オレンジ色のネットが殺風景な感じもしますが、機関車に登るのを防止するためなんでしょうか。だとすると、これは流石に仕方がないですね……。
カメラを構える場所によっては、こんな風にネットの影響を最小限にすることもできます。
塗装はメンテ済み?
この蒸気機関車も保存機の常で、凝った感じの塗装がなされています。とは言え、比較的大人し目の塗装と言えそうでしょうか。雨に曝されていることもあってか、塗装にもそこそこ痛みが見えます。ただ、ノーメンテだとこの程度では済まないので、こまめにメンテナンスされているのではないかと見受けられます。
運転席の窓の下には、夕張鉄道の社紋と「25」のナンバープレートがついています。赤色塗料は褪色が早い筈ですが、見た感じそのような兆候は無さそうに思えます。やはり再塗装されてからそれほど時間が経っていない……ということなんでしょうか?
運転席は封鎖済み
「25」号機の右側にはプラットホームも用意されているのですが……(そう言えば、何故テーブルとベンチがあるのでしょう?)運転席には入れないように、板で塞がれていました。いたずら等が多かったのでしょうか……?
運転席まわりはこんな感じでした。車齢相応にくたびれている、と言ったところでしょうか。それほど酷い状態には見えませんが、座布団まわりの痛みが目立つでしょうか。
国鉄 49694 → 夕張鉄道 25
この機関車は夕張鉄道の「25」号機で、そのナンバープレートがつけられていますが、元々は国鉄の「49694」だったようですね。1921 年に製造され、1961 年に夕張鉄道が譲り受け、1975 年に夕張鉄道が全線廃止されるまで活躍していたようです。なお、「機関車として 969 番目に生まれました」というのは「49694」という数字の並びとは関係ない筈です。国鉄 9600 形蒸気機関車は「96」が形式に相当する番号のため、「9699」の次は「19600」になります。ということで、「49694」は国鉄 9600 形蒸気機関車としては 495 番目、ということになります。
9600 形蒸気機関車は 1913 年から 1926 年の間に 770 両も生産された、当時としてはかなりのビッグヒットと言える形式です。
ホームとは反対側から夕張鉄道 25 号機を眺めます。連接棒が赤かったり、一部が白くペイントされていたりするのは見栄えを良くするためのものと考えられますが、前述の通り、この程度に抑えられているのはむしろ控えめなものと言えそうです。
鉄板も腐食すると……
テンダー(炭水車)の前のパネルは、ホームにあったものとほぼ同じ内容です。Wikipedia には、おそらく少し前の写真があるのですが、以前は運転席に入るための(階段型の)タラップも用意されていたようです。今は右側のホームからの立ち入りも制限しているので、もちろんタラップの姿はありません。
テンダー(炭水車)ですが、鉄板に穴が開いてしまっています。腐食によるものだと思われますが、鉄板であってもこんな風になってしまうんですね……。
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