(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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ポン川
(典拠あり、類型あり)
東神楽町の市街地は忠別川の南、旭川空港の北に広がっていますが、「ポン川」は市街地と空港の間を流れていて、最終的には忠別川と合流しています。なお、ポン川の水源をたどると「ひがしかぐら森林公園」にたどり着くのですが、そこにある池は忠別川から水を引いているように見えます。単なる支流というよりは、忠別川の分水のような感じでしょうか。山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。
ポン川
神楽岡公園のすぐ上で忠別川に入る支流の名。忠別川の南側をずっと並流している。明治の地図ではフシコチュㇷ゚ペツと書かれている。「古い・忠別川」つまり忠別川の古川の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.107 より引用)
確かに明治時代の地形図には「フシュコチュㇷ゚ペッ」と言う名前の川が現在の「ポン川」の位置に描かれています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「フシコヘツ」という名前の川が忠別川の別流として描かれていて(但し「フシコヘツ」と「フシュコチュㇷ゚ペッ」は若干位置が異なるようにも見えます)、また永田地名解にも次のように記されていました。Hushko chup pet フㇱュコ チュㇷ゚ ペッ? 舊東川忠別川の水を「東神楽遊水地」に引いているのは人為的なものですが、古くは自然な形で忠別川の分流として存在していたと考えても不思議はありません。husko-{chiw-pet} で「古い・{忠別川}」と見て間違い無さそうです。
なぜポン川となったかは分からない。ポン・チュㇰペッ(小・忠別川)ぐらいの名でも呼ばれていて,それが下略されてポン川となつたのでもあろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.107 より引用)
そんなところなんでしょうね。husko と言うと「旧河川」というイメージがついて回りますが、この「ポン川」の場合、明治以降もそれなりに水が流れていて、そして用水路としても使用されたであろう「現役の川」だったので、むしろ pon-{chiw-pet} で「小さな・{忠別川}」のほうが現状に即していたのかもしれません。志比内(しびない)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(?? = 典拠なし、類型あり)
東神楽町南東部の地名で、同名の川も流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「シヘナイ」という名前の川が描かれています。ただ「シヘナイ」は忠別川の北支流として描かれていますが、実際の「志比内川」は南支流です(この程度の間違いは割と良くある話ですが)。
「鮭・川」説とその反論
永田地名解には次のように記されていました。Shibe nai シベナイ 鮭川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.51 より引用)
山田秀三さんは「東西蝦夷山川地理取調図」や「再篙石狩日誌」に「チクヘツ」あるいは「チュクヘツ」とあることから、忠別川は chuk-pet で「アキアジの川」あるいは「秋の川」だったのではないか、との可能性を記していました。ところが永田地名解は「志比内」こそが sipe-nay で「鮭・川」である、としたのですね。これをどう考えたものか……という話です。
更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記してありました。
同じ忠別川の支流にカムイチェブオッナイ(神の魚のいる川)というのがあり、カムイチェブ(神魚)は鮭の尊称であるが、一方をシベ(鮭) といい、一方をカムイ・チェプ(神魚)とするのはおかしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.132 より引用)
ん、そんな川があったかな……と思って確認してみた所、確かに「上川郡アイヌ語地名解」に「カムイチェプオツナイ」という川が記録されていました。「エオルシ」と「ノカナン」の間なので……あ。道道 1116 号の「チョボチナイゲート」
道道 1116 号「富良野上川線」という、いちぶで有名な道路があります。大雪山の西側を縦走する道路として計画されましたが、その後計画は大幅に縮小された上、供用済みの区間も一年の間に一ヶ月程度しか走れない(期間外はずっと通行止め)こともあり、「幻の道道」として知られています。道道 1116 号の通行止め区間の南端に「チョボチナイゲート」という名前のゲートがあるのですが、この「チョボチナイ」がどうやら「カムイチェプオツナイ」に由来するらしいのですね。現在の地形図ではゲートの近くに川は描かれていませんが、古い地形図を見るとたしかに「カムイチュㇷ゚オツナイ」と描かれていました。
更科さんはこの川の存在を根拠に「鮭を kamuy-chep(神・食べ物)呼びする風習があるので、sipe(主たる・食べ物)呼びはおかしいのではないか」という反論を試みた……ということになりますが、永田説を棄却するのに十分かと言われると、ちょっと不足しているかな……と感じてしまいます。
「主たる・石・川」説
「鮭・川」説を否定した更科さんが「志比内」をどう解釈したか……という話ですが、沢山枝川があるので区別してシ・ピ・ナイ(本当の小石川の意) ではないかと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.132 より引用)
ふむふむ。割と穏当な説が出てきたかな、という印象です。山田秀三さんの「北海道の地名」にも、同様の記述がありました。旭川市史の解は「シ・ピ・ナイ(大・石・川)」と書いたのであるが,実はよく分からない川名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.108 より引用)
「旭川市史の解」とあるのは、他ならぬ知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」のことです。念のため引用しておきますと……シピナイ(Shí-pi-nai「大・石・川」)右,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.328 より引用)
このように記されていました。si-pi-nay で「主たる・石・川」と読めます。山田さんはこの解を引きながら「よく分からない川名である」としましたが、次の点が気になっていたようでした。野中の小流で,川底を見ると大き目の石がごろごろしている程度の川である。昔ごろた石の中を流れていた時代でもあってこの名がついたか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.108 より引用)
現状を見た限り、山田さんの目には pi-nay(石・川)とは見えなかった、という点を気にしていたようです。「主たる・細く深い谷川」説
「志比内」が果たして si-pi-nay と呼ぶに相応しい川であるかどうかは判断ができませんが、実際の地形と「シピナイ」という音からは si-{pin-nay} で「主たる・{細く深い谷川}」と考えたくなります。このあたりはとにかく丘陵に傷を刻み込んだような形で川が流れていますが、志比内川はその中でも細く長い「傷」が伸びているように見えるので、そのことを形容して川の名前になったのではないかと思われるのですが……。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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