(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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オコツナイ川
(典拠あり、類型あり)
雄武町役場の南側を流れる川の名前です。「雄武」という地名は「雄武川」に由来すると考えられるので、むしろ「雄武」の市街地が「オコツナイ川」の近くに引っ越してきた、と考えたほうが正解かもしれません。現在「オコツナイ川」と呼ばれる川とは別に、北側にある「宮の森公園」のあたりを「ポンオコツナイ川」という川が流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲコツナイ」という川が描かれていました。明治時代の地形図にも「オウコッナイ」という川が描かれています。
「再航蝦夷日誌」には「ウコツナイ」という名前で記録されていました。「竹四郎廻浦日記」では「ヲコツナイ」で、永田地名解にも次のように記されていました。
Oukot nai オウコッ ナイ 合流川 二川濵ニ至リ合流スルヲ云フふむふむ。どうやら o-ukot-nay と考えられそうですね。ukot については知里さんの「──小辞典」をチェックしておきましょうか。
ukot ウこッ ((完)) 交尾する。──二つの川が合流して一つになっているのを云う。[u(互)kot(に附く)]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.136 より引用)
ということで、o-ukot-nay は「河口・交尾する・川」ということになります。あるいは o-u-kot-nay で「河口・互い・につく・川」とも言えそうでしょうか。「オコツナイ川」と「ポンオコツナイ川」は、現在はそれぞれ直接オホーツク海に注いでいますが、かつては河口付近で合流していた……ということだと考えられます。お気づきの方も多いかと思われますが、この o-u-kot というのは「興部」の語源とされる o-u-kot-pe(t) と同じです。隣町の大河と同じ意味ということになりますが、-pe(t) と -nay で識別できるので問題なし、ということだったのでしょうか。
元稲府(もといねっぷ)
(典拠あり、類型あり)
雄武町雄武の北西に位置する集落の名前です。同名の川が流れているほか、同名の漁港もあります。「東西蝦夷山川地理取調図」には「モヲトイ子フ」という名前の川が描かれています。明治時代の地形図には「モオトイ子ㇷ゚」という川が描かれているほか、その北側に「モオトイ子ㇷ゚ノッ」という岬が描かれています。現在は立派な漁港が整備されてしまって、岬の痕跡を探すのはなかなか困難ですが……。
現在の「元稲府川」には「モンモトイネップ川」という南支流が存在しますが、古い地形図を見ると「ポンモオトイ子プ」とあるので、おそらく「モン──」は「ポン──」の誤りなのでしょうね。
「再航蝦夷日誌」には「モヲトヱ子フ」と記されていました。また「竹四郎廻浦日記」には「モヲトヱ子ツフ」とありました。いずれも誤差の範囲と言った感じでしょうか。
永田地名解には次のように記されていました。
Mo otoinep モ オトイネㇷ゚ 小キ泥川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.446 より引用)
更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。オトイネプは宗谷本線の音威子府と同じオ・トイネ・プで、川ロのにごっているものという意味。モは小さいとか静かなとかいう意味で、四キロほど北の音稲府と比較してつけたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.302 より引用)
そうですね。mo-o-toyne-p で「小さな・河口・土まみれである・もの」と読めそうです。ただ、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のようにありました。永田地名解は「モ・オトイネプ。小さき泥川」と書いたが,川尻の辺で見るとそんな泥んこ川といった感じではなかった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.175 より引用)
え(汗)。音稲府(おといねっぷ)
(典拠あり、類型あり)
漁港のある「元稲府」の北西に位置する地名で、同名の川も流れています。また音稲府川の河口の東側には「音稲府岬」もあります。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホロヲトエ子フ」という名前の川が描かれていました。「再航蝦夷日誌」では「ヲトヱ子フ」で、「竹四郎廻浦日記」では「モトイ子ツフ」となってしまっています。「モトイ──」は「オトイ──」の間違いと考えるべきなのでしょうね。
永田地名解には次のように記されていました。
Otoinep オトイネㇷ゚ 川尻濁リタル泥川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.445 より引用)
はい。o-toyne-p で「河口・土まみれである・もの」となりそうですね。「東西蝦夷──」で「ホロヲトエ子フ」となっているのは、元稲府(mo-o-toyne-p)と対になる存在であることを意識した呼び方だったのでしょうか。山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。
この辺の川は殆ど清流であるが,この川の川尻に行って見ると,川水も濁っているし,泥底のようである。徒渉するとぬかるんで,泥んこの川と名がついたのではあるまいか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.175 より引用)
「元稲府川」については「泥んこ川といった感じではなかった」という話があるだけに、今回は名前通りの川だったようで一安心です。www.bojan.net
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