2021年6月3日木曜日

阪九フェリー「やまと」1 等洋室乗船記(阪九フェリーの歴史編)

以前に「阪九フェリー「いずみ」ロイヤルルーム乗船記(阪九フェリーの歴史編)」という記事を書いたのですが、その時に凄まじく尻切れトンボに終わったことをご記憶の方はいらっしゃいますでしょうか。その節は大変失礼いたしました……ということで、気を取り直して。

昨日の記事でもご紹介した通り、7 甲板(7F)には「展望浴室」があります。浴室があるということは脱衣所もあるのですが、脱衣所の前の廊下にはこのようにパネルが並んでいます。

「フェリー阪九」「第六阪九」

フェリー阪九」は 1968/8/10 に就航し、8 年後の 1976/1/24 に退役した、日本で最初の「長距離フェリー」でした。
2 隻目のフェリーが何故か「第六阪九」なのですが、就航が 1968/11/2 で、「第六阪九」の就航により小倉~神戸航路は毎日運航になりました。「第六阪九」の退役は 1976/5/16 で、系列会社の「関釜フェリー」に売却された後、1984 年に阪九フェリーによって買い戻されています。

「フェリー阪九」「第六阪九」ともに車両積載数はトラック 80 台・乗用車 60 台で、この時乗船していた「やまと」がトラック 229 台、乗用車 138 台を積載することを考えると小ぶりにも思えますが、一方で「フェリー阪九」「第六阪九」の旅客定員は 1,195 名で、「やまと」の 667 名と比べると格段の差が見られます。当時は人の輸送も今以上に重要だった……ということなんでしょうか。

「フェリーせと」「フェリーはりま」

3 隻目のフェリーが「フェリーせと」で、1970/9/1 に就航し、18 年後の 1988/6/26 に退役しています。僚船の「フェリーはりま」は 1970/11/19 に就航し、17 年後の 1988/3/28 に退役しています。
「フェリーせと」と「フェリーはりま」は、「フェリー阪九」「第六阪九」と比べて総トン数は若干少なくなっていますが、トラックの積載台数が 92 台に、そして乗用車の積載台数が 120 台に倍増している上に、旅客定員は 1,193 名と、ほぼ「フェリー阪九」「第六阪九」と同規模をキープしています。

「フェリーながと」「フェリーあかし」

1972/9/3 に就航した「フェリーながと」は 1991/1/22 に退役し、1972/11/20 に就航した同型船の「フェリーあかし」は 1991/3/19 に退役しています。
総トン数は「フェリー阪九」「第六阪九」相当に戻り、トラックの積載台数が 2 台増えて 94 台になりました。旅客定員は 1,185 名ですから、これまでのフェリーと大きな違いは無さそうです。

「第十六阪九」「第十七阪九」

第十六阪九」は 1975/4/28 に就航し、8 年後の 1983/10/16 に退役しています。僚船の「第十七阪九」も 1975/4/28 に就航し、8 年後の 1984/1/29 に退役しているのですが、就航日が同じということは……?
「第十六阪九」と「第十七阪九」は、もともと「西日本フェリー」という会社が「つくし」「はかた」という船名で 1973 年に建造したものの、1975 年に「西日本フェリー」が会社ごと阪九フェリーに譲渡された際に名前を変更したとのこと。譲り受けた苅田~神戸航路の撤退後は小倉~神戸航路を担当しました。

総トン数もこれまでのフェリーよりも一回り小さく、トラックは 84 台、乗用車は 109 台積載できたものの、旅客定員は 770 名と、やはり一回り小さいところがネックになったのか、10 年ほどで退役に追いやられたようです。

「第二十四阪九」「第三十二阪九」

第二十四阪九」の就航は 1976/1/24 で、1995/12/22 に退役しています。「第三十二阪九」の就航は 1976/5/16 で、退役は 1996/2/21 とのこと。小倉~神戸航路と新門司~泉大津航路の間で何度も転配されたユーティリティープレイヤーでした。
どちらも「フェリーながと」や「フェリーあかし」と同等の 7 千トン級のフェリーですが、トラックの積載台数が 114 台に増えた代わりに乗用車の積載台数が 38 台に減少しています。旅客定員は 950 名ですから、やや減少傾向でしょうか。

ここまでの 10 隻は「紳士浴室」側の廊下に掲示されていましたが、同様に「婦人浴室」側の廊下にもパネルが並んでいました。前回は「どうせ同じパネルだろう」と早合点してチェックを怠ったという悲劇があったんですよね……。

