(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
山軽(やまがる)
(典拠あり、類型あり)
クッチャロ湖は「大沼」と「小沼」に分かれていますが、「山軽」は大沼の北、小沼の東あたりの地名です。つい「やまかる」と読みそうになってしまいますが、「やまがる」が正解とのこと。「山軽」には国鉄天北線の駅がありました。ということで「──駅名の起源」を見ておきましょう。
山 軽(やまがる)
所在地 (北見国)枝幸郡浜頓別町
開 駅 大正 8 年 11 月 1 日 (客)
起 源 アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ル」(冷たい水のある道)の転かしたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.187 より引用)
なんと! まぁ「山軽」という地名は一風変わった雰囲気がありますが、「頓別」や「鬼志別」あたりと比べるとアイヌ語っぽい「押し」(?)がそんなに強くない感じもするので、見事にコッテコテのアイヌ語由来と聞いて「やられた!」という気分です。ちなみに、永田地名解にも次のように記されていました。
Yamakkarū ヤマㇰカルー 冷水路 崖ヨリ冷水流レ出ヅやはり yam-wakka-ru で「冷たい・水・路」と考えて良さそうな感じですね。
順番が逆になった感もありますが、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヤンワツカル」という地名?が描かれていました。ただ、クッチャロ湖沿いの地名ではなく、オホーツク海沿岸部の地名として描かれています。
明治時代の地形図を見てみると、現在の「ベニヤ原生花園」に相当するエリアを北西から南東に(つまり海に沿って)「ヤム
明治の時点でも「ヤマㇰカルー」は海沿いの地名だったようですが、宗谷本線(後の天北線)がクッチャロ湖沿いを通ることになり、小沼の東に「山軽駅」が設置されたタイミングで、内陸部の地名にクラスチェンジした……ということみたいですね。
オントキタイ
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
現在の地形図には見当たりませんが、1980 年代の「土地利用図」には現在の「ベニヤ原生花園」のあたりの地名として描かれていました。明治時代の地形図にも、前述の「ヤㇺウこの「オントキタイ」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「トンヘツ」(頓別)と「ヤンワッカル」(山軽)の間の地名として「ヲントキタイ」と描かれています。なかなか由緒正しい地名と言えそうです。
永田地名解には次のように記されていました。
Ontokitai オントキタイ 蝦夷松ノ林
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.435 より引用)
……え? 「蝦夷松」は、アイヌ語では sunku が一般的かなぁと思われるのですが、「オントキタイ」をどう読めば「蝦夷松の林」になるのでしょう。「タイ」は確かに「林」と解釈できますが……。「オントキタイ」をどう解釈したものか悩んでいたのですが、「午手控」に次のように記されていたことに気がつきました。
ヲントキタイそう言われてみると、onto で「尻」を意味する語がありましたね。
此処川沼(の)如く成りていとこ 無が故に
onto おント【キタミ;クシロ】尻。──山について云えば‘ふもと’。そして「キタイ」は kitay で「頭」を意味します。onto-kitay だと「尻・頭」ということになりますね。
「尻頭」とは
「尻頭」とはなんぞや……という話になりますが、アイヌ語の地名では「尻」が「河口」で「頭」が「水源」なので、「尻頭」は「河口水源」ということになるでしょうか。つまり、これが「午手控」の言う「水源が無い」ということなんでしょうか。明治時代の地形図を見ると、「ヤㇺワㇰカナイ」と海の間にも海跡湖のような池?が描かれていて、その北側に「オントキタイ」と描かれています。地形図を見た限りでは南東側(頓別川の河口近く)で海と繋がっていますが、この出口(尻)が流砂で塞がれることが時折あったとか、そんなところかもしれません。
そもそもこれは「海跡湖」なので、水源は海とつながるポイントしかありません。そのことを指して「尻頭」と呼んだと考えればスッキリですね。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