(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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音標(おとしべ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
枝幸町の沿岸部南端に位置する一帯の地名で、同名の川も流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲチシベ」という名前の川が描かれていました。「再航蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」にも「ヲチシベ」との記録を確認することができます。永田地名解には次のように記されていました。
O chish pet オ チシュ ペッ 川尻ノ凹ミタル川 川尻凹ミタル故雨後ハ深クシテ渉ル能ハズ「オ」ハ川尻「チシュ」ハ凹ミ、「ペツ」ハ川ナリo-chis-pet で「河口・中くぼみ・川」と解釈したようですが、異論も少なくないようです。
更科さんの指摘
更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。オチシュペツならむしろ乙忠別であるべきで、音標とするのはおかしいが、だれかが、この二つの地名を間違ったらしく、永田氏は乙忠別の方はオキトウンペツ(アイヌ葱の多い川)だというが、これの方がうなずきがたい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.201 より引用)
えー、話が更にややこしくなりますが、更科さんが「乙忠別」と記したのは「乙忠部」が正しいと思われます。続きを見てみましょう。音標は古い五万分の地図もオチシュペツとなっている。もしこれが正しいとすれば川口に(オ)チュ(波の)ウㇱ(いつもある)ペッ(川)かとも思うが、オ・テシ・ウㇱ・ペッで、川尻に簗をかける川という意味ともとれるが、旧記にオチンベとあり、これがオチシベツで川口(オ)に立岩(チシ)ある川(ウㇱペッ)かもしれない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.201 より引用)
明治時代の地形図には「オチシュペツ」と描かれていたので、o-tes-us-pet で「河口・簗・ついている・川」説は一旦候補から外しても良いかな、と思われます。山田さんの検討
山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。音だけならオチウウシペ(o-chiu-ush-pe 川尻に・浪・ある・川)とも聞こえるが,行って見るとそんな姿には見えない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.173 より引用)
あれ、これは更科さんの試案と同じですね。o-chiw-us-pe で「河口・波・ついている・もの(川)」と読めそうです。ただ「そんな姿には見えない」とのことなので、一旦は候補から外す必要がありそうでしょうか。まずは永田説に従うとすれば,永田氏の書いた形か,あるいは o-chish-un-pe「川尻に・凹み・ある・もの(川)」ぐらいの形からオチシベ→音標と訛ったとでも見るべきか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.173 より引用)
そうですね。永田地名解の o-chis-pet という解釈は -un や -us が省略された形と思われるので、o-chis-un-pe で「河口・凹み・ある・もの(川)」と微修正するのは正しいアプローチかもしれません。余談ですが
ところで、地形図を見ると音標川河口の沖合に岩礁があることに気付かされます。chis という単語は若干意味の掴みづらいところがあって、「中くぼみ」以外にも「立岩」や「丸い岩山」と解釈する場合もあるとのこと。o-chis-un-pe の chis を「凹み」と解釈するケースが目に付きますが、更科さんが記していた「河口・立岩・ある・もの(川)」という解釈も検討の余地があるんじゃないかなぁ……と思ったりします。
トイナイ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
枝幸町音標の南東、雄武町との境界付近を流れる川の名前です。かつては「トイナイ」という地名(小字?)もあったようです。「東西蝦夷山川地理取調図」には「トエナイ」という川が描かれていました。「再航蝦夷日誌」では「トヱナイ」、「竹四郎廻浦日記」では「トイナイ」と記録されています。
永田地名解には次のように記されていました。
Toi nai トイ ナイ 泥川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.443 より引用)
うーん、確かに toy は「土」なんですが……。幻の「ト゚ンナイ」
余談気味ですが、更科さんの「アイヌ語地名解」にちょっと気になることが書いてあったので引用してみます。ト゚ンナイウシ
雄武町と枝幸町との町境の地名。ト゚ンナイは谷川の意であるが、これに該当する川が見当たらない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.303 より引用)
明治時代の地形図には、「ウエンシラト」(現在の「ウエンシテント川」のこと?)の隣(雄武町側)に「ト゚ンナイウシェ」という川が描かれています。ただ幌内川と町境の間に 5 つも川が流れていたというのは少々疑わしく感じられます。更科さんが「該当する川が見当たらない」としたのも宜なるかな、です。そして、更科さんは幻の「ト゚ンナイ」について、次のような仮説を立てていました。
なお現在の枝幸領にトイナイという小川がある。土川という意であるが、実際には土川でなく小石川である。ことによるとこの川がト゚ンナイかもしれない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.304 より引用)
{tun-nay} は「{谷川}」ですが、実際のトイナイ川も台地の間の谷を流れる川です。また、トイナイ川河口の東隣に岬があるのですが、この岬がかつて「トンナイウシノツ」と呼ばれていたとのこと。一方で、「トイナイ」=「ト゚ンナイ」説を否定するものとしては、「トンナイウシ」が「トンナイウシノツ」の東側に描かれているという点があります。知里さんは tun-nay を utur-nay が転訛したものではないかと考えていたようで、「トンナイウシ」も「トンナイウシノツ」と町境の岬(「リシラウシ」または「トペンウシュ」)の「間」の地名と考えたほうが、より相応しいとも考えられます。
閑話休題
そろそろ本題に戻らないといけません。なんとなく違和感のあった「泥川」説ですが、やはりちょっと違うのでは、と思えてなりません。「トイナイ」あるいは「トエナイ」という音からは、tuye-nay で「(自ら)切る・川」と考えられないでしょうか。現在の地形図でも、河口が流砂で押し曲げられているように見えます。ちょくちょく河口が塞がれて、そして水が溜まったところで流砂を「切る」ということが繰り返されていたのではないか、と想像してみました。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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