地図に「ナプクシユナイ」または「チクシユナイ」と描かれているので、アイヌ語川名の音訳と見て間違いないかと思います。

「角川日本地名大辞典」には次のように記されていました。

クッチャロ湖に注ぐ築紫川は, サケ・マスの遡上が大変に多かった川で,「舟が通過する川」を意味した。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1554 より引用)※ 原文ママ
「角川──」では「築紫川」となっていますが、地理院地図には「筑紫川」とあります。どこかのタイミングで九州の「筑紫」と同じ表記に改められたということでしょうか。

そんなわけで、「智福」と「筑紫」のルーツは共通ではないかと思われるのですが、地名では「チㇷ゚クㇱナイ」が「智福」に化け、川名は「チㇷ゚クㇱナイ」が「筑紫」に化けた……ということで良いでしょうか。chip-kus-nay は「舟・通行する・川」と解釈することができます。

「天然の運河」説

「チクシ(ナイ)」であれば、chi-kus-nay で「我ら・通行する・川」と考えることも可能なのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めていたところ、猿払村にも「チフクシヘツ」という名前の川が描かれていました。明治時代の地形図で確かめてみると、なんと現在の「エサヌカ川」のところに「チプクシユナイ」と描かれています。

改めて陸軍図を眺めてみたところ、現在の「エサヌカ川」に相当する川と「筑紫川」に相当する川の間は湿原で繋がっているように見えます。となると「筑紫川」を遡るといつの間にか「エサヌカ川」側に出られる、ということのようにも思えます。これはどうやら「天然の運河」だった可能性がありそうです。

ここで気になるのが「オントキタイ」です。松浦武四郎は「午手控」にて次のように記していました。

ヲントキタイ
 此処川沼(の)如く成りていとこイトコ(水源)無が故に
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.409 より引用)
この特徴、どう見ても「筑紫川」(と「エサヌカ川」)に当てはまりますよね……。「東西蝦夷山川地理取調図」では「ヲントキタイ」は海沿いの地名として描かれていて、別に「ヲルキタイ」という川がクッチャロ湖(大沼)の北に存在するように描かれていました。

現在の「筑紫川」が元々の「オントキタイ」で、やがて「天然の運河」としての利用が広がるにつれ「オントキタイ」という名前が失われ、亡霊のように海岸部の「地名」として復活した……あたりでしょうか。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


0 件のコメント:

コメントを投稿