2020年8月8日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (752) 「知床川・幌内(白老町)」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

知床川(しれとこ──)

sir-etok
大地(山)・先端

(典拠あり、類型あり)
「白老町河川位置図」には、敷生川(しきう──)の東支流として、「知床川」という川が描かれています。上流部では JR 室蘭本線と国道 36 号の間を、下流部は国道 36 号に沿って海側を流れているように見て取れます。川の規模から考えると、日頃はあまり水が流れない川なのかもしれません。

白老に知床とはこれいかに……という話なのですが、実は「知床川」の最寄りの「北吉原駅」の隣にある「萩野駅」が、かつて「知床駅」という名前でした。

  萩 野(はぎの)
所在地 (胆振国) 白老郡白老町
開 駅 明治 42 年 10 月 15 日
起 源 もと駅名を「知床(しれとこ)」といい、アイヌ語の「シレトク」(大地の突き出たところ)からとったものであるが、付近に明治14年明治天皇巡幸の道すがら、萩の花をめでられた遺跡があって、この一帯を「萩野」と呼ばれたので、昭和 14 年字(あざ)名とし、駅名も昭和 17 年 4 月 1 日から現在のように改めたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.72 より引用)
「知床」は sir-etok で「大地・先端」ということになりますが、白老の沿岸部に sir-etok というのはどうしても違和感が拭えませんね。「東西蝦夷山川地理取調図」や「東蝦夷日誌」、「初航蝦夷日誌」には記録を見つけることができなかったのですが、「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

此辺迄半日路也と。
     ウ ヨ ロ
と云。然し野地様の所にして、廻りして行に橋を架る処有。昔此辺夷人小屋十余軒有し由。当時三軒(イカシコレン家内六人、モチヤ家内男斗二人、イリキトム家内三人)有る也。魚類鮭・鱒・鯇・桃花魚少しづヽ有る也。
     イワンチヤ
     トンケシ
     子ツニシヤ
     ホンシキウ
     シントク
     シ キ ウ
川有、巾六十余間、船渡し。浅し。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.556 より引用)
竹四郎廻浦日記によると、「シキウ」(敷生川)の東に「シントク」という川名(地名?)が存在していたことになります。「ホンシキウ」の位置が不明ですが、「トンケシ」は現在の「石山港」のあたりの地名だったようです。

大正時代に作製された陸軍図を見ると、現在の萩野駅のところに「床知」(知床)と描かれています。どこをどう見ても「知床岬」のような地形は見当たらないように思えますが、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

知床はシレトコ(shir-etok 地面の・突き出した先端)で,一般には海中に突き出た岬であるが,ここは直線の砂浜の処である。元来は一帯の低湿原(やち)の中に,低い丘陵が長く伸びて来たその先端の場所である。そんな処からこの名がついたか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.384 より引用)
萩野駅のあたりは、敷生川とウヨロ川によって形成された平野が広がっていますが、よく見ると駅の北側から道央道の萩野 PA があるあたりにかけて丘陵が伸びています。この丘陵が sir で、その先端が etok だったのですね。萩野駅のあたりが「知床」と呼ばれていたのも頷ける話です。

逆に言えば、現在の「知床川」が流れるあたりは、本来の sir-etok から随分と離れた場所だ、とも言えそうです。「竹四郎廻浦日記」の記述を見る限り、「シントク」(シレトク)は「シキウ」(敷生川)の東隣なので、その考え方だけで言えば間違ってないのかもしれませんが……。

幌内(ほろない)

poro-nay
大きな・川

(典拠あり、類型多数)
JR 室蘭本線の竹浦駅と虎杖浜駅の間に「幌内区」という場所があります。北東を流れる「メップ川」の支流の「幌内川」が流れていて、地名はこの「幌内川」に由来すると考えられます。

「幌内川」は poro-nay で「大きな・川」と考えられますが、お隣の「メップ川」と比べると決して大きな川とは言えません。ただ、メップ川に次いで大きな川とは言えそうな感じでしょうか。

このように、必ずしも大河とは言えない「幌内川」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ホロナイ」という地名が描かれているほか、「東蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」にも「ホロナイ」の記録があります。どうやら昔からずっと「ホロナイ」として認識されていたようですね。

poro は単に「大きい」という意味では無い……という説がいくつかあって、たとえば更科源蔵さんは poro について「大切な」あるいは「重要な」という解釈も成り立つ、という説を唱えていました。もしかしたら、清冽な飲水を安定して供給してくれるとか、そう言った実用的な価値の高い川だったのかもしれませんね。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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