(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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平岸(ひらぎし)
(典拠あり、類型あり)
赤平市東部の地名で、同名の駅もあります(アパマンショップが爆発した「平岸駅」とは異なります)。ということで、まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。平 岸(ひらぎし)
所在地 赤平市
開 駅 大正 2 年 11 月 10 日
起 源 アイヌ語の「ピラ・ケシ」(がけのしも) から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.117 より引用)
ふむふむ。とりあえず「平岸」は pira-kes(-oma-nay) で「崖・末端(・そこにある・川)」と考えて間違い無さそうですね。ただちょっと気になる点もあるので、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」も見てみましょう。赤平の平岸駅は崖のしも手でなくて、むしろ上手にあたっていて、昔平岸といったところは現在下平岸といっている部落の、更にある下流の地点に名付けたのである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.118 より引用)
あー、なるほどそういうことですね。更科さんが「下平岸」と書いたのは、現在の茂尻駅の周辺のことです。平岸と茂尻の間に「桂川」という川が流れていますが、この川が昔は「モシリケシュオマナイ」と呼ばれていたのだそうです。平岸は茂尻だった?
そして面白いことに現在「ゴリョウ川」と呼ばれている川(御料地から流れる川、でしょうか)はかつて「モシリパオマナイ」と呼ばれていたとのこと。これらの川名から考えると、現在の「平岸西町」のあたりが「モシリ」と認識されていたと考えられそうです。更に不思議なことに、茂尻駅の西を流れる「モトマチ川」が、かつては「ピラパヲマナイ」と呼ばれていたみたいで、道道 114 号「赤平奈井江線」沿いを流れる「デアイ川」が「ピラノシケヲマナイ」だったみたいです。
先程の「モシリ」系の川の場合、東(川上側)から「モシリパオマナイ」「モシリノシケオマナイ」「モシリケシュオマナイ」と並んでいました。同様に「ピラパヲマナイ」「ピラノシケヲマナイ」の隣に「ピラケシヲマナイ」が存在した可能性も高そうです(明治時代の地形図には「ピラノシケヲマナイ」の北西に「ピラケシ」という地名が描かれています)。
本来の pira-kes(-oma-nay) は道道 114 号の西側あたりを指していたと思われるのですが、やがて「平岸」として大きな地名となり、東側にエリアを拡大していったと考えられます。そして東側の新天地(元々は「モシリ」だった一帯)に「平岸駅」ができたことにより、旧来の西側が「下平岸」と呼ばれるようになった、と言ったところでしょうか。
「下平岸」が先祖返りする形で「茂尻」を名乗るようになった理由は……後ほどということで。
茂尻(もしり)
(典拠あり、類型あり)
ということで平岸駅のお隣にある「茂尻駅」です。まずは「──駅名の起源」から。茂 尻(もしり)
所在地 赤平市
開 駅 大正 7 年 12 月 28 日
起 源 アイヌ語の「モシリ・ケㇱオマ・ナイ」(島の下手にある川)の上部をとったものである。最初貨物駅として開業したが、大正 15 年 7 月1 5 日一般駅となった。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.117 より引用)
ふむふむ。元々は mosir(-kes-oma-nay) で「島(・末端・そこにある・川)」だったと考えられそうですね。永田地名解には次のように記されていました。
Moshiri kesh oma nai モシリ ケㇱュ オマ ナイ 島ノ下ニアル川「モシリケシュオマナイ」は現在の「桂川」のことで、その東隣に「モシリノシケオマナイ」(現在名不明)と「モシリパオマナイ」(現在の「ゴリョウ川」)が流れています。「モシリノシケオマナイ」と「モシリパオマナイ」が空知川に注ぐあたりには現在も巨大な島(中州)があり、「モシリ」はこの中州を意味していたと考えられそうです。
茂尻駅のあたりは、一時期「下平岸」と呼ばれていたようですが、ここに炭砿が開かれた際に「下平岸」を「茂尻」(もじり)に改めた……と言うのが地名の起こりだったようです。西から流れてきた「平岸」という地名を東に受け流した後で、地名としては廃れつつあった mosir-kes-oma-nay から「モシリ」を拝借した結果、本来の地名(川名)と東西が逆転してしまった、と考えられそうです。
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