(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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ピンネシリ
(典拠あり、類型あり)
当別町と新十津川町の境界上に聳える、標高 1,100.4 m の山の名前です。同名の山が道内のあちこちにあるのでご存じの方も多いかと思います。pinne-sir で「男である・山」と解釈できます。ただ、明治時代の地形図には、「ピン子チセ子シリ山」と描かれていました。これは pinne-chise-ne-sir で「男である・家・のような・山」と読めます。大正時代の陸軍図では「賓根山」という漢字表記になっていて、その上に「地勢根尻山」と描かれていました。
「チセネシリ」も道内のあちこちにあるのですが、「家のような山」という意味で、実際には「屋根のような形」をしています。知里さんは「斜里郡内アイヌ語地名解」の序文で、次のように記していました。折角なので、ちょっと長い目に引用してみましょう。
たとえばチセネシリという山名が北海道のあちこちに見いだされる。従来それを「家の形をした山」と訳しつけている。なるほどチセは「家」,ネは「のような」, シリは「山」の意味であるから,それを「家のような山」「家の形をした山」と訳すことにまちがいはない。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.247 より引用)
ここまでは良いですよね。そして「チセネシリ」が必ずしも今の「チセ」と似ていない理由について、次のように考察していました。しかし現実に見る山はちつともわれわれの考える家に似ていはしない。家の屋根だけ持つて来て地上においたような恰好の山である。むしろ「屋根の形をした山」と訳出した方が今のわれわれの観念にはぴつたりするのである。古く人間が竪穴に住んでいた時代があり,そういう時代の家は屋根だけが地上にあらわれていたのである。チセネシリという山の名は,つまりそういう古い時代に名づけられたものだったのである。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.247 より引用)※ 原文ママ
どうやら「チセネシリ」は、辞書的に訳すと「家のような山」で良さそうですが、実際のニュアンスとしては「屋根の形をした山」と捉えて良さそうですね。
待根山(まつね──)
(典拠あり、類型あり)
ピンネシリ(かつて「ピンネチセネシリ」と呼ばれた山)の南東に聳える標高 1,002 m の山の名前です。ピンネシリと同様に、当別町と新十津川町の境界上に聳えています。明治時代の地形図には「マツ子チセ子シリ山」と描かれていました。ピン子とマツ子が並んでいたことになりますね……。意味するところは明瞭で、matne-chise-ne-sir で「女である・家・のような・山」と読み解けます。
本来は chise-ne-sir だけで良さそうなところに pinne- や matne- が付け加えられたのは、まるで二つの山が「夫婦岩」のように相対する位置に並んでいたということだと思われます。
更科さんの「アイヌ語地名解」には、ちょっと面白い情報がありました。
待根山(まつねやま)
アイヌ名マッ・ネ・シリは女のような山の意。地元では小坊主と呼んでいる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.115 より引用)
「女のよう」なのに「小坊主」というのが面白いですよね。「雄山」「雌山」として崇拝の対象になるような山なのか……と思ったのですが、どうやらそうでも無さそうな感じで。大きな山は女がでかい?
「雄山」と「雌山」というペアとしては「羊蹄山」と「尻別岳」もそうでしたが、このペアは小さいほうの「尻別岳」が「ピンネシリ」で、圧倒的に大きいほうの「羊蹄山」が「マチネシリ」の異名を持っていました。阿寒湖でも「雄阿寒岳」よりも「雌阿寒岳」のほうが大きく、メスのほうが大きいのが普通なのか……!? と思ってしまいますが、中頓別町の「敏音知岳」「松音知岳」はオスである「敏音知岳」のほうが大きいので、必ずしもメスが大きい、ということでも無いようです。
今回の「ピンネシリ」と「待根山」の場合も、「ピンネシリ」が少し大きいので、中頓別の「敏音知岳」「松音知岳」と似たような感じですね。
神居尻山(かむいしり)
(典拠あり、類型あり)
ピンネシリの西に聳える標高 946.7 m の山の名前です。この山は当別町と新十津川町の境界から少し西に抜けたところにあり、頂上は当別町内にあります。「道民の森 神居尻地区」でおなじみですね。更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
神居尻山(かむいしりやま)
賓根山の西にある山。カムイ・シリとは神の山の意で、熊の多い山のこと。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.115 より引用)
明治時代の地形図にも「カムイシリ」とありましたので、kamuy-sir で「神・山」あるいは「熊・山」と考えられそう……というか、そう考えるしか無さそうですね。熊は kim-un-kamuy で「山・にいる・神」とする場合もありますが、今回の場合はそこまで言わなくても自明だ、とも言えるかもしれません。www.bojan.net
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