(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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鬼河原川(おにがわら──)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
浜頓別町南部、かつて国鉄天北線の「下頓別駅」があったところから更に南に進んだところに「高砂」と呼ばれる集落がありますが、そこで頓別川に合流する東支流の名前です。和名にしか見えないような気もしますが、明治時代の地形図には「オ子ニカラマプ」と描かれていました。上流部には「オン子カラマプ」という表記もあり、これが「おにがわら」に転訛したと考えられそうです。
更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。なかなかの名調子ですので、ちょっと長い目に引用してみますと……
高砂(たかさご)
浜頓別町字下頓別市街から一キロほど南、中頓別町との境に近い部落で、五万分の地図では、鬼河原という地名になっている。これでは高砂としたくなる気持も分かる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.188 より引用)
どうやら「高砂」という集落の名前自体が、かつては「鬼河原」だったみたいです。どうせ、こんなところに人間も入るまいと思って、最初は無責任な当て字をしたのであろうが、古い五万分の地図には元名がオネンカラマブと出ている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.188 より引用)
「どうせ、こんなところに人間も入るまい」とは……更科さん、飛ばしてますねぇ(汗)。当時の人がそこまで無計画だったかどうかは謎ですが、まずは元の地名に字を充てるか翻案したものを地名にして、その後コロッと瑞祥地名に改める、というケースが多かったような印象があります。更科さんが「オネンカラマブ」と読んだ川名ですが、私が見た感じでは「オ子ニカラマプ」と描かれているように見えます。三文字目を「ン」とするか「ニ」とするかなんですが、他の「ン」と比べると上下の線を平行に描こうとしている風に見受けられるので(筆跡鑑定か)、「ン」ではなく「ニ」ではないかと考えました。
更科さんは「オンネカラマップの間違いかと思うが、意味は明らかではない」としていましたが、確かにちょっと謎ですね。onne-ni-kar-oma-p かと思ったのですが、kar(採る)の後に oma-p が続くのが変な感じがします。onne-nikar-oma-p であれば「老いた・
ni-kur で「木陰」とか、niikir で「薪の集まり」とかも考えられなくは無いのですが、地名としての必然性を考えるとちょっと弱いかな、と思わせます。やはり nikar で「はしご」なんでしょうか……。
onne は「老いた」と言う意味ですが、「年長である」ということから「親である」あるいは「大きな」と言った風にも解釈されます。「鬼河原川」は中流部で支流がアルファベットの「E」の字のように枝分かれしているところがあり、そのことを指して「巨大なハシゴ」と呼んだ……とかだったら面白いんですけどね。
珠文岳(しゅぶん──)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
鬼河原川を遡ると、最終的に「珠文岳」にたどり着きます。中頓別町との町境に近いところですが、頂上は 300 m ほど浜頓別町側に入ったところにあります。「珠文」を「しゅぶん」と読む時点で、察しの良い方はお気づきかもしれませんが、これは supun で「ウグイ」を指すと考えられます。
山の名前に魚の「ウグイ」というのもおかしな話なのですが、明治時代の地形図を見ると、現在の「珠文岳」に近い位置に「スプンモトツ」と描かれていました。また現在の宇曽丹川の支流として「オロピリカシュプンモトツ」という川と「オロウエンシュプンモトツ」という川も描かれていました。
現在の「珠文岳」の位置は、「オロピリカシュプンモトツ」および「オロウエンシュプンモトツ」と思しき川から少し離れた位置にありますので、「シュプンモトツ」は「珠文岳」の北東にある標高 747 m の山の名前だったのかもしれません。
ということで「シュプンモトツ」とは何ぞや……という話ですが、motot は「背骨」を意味するとのこと。となると supun-motot は「ウグイ・背骨」ということになります。
魚に詳しい方からのヘルプを求めたいところですが、「ウグイの背骨」はググった限りでは割と「ややこしい形」をしているっぽい感じでしょうか。珠文岳も四方に尾根が伸びた、なかなか「ややこしい形」をした山にも見えるので、そのことを指して「ウグイの背骨」と呼んだ、とかでしょうか……?
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