(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
愛冠(あいかっぷ)
(典拠あり、類型あり)
石狩市浜益区送毛と毘砂別の間は、海岸線が険しすぎることもあってか、古くから「送毛山道」という山越えのルートが交通路として使用されていました(現在は「新送毛トンネル」で通過できますが)。「送毛山道」で最も標高の高い地点で 401 m ほどですが、そこから真西の方角の海沿いに「愛冠」という地名?が記されています(大縮尺の場合)。「愛冠」はどこに
大正時代の陸軍図には、「愛冠岬」として描かれています。現在の地形図とは随分と異なった形で描かれていて、よく見ると方角すら異なっています(真西の筈が北西に位置するように描かれている)。明治時代の地形図でも、送毛山道の最高地点から見て北西の位置に「アイカㇷ゚」と描かれています。また「アイカㇷ゚」の南に「タラマ」と描かれていて、これは現在の地理院地図の記載と南北が逆になっています。地理院地図が「鷲岩」の南に「愛冠」を描いているのが、少し疑わしいのかもしれません。
地理院地図が現在の位置に「愛冠」と記しているのは、「東西蝦夷山川地理取調図」が「フユマシリ」のすぐ隣に「アイカツㇷ」を描いていることも影響しているかもしれません。
「西蝦夷日誌」によると
西蝦夷日誌には次のように記されていました。同じ岩岸(三十三町十三間)アエカツプ〔愛冠〕(大岬)、高十餘丈の岩突出す。昔し此處の土人、此岩の上より矢を放ち、寄手もまた下より矢を放ちしが、互に當らざりし故に號しなり。アイカツプとは出來ざると云事を云也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.215 より引用)
この「三十三町十三間」ですが、直前に「ブエマシラリ」というポイント(ネタバレ感が)が紹介されていたので、そこからの距離と考えるのが自然でしょうか。一町が 109.09 m だとすれば、おおよそ 3.6 km ということになります。折角なので、もう少し「西蝦夷日誌」の記述をチェックしてみましょう。
岬を廻りてエヤシベカルシ(番屋一棟、かやぐら)、昔し土人等小網を以て此處にて魚を取始し故事にて號く。従レ是小石濱(十三町五十五間)カバルシ(砂濱)、本名カバルシユマなり。幷てビザンベツ(川幅三四間、はしあり)、譚して小石流れおつる儀なり。また一説に、鮭・鱒多きとの儀とも云り。山道此處に下るなり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.215-216 より引用)
「送毛山道」の出口は毘砂別なので「山道此處に下る」という認識は正しそうですね。そして「ビザンベツ」の手前に「カバルシユマ」という場所があるとのこと。kapar-suma は「平たい・岩」なので、現在「毘砂別神社」のあるあたりの西側のことでしょうか。西蝦夷日誌の記述をまとめてみると、次のようになるでしょうか。
ブエマシラリ(大崖壁)── 約 3.6 km ── アエカツプ(大岬)── エヤシベカルシ(番屋一棟、かやぐら)── 約 1.5 km ── カバルシユマ(砂浜)
残念なことに「アエカツプ」と「エヤシベカルシ」の間の距離が不詳のため、この記述にどこまで信が置けるかは何とも言えませんが、少なくとも地理院地図にある「愛冠」の位置が少々疑わしい、ということは言えるかと思います。
「再航蝦夷日誌」では
旅程という話なら「再航蝦夷日誌」にも記載があるのですが、「ヲクリケ」と「アイカツフ」の間が「二十丁」で「アイカツフ」と「ヒサンベツ」の間が「十五丁」とあります。仮に一丁が 109.09 m だとした場合、送毛と毘砂別の間が約 3.8 km ということになってしまうのですが、実際には直線距離でも 5.7 km ほどあるので計算が合わなくなります。丁巳日誌「天之穂日誌」では
同様に、丁巳日誌「天之穂日誌」には「フヱマシラリ」から「アイカツフ」まで「廿丁」、「アイカツフ」から「ヒサンヘツ」まで「十六丁」とあります。これらの記録からも「アイカツフ」と「ヲクリケ」(または「フヱマシラリ」)の距離よりも「アイカツフ」と「ヒサンベツ」の距離のほうが短い、ということは言えそうですし、地理院地図にて「鷲岩」の南に「愛冠」とあるのはおかしい、とは言えるかと思います。
「愛冠」の意味
「愛冠」はどこにあったのか……という話で散々続けてしまいましたが、地理院地図に「タラマ」とあるあたりかと思います。そしてようやく「愛冠」の意味ですが、「西蝦夷日誌」には次のようにありました。アイカツプとは出來ざると云事を云也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.215 より引用)
あっさりと正解が記されていました(汗)。この aykap については、知里さんの「──小辞典」にも次のようにあります。aykap あィカㇷ゚ 《完》できない; できなくなる; とどかない; とどかなくなる。(対→askay)。──この地名は方々にあり,けわしくて通りぬけられぬような岬をさして云っている。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.12 より引用)
送毛から毘砂別の間の海岸線では、一番目立つ岬が「ブイマワシ」で、次が「タラマ」の南北の岬でしょうか。タラマの南の岬はブイマワシから 3.6 km ほどなので、「西蝦夷日誌」の記録とも一致するのですが、松浦武四郎の記録した距離がどれだけ正確だったかは、正直良くわかりません。そういう岬の上には,古く神を祭る幣場があり,漁や狩或は戦争に出かけるさい,そこの神に祈って,そこの崖とか岩とかに矢を射て運勢を試す土俗があったらしい。その際,矢のとどかなかった所に「あイカプ」という名がつき,多く戦争の際に矢がとどかなかったというような伝説がついている。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.12 より引用)
足寄町にも同名の「愛冠」という地名がありますし、また「チトカニウシ山」という山もありますね。アイヌの弓占に由来する地名は道内のあちこちに見られますが、ここもその一つだった、ということでしょう。閑話休題
aykap は「できない」という意味で、より具体的には「矢が届かない」となろうかと思います。ブイマワシ
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
送毛の北北西に位置する岬の名前です。意外なことに明治時代の地形図には描かれておらず、また永田地名解にも記載がありません。ただ「東西蝦夷山川地理取調図」には「フユマシリ」という名前の岬が描かれていました。また「西蝦夷日誌」に「ブエマシラリ」と記されていたのは前述のとおりです。
丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。
此処の岬をこへてシリトイより十丁
フヱマシラリ
大岩崖なり。フヱマシラリは岩が破れて落ると云事のよし。フエは疵也。シラリは岩と云事の由。甚の難所なりとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.431 より引用)
「フエは疵なり」とありますが、ちょっとピンと来ないですね……。puy は一般的には「穴」と解釈できるかと思いますが、知里さんの「──小辞典」によると「②【シャリ】頭;岬」ともあります。あ、あと「エゾノリュウキンカの根」という意味もありましたね(「プイタウシ」などでおなじみ)。sirar は「岩」、あるいは「平磯」と言った意味になろうかと思います。となると「ブエマシラリ」は puy-oma-sirar で「穴・そこにある・岩」あたりでしょうか。「岩が破れて落ちる」とか「疵」あたりとも、どことなく似ているような感じが……するのでは……。
あ、「ブイマワシ」の「ワシ」については、もしかしたら道南に良く見られる「ワシリ」の短縮形の可能性もあるかもしれませんね。
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