「ニューやまと」「ニューみやこ」

ニューやまと」の就航は 1983/10/16 で、僚船の「ニューみやこ」の就航は 1984/1/29 です。「第二十四阪九」と「第三十二阪九」を置き換える形で泉大津航路を担当しました。
総トン数が 1 万トンを超えて、「第二十四阪九」「第三十二阪九」と比べるとトラックの積載台数が 114 台から 166 台に、乗用車の積載台数も 38 台から 75 台へと大幅に増加した一方で、旅客定員は 950 名から 760 名に減少しています。

「ニューはりま」「ニューせと」

1988/3/18 に就航した「ニューはりま」は、「フェリーはりま」を置き換える形で小倉~神戸航路を担当し、1991 年からは新門司~神戸航路を、そして 1995 年の阪神・淡路大震災後は一時的に新門司~泉大津航路を担当しました。僚船の「ニューせと」は 1988/6/26 に就航し、「ニューはりま」と同様に神戸航路を担当し、震災で六甲アイランド埠頭が使用不能になった際には一時的に新門司~泉大津航路を担当しました。
「ニューはりま」と「ニューせと」の総トン数は 12,589.00 トンで、これは「ニューやまと」「ニューみやこ」をも上回るものでした。トラックと乗用車の積載台数は「ニューやまと」「ニューみやこ」と同一ですが、旅客定員が 921 名に増加しています。

「ニューはりま」は「やまと」に置き換えられる形で 2003/3/27 に退役、「ニューせと」も「つくし」に置き換えられる形で 2003/6/12 に退役しています。

「ニューながと」「ニューあかし」

ニューながと」は 1991/1/22 に就航して、神戸航路と泉大津航路を担当しました。同型船の「ニューあかし」は 1991/3/19 に就航しています。
船体は引き続き巨大化傾向で、総トン数は 14,988.00 トンに達しました。旅客定員は「ニューはりま」「ニューせと」と同一の 921 名ですが、トラックの積載台数が 180 台に、乗用車の積載台数も 110 台に増加しています。

「ニューながと」は泉大津航路の減便にともない、2010/9/30 に退役しています。「ニューあかし」はひと足早く 2009/10/2 に退役したようです。

「フェリーせっつ」「フェリーすおう」

フェリーせっつ」は 1995/12/22 に就航し、新門司~神戸航路を担当しました(2008 年に新門司~泉大津航路に転配)。同型船の「フェリーすおう」の就航は 1996/3/15 です。
「フェリーせっつ」と「フェリーすおう」は、旅客定員が 810 名に減少し、乗用車の積載台数も 77 台に減少したものの、トラックの積載台数は 219 台に増加し、総トン数も 15,188.00 トンとなりました。

「フェリーせっつ」は 2015/3/15 に退役、「フェリーすおう」も 2015/4/21 に退役しています。

「やまと」「つくし」

この時乗船していた「やまと」は 2003/3/27 に就航し、新神戸~神戸航路を担当しました(「ニューはりま」の置き換え)。「つくし」の就航は 2003/6/12 で、「ニューせと」を置き換えたことになります。
総トン数は 13,353.00 トンで、ようやくダウンサイジング傾向に入ったのか……と思ったのですが、置き換え対象の「ニューはりま」「ニューせと」は 12,589.00 トンだったので、実は地味に巨大化したことになりますね。旅客定員は 921 名から 667 名と大幅に減少した一方で、乗用車の積載台数は 75 台から 138 台に、トラックの積載台数も 166 台から 229 台に増加しています。

おつかれさまでした!

「やまと」は 2020/3/10 に新造船「せっつ」の就航に伴い退役したとのことですが……え、乗船した日から 16 日で退役だったんですね。

まぁ、退役とは言ってもスクラップにされる訳ではなく、海外の会社に売却されて引き続き活躍するのが一般的なのが救いでしょうか。「やまと」も今年、フィリピンの会社に売却されたようです。

「阪九フェリー」の船舶は、毎日 20 時間程度航行を続ける「新日本海フェリー」の船舶と比べると負荷は軽めだと思えるのですが、18 年サイクルを頑なに守っているのは凄いですね。2015/1/22 に就航した「いずみ」が現行の最古参のようなので、おそらくあと 10 年ほどは現役を続けてくれるかな……と期待しています。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


0 件のコメント:

コメントを投稿