2021年2月23日火曜日

「日本奥地紀行」を読む (113) 金山(金山町) (1878/7/17)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十九信」(初版では「第二十四信」)を見ていきます。

喫煙(続き)

前回から引き続き、「日本奥地紀行(普及版)」ではばっさりカットされた部分の話題です。日本におけるタバコの歴史とその使用法について記した後、今度は「タバコの効能」についての話題となりました。日本ではタバコの効能についての議論が活発に行われているが、医者は中立的な立場を取っている、とした後に、次の文章が続いていました。

高名な著述家である貝原(益軒)は、茶と酒に比較して、全体として、「タバコだけでは何の益もない、他のなによりも害がある。一般の人には喫煙に対するこの小言は何の価値ももたないであろうが、これは紳士やすぐれた人々のためです。南蛮諸国からもたらされた習慣に従い、身体に害を及ぼすものをたしなみ賞賛するのは恐ろしい間違いだ。」原注2と断罪しています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.81 より引用)
貝原益軒……今の今まで「かいばらえけん」だと読み違えていました(汗)……は 1630 年の生まれで 84 歳まで生きたんですね。時期的に、ちょうどタバコが移入して広まり始めた頃の生まれということになるでしょうか。それだけにタバコの功罪を先入観無く、あるいはやや疑いの目で見ることができたのかもしれません。

「煙草記」という論文

一方で、1756 年には「煙草記」という論文?が刊行されており、それによるとタバコには次のような効能があるとされていたようです。

原注 1:サトウ氏は『煙草記』という論文から、タバコの効用と害についての以下の面白い記述を英訳した。
1. 気うつ[憂鬱]を払い、活力を増す。
2. 饗宴のはじまりにおいて一服するとよい。
3. 孤独の友である。
4. あたかも、一息入れるかのように、折々に仕事を休憩する言い訳として許される。
5. 思考を貯めこんだり、激怒を発散して追い払う時間を稼ぐ。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.81-82 より引用)
まるでダメな大人の言い訳……と言ってしまっては元も子もないですが、特に 4. については圧倒的なリアリティが感じられますね(笑)。江戸時代に既に「タバコ休憩」が存在していたというのはちょっと驚きです。

一方で、タバコの害についてもしっかりと記されていました。

しかし、他方 1) 怒りの発作で、キセルで人の頭を打ちすえる。生来の傾向がある。2) キセルは時々、火鉢の炭に火をつけるのに用いられる。3) タバコ常習者は口にタバコをくわえて饗宴の最中に料理の間を歩き回ることが知られている。4) 人々はまだ火の点いているキセルを火を消すことを忘れて灰皿に叩きつけるので、結果として、キモノやタタミがしばしばタバコの灰で焦がされる。6)(ママ) 喫煙者は火鉢、コタツ、あるいは台所の火や床を覆う畳の継ぎ目にも見境なく唾を吐く。7) 彼らは火壷の端に乱暴にキセルをこんこんと叩きつける。8) 彼らは灰皿が溢れるまでそれを捨てるのを忘れる。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.82 より引用)※ 原文ママ
あー、どれもあるあるですね……。昔は旅館の畳に焦げ跡があるのもちょくちょく見かけたものです。ちょっと不思議なのは 2) で、これは特に問題になるとは思えないのですが、良くない点があるのでしょうか……?

「明六雑誌」という新聞での論考

続いて貝原益軒の「タバコ批判」について、イザベラは次のような注記をつけていました。

原注2:私が東京にいたとき、「明六雑誌」という現地の新聞から英訳された女性の権利について書いた面白いものを眼にした。著者は、西洋の習慣の導入がもたらした一つの結果として女性の権利の拡大を非常に恐れ、実例(以前よりは一般的ではないが、ああ!)として、西洋人の間では男性は「まず女性の許しを得ることなく煙草を吸うことは許されない。」ということをあげている。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.82 より引用)
ふーむ。「女性は話が長いから良くない」と言ってのけた元首相もいましたが、日本の「男尊女卑」も筋金入りなのだなぁと改めて思わせますね。それはそれとして、イザベラが「女性の許し無く煙草を吸うことは許されない」という「西洋の習慣」について、「以前よりは一般的ではない」としたのは注目に値するでしょうか。

イザベラの嘆きを素直に読み解くと、以前は煙草を吸う側に「紳士の嗜み」があったが、今はそうでもない、となるでしょうか。これはもしかしたら……ですが、煙草を嗜む層が「紳士」から「庶民」に広がった、ということなんでしょうか?

それにしても、煙草を吸う側がその前にまわりに一言かけるというのは、現代においては最低限のマナーだと思われるのですが、それすら「女性の権利拡大」だと言うのですから、「昔の人」の人権感覚は恐ろしいですよね……。

この後も「明六雑誌」という新聞に掲載されたとする論考が続きます。和文の英訳を再度和訳したためか、どうにも意味の取りづらい文章になっていますが……。

「もし私が喫煙するとすれば、私は男性としての私の権利の実効を果たすためにそうするのだ。もし女性が、それが嫌だというのなら部屋から出て行くべきである。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.82 より引用)
この部分は、そのまま「喫煙者の本音」と見て良いのだと思います。この考え方について、「喫煙者(男性)」は次のように補足します。

(西洋)女性の喫煙嫌いが男性の楽しみを減じ、それは力の自由の制限を含んでいるのだから正当な理由が確かにありえない。私は、このような問題──そして、誰かの前では喫煙が許され、他の人の前では喫煙が許されないという──に男女差別のいかなる理由も見つけられない。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.82 より引用)
この部分についてちょっと意味を掴みかねていたのですが、要するに「女性が嫌がるせいで男性が喫煙する『権利』が阻害される」という批判については「女性差別とは言えない」、ということなんでしょうか。

一見マトモなことを言っているようにも見えますが、要は「女は黙っとれ」と言っているのと同じなんですよね。果たして男女を逆にしたらどう感じられるのか、少し考えてみればわかりそうなものなのですが……。

現在、この国では男女の間に存在するべき関係に関して多くの議論がある。それゆえ、とにかく、われわれの知的男性はこのことをよろしく考慮すべきである。もしそうでなければ、他の性の権利は徐々に拡大し、ついには、あまりに圧倒的になってしまい、統制がきかなくなってしまうだろうから。」
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.82 より引用)
こういった思想の持ち主が今でも生き残っているようで、時折「本音」を開陳して世論の反発を受けていますよね。ああいった人々は「知的男性」では無い、ということがよく分かる、のかもしれません。

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