2020年8月22日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (756) 「ユウナイ川・ウクルメ川・ベサ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ユウナイ川

nu-un-nay?
豊漁・ある・川
yu-nay?
湯・川

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
千歳川には王子製紙の発電用ダムがいくつかありますが、ユウナイ川は王子製紙第四発電所の西側(ダム湖側)で千歳川に合流しています(北支流)。

NHK 北海道本部編の「北海道地名誌」には、次のように記されていました。

 ユウナイ沢 千歳川上流, 第 4 発電所の上で流入している沢。ユウナイはアイヌ語で温泉川の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.45 より引用)
yu-nay で「湯・川」ではないかとの説ですね。

明治時代の地形図には現在の「ユウナイ川」の位置に「ユーナイ」と描かれていました。ただ「東西蝦夷山川地理取調図」や丁巳日誌「志古津日誌」にはそれらしき記述が見当たりません。

ヌンナイ?

おかしいな……と思って精査してみた所、「ヲサクマナイ」(現在の「烏柵舞」)より下流側に「ヌンナイ」という川が描かれていることに気づきました。「ユーナイ」と「ヌンナイ」で違いがある上に、「烏柵舞」より下流側に描かれているので、これを同一の川であると考えるのは無理がある……のですが、古い地形図を良く見てみると、「ユーナイ」の上流側に「パンケソキ」と「ペンケソキ」という北支流が描かれています。

「東西蝦夷山川地理取調図」でも「ヌンナイ」の上流側に「シヨツキ」という川が描かれています。「パンケソキ」は panke-sotki で「川下側の・寝床」と読むことが可能で、sotki が「シヨツキ」となったと考えられそうです。

丁巳日誌「志古津日誌」には次のように記されていました。

また少し上りて、
     ヲフイチヤン
此処岩瀬にて、むかしより鮭魚卵を多く置る処のよし也。並て
     ヌンナイ
同じく右岸。少しの平地に小川有。人家弐軒。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.258 より引用)
「右岸」をどう解釈するかですが、一般的なアイヌの流儀である「河口から水源に向かって右・左」で良さそうに見えます。となると「右岸」は「北支流」ということになりますね。「東西蝦夷山川地理取調図」では「南支流」として描かれていましたが、「志古津日誌」では「北支流」だったことになります。

これは「東西蝦夷山川地理取調図」は信頼できない!ということではなく、このあたりの記録は(「志古津日誌」も含めて)少々怪しい、と考えるのが正解かと思います。

「ユウナイ」と「ヌンナイ」が同一の川である……という仮説の証明を試みたのですが、見事に煮え切らない内容で終わってしまいました(すいません)。仮に元々は「ヌンナイ」だったとすると、nu-un-nay で「豊漁・ある・川」と解釈できそうです。

ウクルメ川

{ukur(-kina)}-mem?
{サジオモダカ}・泉池
{ukur(-kina)}-mem?
{タチギボウシ}・泉池

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
千歳市蘭越のあたりで千歳川に合流する南支流の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には見当たりませんが、丁巳日誌「志古津日誌」には次のような記載がありました。

少し上
     ナイフツ
此処向方右 に有と。少しの川有。昔し人家有し由なるが今はなし。同じく並び向岸に
     マ ス
此処古え人家有し処のよし。今のヘサ乙名コヌカも此処より近頃引こしたりとかや。また並びて向岸
     ウクルメム
小川一すじ有。鮭多く卵をなす処のよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.256 より引用)
左右の解釈を確かめておきたかったので、少し長めに引用してみました。「ウクルメム」が現在の「ウクルメ川」と考えられるのですが、「向岸」とあり、南北が逆のようにも見えます(ウクルメ川は南支流なので、本来は「左」とあるべき)。

「ウクルキナ」の謎

この「ウクルメム」は永田地名解にも記載がありました。

Ukuru mem  ウクル メㇺ  澤瀉池(サジオモダカ) 「ウクル」ハ「ウクルキナ」ニテ和名「サジオモタカ」此草多シ故ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.220 より引用)
永田氏は ukur-kina は「サジオモダカ」である……としましたが、知里さんの「植物編」を見ると「サジオモダカ」は to-kina である……としています(「濱益」(浜益)との注記あり)。ukur-kina は「タチギボォシ」(タチギボウシ)ではないかとのことですが……。

「ウクルメム」は ukur(-kina)-mem で、ukur-kina は「サジオモダカ」または「タチギボウシ」、mem は「泉池」と考えられそうです。

……今日は煮え切らない内容で終わる呪いでもかけられたんでしょうか。もし今もウクルメ川のあたりで湿生植物を見かけられるようであれば、どっちが正解か教えてください……(汗)。

ベサ川

pesa?
鹿の交尾
{pet-so}???
{川原の所}

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(??? = 典拠なし、類型未確認)
ウクルメ川と千歳川の合流点から少し下流側に、南長沼用水の取水堰があります。南長沼用水は千歳川沿いの高台を東に流れた後、道央道・千歳 IC の西側をトンネルで南に向かっているのですが、OpenStreetMap ではこのあたりの南長沼用水が「ベサ川」とされています。

この「ベサ川」ですが、なんと丁巳日誌「志古津日誌」に記載がありました。

しばし平山を行て
     カマバ
此処崖の傍少し平地有。むかし人家有し処のよし也。是より坂道をこへて下るや小川有。
     べ サ
左り岸少しの平地、小川の傍に人家四軒、此処も何れの家にも少しづゝ畑を作りたり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.255 より引用)
しかも永田地名解にも記載があったのですが……

Pesa  ペサ  鹿ノ交尾處 七月ヨリ九月ニ至ル頃鹿ノ交尾スルトキ吥坭ヲ掘ルヲ「ペサ」ト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.220 より引用)
は、はぁ。「鹿ノ交尾スル處」という解は留萌のバンゴベでも出てきましたが、なるほどそういう解釈が……。そう言えば、萱野さんの辞書にも次のようにありました。

ペサカㇻ 【pesa-kar】
 鹿が体に泥を塗る,獣が泥の中へ体を埋めて遊ぶこと。
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.397 より引用)
完全に一致……したでしょうか(!)。

念のため、千歳川の南岸で鹿が盛っていた以外の可能性を考えてみると……、{pet-so} で「川原の所」という解釈ができるようです。「ベサ川」の正体は南長沼用水なので、「ベサ」は川の名前では無かったと考えています。となると「川原の所」という解釈でも不都合はありませんし、更には「鹿の交尾(場所)」と考えることもできてしまいそうです。

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