2020年9月9日水曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (69) 「謎の『キートスマヤ』」

久保内ダムの西側で壮瞥町を抜けて旧・大滝村(伊達市)に入ります。国道 453 号は旧・大滝村に入ってすぐのところで長流川を渡ります。
もっとも長流川の東側に復帰したのは僅か 200 m ほどで、すぐさま西岸に戻ることになります。
この橋の名前は「温泉橋」というド直球なもので、地図を見ると確かに橋のそばにでかい温泉マークが表示されています。このあたりは伊達市北湯沢温泉町で、もう少し北側には温泉街が広がっています。

湯元ホロホロ山荘

左側の高台に見栄えのする建物が見えてきました。どうやらあの建物が「湯元ホロホロ山荘」のようです。なんとなく名前は聞いたことがありますが、ここにあったんですね……(「山荘」なのでもっと山の方かと思ってました)。
地理院地図と国土数値情報で川の名前が全く違うという、問題の「出湯橋」を渡ります。
国道は川の西側を通っていますが、川向かいには大きなホテルが立ち並んでいます。蟠渓温泉よりも遥かに規模が大きな温泉地、でしょうか。

旧優徳跨線橋

北湯沢温泉を抜けて、更に北に向かいます。前方に橋が見えてきましたが……
どうやら国鉄胆振線をオーバークロスするための橋だったらしく、名前もそのまま「旧優徳跨線橋」となっています。もしかして「旧優徳」という地名があったのか……と思ってしまいますが、昔の地図をちらっと見た限りでは見当たらず。かつての「優徳跨線橋」に「旧」を被せた……という理解で良いでしょうか?(誰に聞いている
「旧優徳跨線橋」の先には「北湯沢駐車場公園」があります。「駐車公園」というのは聞いたことがありますが「駐車場公園」もあったんですね……。かつての駅前広場かとも思ったのですが、ここには駅は無かったようです。

ようこそ大滝村へ

「壮珠内川」(国土数値情報では「社珠内川」)に架かる「優徳橋」を渡ります。
道路の右側に提灯が並んでいるのを見かけました。そろそろ盆踊りのシーズン……と書きそうになって気づいたのですが、そう言えばこの時は 5 月でしたね(汗)。
旧・大滝村が伊達市に編入されたのは 2006 年 3 月のことですが、こちらの会社には「ようこそ大滝村へ」という文言が残っていました。ずっとこのまま残されていると嬉しいのですが……。

謎の「キートスマヤ」

旧・大滝村は、南西部の「優徳」と北東部の「本町」に建物の多くが集中しています。国鉄胆振線にはそれぞれ「優徳」と「新大滝」の駅がありました。
ちょうど「優徳」と「本町」の中間あたり、川の向こう側に「大滝中学校」がありました。ただ、平成 31 年 3 月 31 日で閉校になってしまったとのこと。
中学校の近くには「大滝総合運動公園」があり、また「キートスマヤ」なるスポットがあるらしいのですが……なんでしょう、この「キートスマヤ」って。フィンランド語でしょうか?(それは kiitoksia では)

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


0 件のコメント:

コメントを投稿