「幌内炭鉱のはじまり」というパネルが掲出されています。「北海道の近代石炭産業のはじまり」「採炭と鉄道輸送の結びついた近代炭鉱」と言われてみると……なるほど確かに。茅沼炭鉱のほうが歴史は古かったかと思いますが、小樽(と室蘭)に鉄道で直結したのは幌内炭鉱が最初でしたよね。
幌内炭鉱のあゆみ
「幌内炭鉱のあゆみ」が年表形式でまとめられていました。右端に、「平成元年」「幌内炭鉱閉山」が付け足されていました。国のエネルギー政策の転換ですぐに閉山に追い込まれた炭鉱が多かった中で、平成元年まで生き延びたというのは相当な努力があったのでしょうね……。
往時の「炭鉱町」の姿を克明に切り取った写真も展示されていました。
炭鉱そのものの写真もありました。これは「ズリ運搬のトロッコ」と題された写真で、ズリ(捨石)を山の上に運搬するためのケーブルカーでしょうか。複線になっているのは釣瓶井戸と同じように、片側のトロッコを引き上げると同時にもう片側を下ろすようになっているのでしょうね。
友子制度
こちらのパネルでは「友子制度」が紹介されていました。鉱夫仲間にはこんな互助制度があったのですね。「親分、古文、兄分、弟分のちぎり」と言われると、まるで「任侠」のようだな……と思えてきますが、Wikipedia には次のようにまとめられていました。
任侠(にんきょう、任俠)とは本来、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す語。(Wikipedia 日本語版「任侠」より引用)。
なるほど。「友子制度」は本来の「任侠」と極めて近いものだったんですね。
現代的にはヤクザと重複する面もあるが依拠する信念を違える。また、ヤクザ史研究家の藤田五郎の著述によれば、正しい任侠精神とは正邪の分別と勧善懲悪にあるという。(Wikipedia 日本語版「任侠」より引用)。
ふーむ。「正しい任侠精神」に「倍返し」の概念が追加される日は来るのでしょうか(たぶん無い)。
100 年前の炭鉱住宅
「100 年前の炭鉱住宅」を復元したものも展示されていました。改めて見てみると凄く狭いですが、どこに布団を敷いていたのでしょう。また防寒という意味でも厳しそうですが、もしかして商品にならない石炭が配布されたりしたんでしょうか……?
展示室の外にはこんな車輌が展示されていました。蓄電池機関車……でしょうか。
退館!
「化石」と「郷土の偉人」と「炭鉱」のトリプルコンボがガチッと決まった形の展示を堪能して、博物館を退出しました。「本日の入館時間は 4 時 30 分で終了しました」と出ていますが、まだ午後 2 時前ですので念のため(裏側、なんでしょうね)。ゴールデンウィークだけあって結構な人出で賑わっていましたが、なるほど色々とイベントも企画されていたのですね。GW 明けの土曜日にも、しっかり「みかさ梅まつり」が準備されていたようで。
それでは、車に戻ることにしましょうか。
外気温センサーは 33 ℃ を指していました。まだ 5 月なのに……(仕組み上、実際の気温より高く表示されるものですが)。
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