2021年7月11日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (848) 「平賀内川・ニセケンラマナイ林道」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

平賀内川(ひらがない──?)

pira-ka-nay
崖・の上・川
(典拠あり、類型あり)
頓別川の東支流の名前で、中頓別町中心部の北隣にある「旭台」のあたりを流れています。「中頓別鍾乳洞」のある「羽衣の沢川」の南側を東から西に流れていることになります。

この川名については、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」に言及がありました。

 平賀内(ぴらかない)
 昭和十三年まで中頓別町で字名として呼ばれていた地名で、中頓別市街の北に近い集落である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.186 より引用)
どうやら現在「旭台」と呼ばれる一帯が、元は「平賀内」という地名だったようです。更科さんは「平賀内」の読みを「ぴらかない」としていますが、確かに陸軍図でも「平」に「ピラ」とルビが振ってありました。

ピラカは崖の上ということで、ナイは川。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.186 より引用)
あー、やはり pira-ka-nay で「崖・の上・川」となるのですね(まぁ他に解釈のしようが無いんじゃないかという説も)。

この川の頓別川への落ロは崖になっているようだが、頓別川を舟で来てみて崖の上から流れて来て落ち合うので名付けたかと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.186 より引用)
へぇーと思って地形図を見てみたのですが、現在はとても「崖になっている」とは言えない状態です。ただ、今は明らかに河川改修が入った後なので、大正時代に測図された陸軍図を見てみたところ……なるほど。頓別川は「寿公園」の南西のあたりでも派手に蛇行していて、(それほど高くは無いものの)崖らしきものも形成されていたようです。

ニセケンラマナイ林道

nisey-pa-oma-p
断崖・頭・そこに入る・もの
(典拠あり、類型あり)
中頓別町兵安から道道 120 号「美深中頓別線」で兵知安川沿いを 3.5 km ほど遡ったところで、北から「六十林班ノ沢川」という支流が合流しています。「ニセケンラマナイ林道」は「六十林班ノ沢川」沿い(北側)を通っている林道です。

古い川名の保存状況?が思わしくない中頓別町ですが、明治時代の手書きの地形図には「六十林班ノ沢川」の位置に「ニセイパオマプ」と描かれていました。「ニセイパオマプ」であれば nisey-pa-oma-p で「断崖・頭・そこに入る・もの」と読めそうです。

「ニセイパオマプ」が「ニセケンラマナイ」に化けたというのはあり得るのか……という話ですが、「ニセ」はそのままで「イ」が「ケ」に、「パ」は 90 度左に回転されると「ン」に見えたかもしれません。「オ」が「ラ」に化けるのは謎ですが、「オ」ではなく「ヲ」だったとしたら十分ありえる話です。

「プ」と「ナイ」については、もともとどちらでも呼ばれていた(「ニセイパオマナイ」と呼ぶ流儀もあった)と考えられます。そう考えると「イパオ」が「ケンラ」に化けただけとも言えるのですが……(汗)。

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