2020年7月31日金曜日

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春の道北・船と車と鉄道で 2016 (45) 「消えた『興志内』」

 

国道 229 号の「茂岩トンネル」を抜けて泊村に入りました。カントリーサインに戦国時代の「兜」が描かれているのは、村の中ほどに聳える「兜山」(兜岬)のことなんでしょうね。
このあたりには「盃温泉」や「盃海水浴場」がありますが、川の名前は「茂岩川」で地名も「茂岩」だったりします。
ちなみにこの近くに「泊村国民宿舎 もいわ荘」があったのですが、2012 年に惜しくも営業を終了したとのこと。蛭子さんがバス旅で泊まった由緒ある?宿だったのですが……。良さそうな感じの宿だっただけに、惜しいですね。
道路の右側に橋が見えますが、橋の先には標高 53 m の「弁天島」があります。この島が mo-iwa と呼ばれていたことから「茂岩」と言う地名になったみたいですね。

興志内トンネル

弁天島の横を走り抜けると、またしてもトンネルが見えてきました。
ところで、現在のトンネルの右側(海側)にこんな凹みが見えるのですが、これ、もしかして昔のトンネル(の入口)とかでしょうか……?
「興志内トンネル」の入口が見えてきました。トンネルを抜けた先が「盃」(さかずき)とありますが、歴史的に見るとトンネルの先は「興志内村」(おきしない──)で、「盃村」は興志内村の南にありました。
ところが「興志内」の名前は次々と「盃」に変わってしまい、「興志内」を冠した施設等はとても少なくなっているようです。「盃」のほうが画数も少ないので好まれた、といったところでしょうか……?
トンネルを抜けた先、右側は漁港なのですが、漁港の名前も「盃漁港」とあります。

消えた「興志内」

トンネルを抜けてからは左右に民家が続きます。どことなく「熊石っぽい」と言えばご理解いただける方もいらっしゃるかもしれません(ただ山手に逃れるための避難階段は無かったかも)。
「興志内」の名前がかろうじて残るバス停が見えてきました。右側のバスは路線バスでしょうか……?
ちなみに右側のバスが通過中の川が「塩越川」です。si-o-ki-us-nay で「主たる・興志内・川」ではないかと思われるのですが、そこに「興志内バス停」があるというのは(偶然でしょうけど)象徴的な感じがしますよね。

泊村立泊小学校

引き続き国道 229 号を南下します。久々に信号機を見かけましたが、なるほど郵便局の前でしたか。右側にバス停が見えますが、バス停の名前は「盃漁協前」とのこと。
そして正面の高台に何やら建物が見えますが……
高台の上に見えたのは「泊村立泊小学校」だったようです。
泊村では北部に位置する盃に「泊小学校」があるのはちょっと意外な感じがします。Wikipedia によると「閉校した盃小中学校を改装して移転」とのことで、元の泊小学校は「泊村アイスセンター『とまリンク』」になったとのこと。

兜トンネル

国道 229 号を南に向かっていると、前方に山(岬)が見えてきました。これが泊村を南北に隔てる「兜山」(兜岬)のようです。
国道は「兜トンネル」一本で兜山の南側に抜けるようになっています。
ただ、以前は兜山の麓の「兜岬」を経由するルートだったみたいです。当時使われていたトンネル入口が見えますが、コンクリートで封鎖済みでした。

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