2020年12月31日木曜日

冬の愛媛・大分フェリー旅 2020 (6) 「愛媛情勢は複雑怪奇」

松山城の南西角に相当する「西堀端交叉点」から、国道 56 号で南に向かいます。宇和島まで 92 km、国道 33 号経由で高知まで 121 km とのこと。

突然の踏切、連発

またしても前方に踏切が見えてきました。どうやら高浜(北西のほう)からやってきた伊予鉄道の踏切のようですね。その奥には「松山電気ビル」も見えていますが、これは四国電力の愛媛支店が入っているビルみたいです。
今度は四電のロゴと「原子力本部」の文字がデカデカと出ているビルが。伊方原発が愛媛県にあるので、松山に「原子力本部」があるのでしょうか。
そして、うわ、また踏切が! 今度は郡中港行きの伊予鉄道の踏切のようです。「郡中港」と言われても「あれ、どこだっけ」となるのですが、「伊予市」と言われると「ああ」となるかも、ですね。
ちなみに「郡中町」が「北山崎村」「南伊予村」「南山崎村」と合併して「伊豫市(伊予市)」が成立したのは 1955 年だとのこと。歴史ある「郡中」の地名はこうして失われたのか……と思いきや、実は「山崎」のほうが遥かに古くからあったのだとか。伊予市情勢も複雑怪奇ですね。

消えた右側車線

複雑怪奇と言えば、片側 3 車線だった筈の国道 56 号が、いきなり一番右側の車線が終了するようです。ここまで散々「左折やでー」攻撃を受けてきたので、とりあえず中央を走れば間違いないというライフハックが通用しなくなるではありませんか……!
車線が減少するのは本気みたいで、十分な用地があるにもかかわらず広い中央分離帯が形成されていました。
……と思っていると、右折車線が出てきたのですが……
右折車線ですよね。ええ、間違いなく右折車線ですよね?

蘇る右側車線

……一番右側の車線は右折車線だった筈なのですが、しれっと片側 3 車線に戻っています。わざわざ巨大な中央分離帯を設けてまで 2 車線に減らしたのは何故だったのでしょう……?
一番右側の車線が右折車線兼用という訳でも無く、ちゃんと専用の右折車線も設けられています。
それだったら……ということで、今度は一番右側の車線を走ってみたのですが、うわ、これはそのまま右折車線に早変わり、というパターンでしょうか?
ということで慌てて中央車線に戻ったのですが、なぁんだ、専用の右折車線が用意されているじゃないですか(一番左側の車線は、またしても「左折やでー」でしたが)。
ということで、結局右側車線に戻りました。立体交叉しているのは「松山環状線」で、右に向かえば堀江港方面に逆戻り、左に向かえば道後温泉方面に逆戻りです。

日本中央の碑

左折すると「松山中央公園」「坊っちゃんスタジアム」という案内がありました。位置を確認してみると松山市の中央部からはかなり南に外れているようにも見えるのですが、「松山中央」なんですね……?
「松山外環状道路」との交叉点が近づいてきました。松山道の「松山 IC」へは左折、「伊予 IC」へは直進のようですが、同じ松山道でも「E11」と「E56」が混在するんですね。並行する国道の番号に由来する……というのは理解できるのですが、ちょっと混乱しそうな気も。
「重信川」を渡って松山市を脱出します。重信川って源流部は西条市(旧・周桑郡丹原町)にあるらしいですね。町村界と分水嶺がびみょうにズレているケースはちょくちょくありますが、重信川の源流部もその一例のようです。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


0 件のコメント:

コメントを投稿