2020年8月16日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (755) 「幌美内・シリセツチナイ川・紋別岳」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

幌美内(ほろびない)

poro-pin-nay?
大きな・傷・川

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
恵庭岳の東側の地名で、国道沿いの高台に「ポロピナイ展望台」のあるところです。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヒロヒナイ」という名前の川が描かれています。丁巳日誌「志古津日誌」には「ホロヒナイ」とあるので、「ヒロヒナイ」は誤記かインフォーマントの発音が少し訛っていたか、でしょうか。

永田地名解には次のように記されていました。

Poro pi nai  ポロ ピ ナイ  水無シノ大川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.217 より引用)
永田氏は pi を「水の無い」と解釈する癖があったのでしょうか。pi は「小石」と解釈することが多く、poro-pi-nay は「大きな・小石・川」と読むことができます。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、別の見方も示されていました。

諸地にピナイの名があるが,そのあるものは pi-nai(石・沢)であり,またあるものは pin-nai「← pir-nai(傷・沢)。えぐれたような沢」であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.57 より引用)
あー……、言われてみれば。幌美内には恵庭岳の頂上近くから谷が伸びていますが、航空写真で見ても立派な「傷」のように見えます。「傷」は pir ですが、-n が後ろに続くので pin に音韻変化することになります。poro-pin-nay で「大きな・傷・川」ということになりますね。

支笏湖畔に数個のピナイが残っているが,どれも急傾斜のえぐれたような沢でピンナイの姿である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.57 より引用)
ですよねー。

だがこの幌美内の沢を上るとがれ石だらけの沢である。どっちだか分からない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.57 より引用)
おおお……。これは困りましたね。ダブルミーニングというか、どちらに理解しても筋が通るネーミングというのも無いわけでは無いので、ここもそういった例だったりするのでしょうか。

シリセツチナイ川

sir-sep-nay?
山・広くなる・川
chir-set-ot-nay?
鳥・巣・多くある・川

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
支笏湖の東岸に「支笏湖温泉」がありますが、支笏湖温泉の北側から支笏湖に注ぐ川の名前です。

「東西蝦夷山川地理取調図」と丁巳日誌「志古津日誌」には「チリセツナイ」とありました。ふむふむ、これは chir-set-ot-nay で「鳥・巣・多くある・川」と読めそうですが……。

ところが、永田地名解には次のように記されていました。

Shiri set nai  シリ セッ ナイ  ? 地圖ニ「チリセッナイ」(鳥巢澤)トアルハ誤ナリト「アイヌ」等云フ然レドモ「シリセッナイ」ノ意味ハ知ラズ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.217 より引用)
註によると「アイヌが言うには『鳥の巣の沢』というのは間違いだよ。でも『シリセッナイ』の意味は知らないって」ということのようですね。さてさて、これは困りましたね……。

一つだけ可能性があるかもしれない解に辿り着いたのですが、sir-sep-nay であれば「山・広くなる・川」となります。sep 系の川は上流部で流域が一気に広くなることが多いのですが、シリセツチナイ川もそう言える……かもしれないかな……と言った感じです。山を滑り落ちるような川なので sir- を冠した、ということでしょうか。

紋別岳(もんべつ──)

mo-pet
静かな・川

(典拠あり、類型多数)
支笏湖温泉の北、シリセツチナイ川を遡った先にある山の名前です。紋別岳の北には「紋別川」も流れています(千歳川北支流)。おそらく川の名前が先で、紋別川の水源の近くにあったので山の名前に借用された……ということだと思われます。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「モヘツフト」と言う地名?が描かれていて、また丁巳日誌「志古津日誌」には「モヘツブト」という地名?が記録されていました(但し川の名前は「モンヘツ川」とある)。

永田地名解には次のように記されていました。

Mo pet putu  モ ペッ プト゚  靜川ノ口
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.221 より引用)
mo-pet で「静かな・川」と考えられそうですが、山田秀三さんの「北海道の地名」では別の解釈が紹介されていました。

永田地名解は「モ・ペッ・プトゥ。静・川・の口」と書いたが,長見義三氏は千歳の支流を現す意のモ(子,小さい)ではないかと書かれた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.56 より引用)
なるほど、ありそうな解ですね。紋別川は千歳川と流れの向きも比較的似ていますし、支流の中でも大規模なものなので、mo-pet を「子である・川」と解釈するのも頷けます(小規模な支流の場合、もっと具体的な名前がつくことが多いです)。この説を山田さんがどう判断したか、ですが……

この川筋に入っていないので何とも判断できないで来た。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.56 より引用)
うーん、残念ですが仕方がありませんね……。

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