2021年4月18日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (824) 「オシトツナイ沢川・シアッシリ山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オシトツナイ沢川

o-situ-nay?
河口・尾根・川
(? = 典拠未確認、類型多数)
雄武町上幌内で幌内川に合流する西支流の名前です。ちなみにこの「上幌内」集落、地理院地図ではそれなりに家屋が並んでいるように描かれていますが、現在は人口 0 人の「消滅集落」だとのこと。

「東西蝦夷山川地理取調図」には該当しそうな川が見当たらないようです(異なる名前で描かれている可能性は残ります)。幌内川には北西側の支流もそれなりの数が存在するのですが、「東西蝦夷──」では「ヲチヒ子サン」(オチフネ川と推定)の奥には 4 つから 5 つ程度の支流しか描かれていません。

幌内川の支流には「田中川」「宮島川」「菊地川」と言った個人名っぽい名前の川が多いのですが、明治時代の地形図を見ると川名が記されていないケースが多く、古い川名が伝わらなかった可能性がありそうです。理由のひとつとして「東西蝦夷──」に描かれた河川の数が少なかったことも挙げられるかもしれません。

そのような中で、明治時代の地形図では「オシトツナイ沢川」に相当する川に「オシト゚ツ」と描かれていて、現在までその名前を守っている……ようにも見えます。これは助かりますね。

永田地名解には次のように記されていました。

Oshitut  オシト゚ッ  ?
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.451 より引用)
……。まぁ、「オシト゚ッ」という川名を記録してくれただけで感謝しないといけないですよね。「オシトツナイ」を素直に読めば o-situ-nay で「河口・尾根・川」となるでしょうか。おそらく本来は situ-nay の間に -us あたりが挟まれていたのが、いつしか省かれてしまったということでしょう。

上幌内のあたりでの幌内川は西偏していて、東側には上幌内の原野が広がるのに対して、西側は山裾に迫っています。「オシトツナイ沢川」も北側が山裾に迫った状態で幌内川に合流しているので、「河口が尾根の直下にある」と言えるのかな……と思えます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シアッシリ山

si-yas-sir?
大きな・削られた・山
(? = 典拠あり、類型未確認)
「オシトツナイ沢川」を遡った先に聳える、標高 902.9 m の山の名前です。この山は枝幸町・美深町・雄武町の境界となっています。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 シアッシリ山 902.9 メートル 美深町と枝幸町の境にある大山。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.500 より引用)
「美深町と枝幸町の境」となっていますが、この項目自体は「雄武町」の章から引用していますので、要は三町の境ということで間違いありません。

大きな・破れ・山

永田地名解の「?」に続いて更科さんの「意味不明」も飛び出して、まさに百花繚乱と言ったところですが、意外なところに情報がありました。

Siyassir. しヤㇱシㇽ。<si-yar-sir(大・破れ・山)。テシオ国ビフカ〔美深〕町内の山の名。シアッシリ山。
知里真志保アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.173 より引用)
si-yar-sir で「大きな・破れた・山」が、音韻変化で si-yas-sir になった……ということのようです。yar という語彙は、空知川の最上流部にある「パンケヤーラ川」と同じでしょうか。

大きな・すり切れた・山

「大きな破れた山」というのも良くわからないですが、田村すず子さんの辞書によると yar は「すり切れる」だとしていて、次のような類義語があるとしています。

参考「切れる」ことは tuy トゥイ、「破れる」ことは perke ペㇾケ、「裂ける」ことは yaske ヤㇱケ
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.840 より引用)
田村さんの基準で考えると、si-yas-sir は「大きな・すり切れた・山」となり、あるいは「大きな・削られた・山」ということになりそうですが……やはり良くわからないですね。

類義語という話では、soske で「剥げている」というものも出てきます。yartuy(e)perkesoske も、地名の世界では普通に出てくるもので、解釈に厳密な違いがあるかと言われると……ちょっと確証は持てないかな、という印象です。

大きな・削られた・山?

前述の通り「シアッシリ山」は枝幸町・美深町・雄武町の境界となっていますが、枝幸町側だけ傾斜がやや急で、谷も比較的深くえぐれているように見えます。そのことを形容した命名なのかな……と考えています。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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