(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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樺戸川(かばと──)
(? = 典拠あり、類型未確認)
新十津川町の南部を流れる川の名前です。「樺戸」は郡名でもありますが、川の規模は割と小さなものです。この「樺戸」について、まずは永田地名解を見てみましょう。
樺戸郡 「カパト」(Kapato) ハ水艸ノ名、和名、「ハカホネ」、今人「コウホネ」ト云フ郡中「オサッナイ」ト「ウライウㇱュペッ」ノ間ニ河沼アリ河骨多シ故ニ名ク今人月形村ヲ「カバト」ト思フハ非ナリ文政四年上下樺戸場所ヲ置クふむふむ。「カパト」は「コウホネ」だと言うのですが、確かに知里さんの「植物編」には次のように記されていました。
§266. コォホネ Nuphar japonicum DC.
kapato (ka-pá-to)「カぱト」根莖 《幌別》
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.153 より引用)
ということで、「樺戸」は kapato で「コウホネ」と考えて良さそうでしょうか。ちょいと余談ですが
現在の「樺戸川」は新十津川町の「南十六号線」に沿う形で直接石狩川に注いでいますが、もともとは石狩川に並行する形で南に流れていました。新十津川町と浦臼町の境界は少し不自然な形で南に伸びていますが、この町境がかつての「樺戸川」の流路だったみたいです。なお、新十津川町と浦臼町の境には「樺戸境川」という川が流れていますが、古い地図では「ニナルシュカパト」と描かれていました。ninar-us-kapato で「台地・ついている・樺戸川」あたりかと思われます。
また、永田方正が「月形村を『カバト』と思うは非なり」との註をつけていますが、「樺戸」と言えば月形であるという解釈が広まっていたのは「樺戸集治監」が月形にあったことからも裏付けられるかもしれません。
総富地川(そっち──)
(?? = 典拠なし、類型あり)
徳富川(とっぷ──)の南支流の名前です。徳富川を河口から遡った場合、最初の支流ということになります。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ソフチ」という名前の川が描かれていました。また「再篙石狩日誌」にも「ソフチ」という名前で記録されています。
永田地名解には次のように記されていました。
Sopchi ソプチ ?
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.57 より引用)
伝家の宝刀「?」が久々に炸裂した感じでしょうか。山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。
総富地川 そふちがわ
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.50 より引用)
まず読み方からして多少の違いがありそうですね。大正時代の陸軍図には「惣富地川」という記入もありました。ソ・ウㇱ(滝が・ある)とも聞こえるが,滝はない由である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.50 より引用)
「滝は無さそう」とした上で、次のような試案を出されていました。あるいはソッキ(sotki 寝床。獣や魚が集まる処)の転訛かもしれないが,音だけの話で資料が全く見当たらない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.50 より引用)
なるほど……。ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」などに「ソフチ」とあるほか、明治時代の地形図にも「ソㇷ゚チ川」「ペンケソㇷ゚チ川」「パンケソプチ」とあります。どうやら現在総富地川の本流とされている川は「ペンケソプチ川」で、「砂金沢川」と呼ばれている川が「パンケソプチ」だったようです。sotki が「そっち」や「ソㇷ゚チ」に化けたという説は一考の余地がありますが、古い記録が軒並み「ソフチ」あるいは「ソㇷ゚チ」で統一されているので、そうだとすれば、かなり昔に地名の取り違えがあったと考える必要がありそうです。
改めて so の意味を知里さんの「──小辞典」で確認してみると……
so そ(そー) ①水中のかくれ岩。②滝。③ゆか(床)。④めん(面); 表面一帯。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.125 より引用)
so と言えば「滝」という印象というか、固定観念のようなものがありますが、これを見る限りは so と呼べる範囲?は結構広いようにも思えます。中流部から上流部にかけて「水中のかくれ岩」のある、少し勾配の目立つ川だったのかもしれません。so-puchi で「滝・入口」だったのでは無いでしょうか。www.bojan.net
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