2021年6月27日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (844) 「落切・イチヒレ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

落切(おちきり)

not-chikir??
岬・足
o-chikiru??
そこで・向きを変える
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
枝幸町問牧の集落の北にある地名(通称かも)で、現在も同名のバス停があります。同名の川も流れていて、その河口は北緯 45 度線の僅かに北に位置しているようです。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲチシベ」という名前の川が描かれていました。「再航蝦夷日誌」には「ヲチキリノツ」という岬と思しき地名が記されていますが、「竹四郎廻浦日記」にはそれらしき記録が見当たりません。

「河口・足」説

永田地名解には次のように記されていました。

Ochikiri  オ チキリ  渉リ場 小川ナリ「チキリ」ハ脚ノ義
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.438 より引用)
確かに chikiri は「足」を意味しますので、o-chikiri は「河口・足」と言った感じでしょうか。元は o-chikiri-us-i で「河口・足・ある・もの」あたりの可能性もありそうです。ただ、他に類型を見ないように思えるので、ちょっと引っかかるのも事実です。

更科さんの疑問

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも、次のように記されていました。

オチキリは昔からそう呼んでいるところで、永田方正氏は「渉り場。小川ナリ「チキリ」ハ脚ノ義」とある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.196-197 より引用)
ここまでは良いですね。まだ続きがあるのですが……

チキリは足であるが、われわれの足ということであり、オは川口であるから、直訳すれば、川口のわれわれの足ということになるが、それが渉り場ということになるかどうかうなずきがたい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.196-197 より引用)
ということで、更科さんも「なんか変だぞ」と考えていたことが窺えます。さらに興味深いことに、田村すず子さんの「アイヌ語沙流方言辞典」には次のように記されていました。

cikir チキㇼ【名】[概](所は cikiri(hi) チキリ(ヒ))[ci-kir(?)・足][動物] ①(人間以外の動物の、机等の)足(ももから先まで全部)。cikir us otcike チキルㇱ オッチケ 足(脚)つきのお膳、座卓。re cikir us pe レ チキルㇱ ペ 三本足のついたもの(火鉢の中のごとくをこう表現した)。《S》 ②動物の後ろ足。☆対語 tapcikir タㇷ゚チキㇼ 前足。{E: an animal's hind leg(s).}
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.52 より引用)
田村さんは chikir を「人間以外の動物の足」と明記していました(手元の他の辞書を確認しても、いずれも「動物の足」でした)。となると更科さんが「われわれの足」と考えたのも少々おかしいことになってきます。

更科さんは「落切」の解釈について、次のようにも考えていたようです。

地方によって、山をキリというところがあるので、川ロのわれわれの山となるかもしれないが、地図の上では、それらしい山も見当らないので、疑問の地名として研究の余地がある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.197 より引用)
山田秀三さんならともかく、更科さんが「疑問の地名」「研究の余地がある」とするのは珍しい……ですよね。

「河口・削れている」説

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

(通称)落切 (おちきり) この名は一般に使わないが,バス停名として使われている。川口が削られているの意と思う。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.412 より引用)
これも更科さんの文章っぽい感じですね。o-{chi-kere} で「河口・{削れている}」と考えたようですが、なるほど、これはありそうな解ですね。ただ、落切川の河口付近は特に削られているように見えないという大きな問題があります。

「岬・足」説?

この「疑問の地名」について、「午手控」には次のように記されていました。

ヲチキリ
 本名ノチキリのよし。此川一ツにて中程にて二ツに切、両方え水が切れて下るによって也。此川ヲチキリとベライウシの南川へ下るが故に号る也
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.405-406 より引用)
これまたちょっと不思議なことが書いてありますね。落切川は途中で二手に分かれていると言うのですが……。「ベライウシ」は現在の目梨泊のあたりを指しているようですので、目梨泊の南を流れる川と言うと「モウケシタンベ川」か、その南隣の川あたりでしょうか。

実際には、落切川の北には山があり、どう転んでも目梨泊方面に分水していたとは考えられません。ただ、落切のすぐ北に(目梨泊までは行かないものの)分水の可能性を窺わせる鞍部がありました。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
落切川の北東側に伸びている尾根に鞍部があり、鞍部の南にも標高 8~90 m ほどの山が二つほど確認できます。これを not-chikir で「岬・足」と呼んだ……ような気がしてきました。

「午手控」からは、元々は「ノチキリ」で転じて「ヲチキリ」となったと読み取れますが、not-chikiro-{chi-kere} で「そこで・{削れている}」と呼ばれるようになった……と考えることもできそうです。あるいは o-chikiru で「そこで・向きを変える」とも解釈できるかもしれません。

イチヒレ川

e-{chi-kere}??
水源・{削れている}
(?? = 典拠未確認、類型あり)
落切の南に位置する問牧には「問牧川」が流れていますが、その南支流の名前です。何故今頃……と訝しく思われるかもしれませんが、これにはちょいと事情が……(汗)。

この「イチヒレ川」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき名前を確認できませんでした。明治時代の地形図には「タン子ペナ」という川の支流として描かれていますが、実際よりはるかに短い川として描かれてしまっていて、川名の記入もありません。

結論から言えばこの川名の由来は全くわからないのですが、「ヒ」が「キ」だったとしたら「イチキレ川」となり、e-{chi-kere} で「水源・{削れている}」の可能性があるなぁ……というお話です。「落切川」が o-{chi-kere} かもしれない……ということからの類推でもあるのですが、音が似ていて両者が混同された可能性もあるかもしれません。

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