(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
ハクシュオモナイ川
(典拠あり、類型あり)
空知川の南支流で、赤平駅の少し西を流れています。道道 691 号「赤平歌志内線」に沿って流れる川、でもあります。地理院地図では「ハクシュオモナイ川」ですが、国土数値情報では「ハクシップオモナイ川」となっているようです。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハツキシユハヲマナイ」という名前の川が描かれています。明治時代の地形図には「ハクシェプオマナイ」と描かれているように見えますが……若干不明瞭なので読み間違いがあるかもしれません。
丁巳日誌「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。
過て昼飯を仕舞てしばし行
ハツキシユバヲマナイ
右の方小山、此辺より椴の木を見る。其山根石炭多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.369 より引用)
意味するところがどうにも良くわかりませんが、幸いなことに永田地名解にも記載がありました。Hak shup oma nai ハㇰシュㇷ゚ オマ ナイ 鮫ノ産卵スル淺キ川えっ……? えーと……。hak-sup-oma-nay で「浅い・チョーザメの産卵穴・そこにある・川」ということですね? sup は「渦流」「激湍」という印象があったのですが、「チョーザメの産卵場」という意味もあったのですね……。
幌倉川(ほろくら──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(?? = 典拠なし、類型あり)
空知川の北支流の名前で、赤平市の西部を流れています。更に西側の、滝川市との境界には「ポンクラ川」も流れています。明治時代の地形図にも「ポロクラ」「ポンクラ」と並んで(多少離れているものの)描かれています。永田地名解にも記載がありました。
Sa kush kura サㇰㇱュ クラ 機弓ヲ置ク前川
Poro kura ポロ クラ 機弓ヲ置ク大川
Pon kura ポン クラ 機弓ヲ置ク小川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.65 より引用)
この解釈について、山田秀三さんは次のように記していました。ku-rar(弓を・置く)とでも読んだものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.66 より引用)
「北海道駅名の起源」の変遷
また、不思議なことに「ポンクラ川」の近くにある根室本線・東滝川駅が、1913 年の開設から 1954 年まで「幌倉駅」を名乗っていたそうです。ということで、いつもの「北海道駅名の起源」を見ておきますと……東滝川(ひがしたきかわ)
所在地 滝川市
開 駅 大正 2 年 11 月 10 日 (客)
起 源 もと「幌倉」といい、アイヌ語の「ポロ・クラ」(親である岩のがけ)からとったが、市制施行の際、滝川市街の東にあるので、昭和 29 年 11 月 10 日「東滝川」と改めたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.116 より引用)
この解釈について、山田秀三さんは「北海道の地名」で次のように記していました。クラを岩崖と呼んだ地名を従来見たことがない。どんな典拠でこれが書かれたのであろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.66 より引用)
山田さんの疑問についてですが、「崖」(がけ)ではなく「影」(かげ)だとすれば理解が進むかもしれません。kur は「影」を意味することもあるので、poro-kur-an で「大きな・影・ある」と考えたのでは無いでしょうか。幌倉川の東には「エルム森林公園」がありますが、エルム森林公園の尾根は南のほうまで伸びているので、この尾根のおかげで午前中は日陰になることが多いのかな、と思ったりもします。ただ、同様の特徴は「ポンクラ川」には存在しないので、「影」説はちょっと厳しいような気もします。
「クラ」は「クヽラ」だった?
となるとやはり永田説の poro-ku-rar で「大きな・仕掛け弓・置く」なのか……ということになるのですが、改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、そこには「クヽラ」という名前の川が描かれていました。「クラ」が「ククラ」になったところで意味が明瞭になったとは思えませんが、もしかしたら kot-kor で「窪み・持つ」という可能性は無いかな……と思えてきました。まぁ川なので谷間の窪地があっても当たり前なんですが……。
ナエ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
空知川の南支流で、赤平市と砂川市の境界を流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ナヱ」という名前の川が描かれていて、古くからそう呼ばれていたことが見て取れます。山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。
ナエ川
空知川南岸,砂川市と赤平市の境の川。ナイ(nai 川),あるいはナイェ(naye その川)の意。このように,固有名詞になりきっていないみたいな川名が諸地に散在していた。この辺だけでも,中流に別の奈江川がある。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.66 より引用)
nay または所属形の naye がそのまま川名になった(固有名詞になりきっていない)ケースとされる中で最も有名なのが「奈井江」でしょうか。ただ、個人的にはこの考え方に少し疑問を持っています。「内大部川」の例
士別市に「西内大部川」という川があります。この川は、水源部に遡ると最終的に左にクルっと半回転するのが特徴的で、川の名前も {nay-e}-etaye-pet で「{水源}・引っ張る・川」ではないかと考えています。「内大部」と言えば、同名の川が深川市の新城峠の北を流れていますが、この川の源流と考えられる「ヌプリコマ内大部川」も同様に、水源が山頂に近いところまで「引っ張られて」いました。
もちろん、川を遡れば山に達するのは自明なことですが、山頂近くではなく鞍部が水源となることも少なくありません。また、「内大部川」の場合、いずれも水源が山頂近くに向かうように「捻じ曲げられている」という特徴もあるかもしれません。
「川・頭」(水源)説
要は「内大部川」と「奈井江川」の水源部の構造が似ているのではないか……という話です。つまり、nay-e は所属形の「その川」ではなく「川・頭」(水源)を意味するのではないか、ということです。……という先入観を持って「ナエ川」を見てみると、最上流部で川が 3 つに分かれていて、いずれも神威岳の北西尾根に向かっているように見えます。内大部川のように {nay-e}-etaye-pet で「{水源}・引っ張る・川」かもしれませんし、あるいは {nay-e}-sep で「{水源}・広くなる」あたりの可能性もあるかもしれません。
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