喫煙
疲労困憊だったイザベラですが、新庄から「お取り寄せ」した「ノソキ医師」との会食の後、今度は改めて宿の主人と戸長(村長)の訪問を受けました。宿の主人と戸長《村長》が、夕刻に私を正式に訪ねてきた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.232 より引用)
宿の主人や戸長との会話は、意外なトピックで盛り上がりを見せます。彼らは、私が煙草を吸わないので、たいそう驚いていた。私が神に願をかけていると思っている!
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.233 より引用)
なんと彼らは、イザベラが煙草を吸わないことが信じられないらしく、願掛けのために禁煙しているのでは、と疑い始める始末だったようで……。英国の習慣や政治についていろいろと私に質問をしたが、話題はしばしば煙草のことに戻った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.233 より引用)
もちろん未知の先進国であるイギリスに対しても興味津々だったようですが、……よほど「煙草を吸わない」という点が衝撃的だったんですね(笑)。ここからは普及版でカットされた部分です
さて、「日本奥地紀行」には初版(完全版)と、初版からそこそこの分量をカットした普及版が存在するのですが、ここから先は普及版でバッサリとやられた部分です。なかなか興味深い文章なのですが、「奥地紀行」というメインテーマから見ると脱線気味だと判断されたのでしょうか……?喫煙は絶対的に一般に広く行われている。サトウ[アーネスト・サトウ]氏によればタバコは日本では 1605 年まで栽培されず、1612 年と 1615 年に将軍は栽培と使用の両方を禁止したが、「けむり草(タバコ)」中毒はあまりに根強く、1651 年には人々が家の外でタバコを吸うことを禁じる布告へと緩和された。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.80-81 より引用)
「アーネスト・サトウ」は後の駐日イギリス公使ですが、当時の肩書は「通訳官」だったでしょうか。Satow というのはドイツ系の姓らしく、日本滞在中は「薩道愛之助」という日本名を名乗っていたとのこと。今の感覚だと絶対「佐藤」なんですけどね(笑)。引用文中に出てくる「将軍」は 2 代将軍秀忠のことだと思われますが、どうやら煙草も鉄砲やキリスト教と近い時期に日本に入ってきていたんですね。昭和の頃までは「けむり草」をスパスパやる人を公共の場でも良く見かけたものですが、度重なる増税と禁煙キャンペーンのおかげで、今では随分と見かけることも少なくなってきた感がありますね。
上品な女性が喫煙者になったのはずいぶん昔のことです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.81 より引用)
どうやら明治時代初頭においても「喫煙」は「上品な女性の嗜み」と捉えられていた可能性がありそうですね。故にイザベラが煙草を吸わないとなった時に「何故!?」という反応になった、と考えられそうです。現在、都市ではパイプ(煙管)、タバコ入れ、タバコが売られている商店の数はおびただしいものです。どんな村でもとにかく店というものがあれば、喫煙の道具が置いてある店が1軒はあり、街道に沿って同じ目的の露店があり、火壷と灰皿のある煙草盆は最も貧乏な家でさえ家具の一部となっています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.81 より引用)
うーん。なんとなくわかる感じもします。今ではコンビニに取って代わられましたが、かつてはどんな村にも「たばこ屋」がありましたね。あと専売制だった頃は「塩」のホーロー板?もあったような……(記憶あやふや)この主題にあてられるある種の文学では、タバコは「貧乏草」や「あほうの草」などと呼ばれています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.81 より引用)
タバコの「害」は、健康を損なうリスクが大きいという点が最たるものですが、「嗜好品」に日銭をつぎ込むというのもまた、リスクの一つと言えそうでしょうか。イザベラが旅をしていた頃、既にそういった認識を持つ人々がいたというのは興味深いですね。日本人の煙管はしばしば、その人の心のよりどころとなっています。これらの男たちは私にすべての人は「昼も夜も絶えずタバコに夢中」であると言いました。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.81 より引用)
あー、これは立派なニコチン中毒のような……(汗)。ここまで来るともう「タバコのために生きている」感すら覚えますが……。「初版」は誰のためのものか
ただ、ここでふと思うのは、タバコの「喫煙」という風習は何も日本に限った話ではなく、寧ろ戦国末期に諸外国(おそらくヨーロッパでしょう)から持ち込まれたものなので、何も改めてその習慣性を改めて書き示す必要はあるのだろうか、という点です。改めて「日本奥地紀行」の「完全版」と「普及版」の違いについて考えてみると、俗に「オフトピック」と呼ばれる、「奥地紀行」には無くても良い記述がバッサリとカットされていることに気づきます。逆になぜ「完全版」には、本来「奥地紀行」に必要のない記述が含まれているのか……という話ですが、ここまで目を通してきた印象では、やはり「スポンサー向け」の記述が大半を占めているのではないでしょうか。
イザベラのスポンサーとして真っ先に思い出されるのが「キリスト教会」と「イギリス政府」ですが、どちらも日本での影響力を拡大することを望んでいた……と思われます。元も子もない言い方をすれば「食い物にしょうとしていた」ということになるのですが、たとえば「男どもは昼も夜もタバコに夢中である」という「情報」は、日本におけるタバコ関連の「権益」が膨大な富をもたらす可能性を示している……ようにも思えます。
イザベラがどこまで「片棒を担いでいた」認識があったのかは不明ですが、「完全版」における地誌的な記述の充実ぶりには「スポンサー」も満足していたのでは無いでしょうか。
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