2020年7月24日金曜日

「日本奥地紀行」を読む (106) 山形(山形市) (1878/7/15)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十九信」(初版では「第二十四信」)を見ていきます。

山形

イザベラ一行は羽州街道を北上して山形に入りました。

 山形は県都で、人口二万一千の繁昌している町である。少し高まったところにしっかり位置しており、大通りの奥の正面に堂々と県庁があるので、日本の都会には珍しく重量感がある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.224-225 より引用)
今の山形県庁は「山形蔵王 IC」の近く、どちらかと言えば町外れにありますが、当時の県庁は現在の「文翔館」の場所にあったようです。「文翔館」自体がかつての山形県庁舎なのですが、イザベラが目にした庁舎ではなく、1916 年に建てられた二代目の庁舎とのこと。現在は国道 112 号に指定されている七日町通りを真っ直ぐ北北東に向かうと、真正面に旧県庁が見えてきます。

山形の街路は広くて清潔である。良い店があって、長く軒をつらねて装飾的な鉄瓶や装飾的な真鍮細工しか売っていないものもある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.225 より引用)
個人商店の専門性が高いというのは、確か新潟でも似たようなことを指摘していた記憶があります。良く言えば「一所懸命」の思想が息づいているとも言えますし、別の見方をすればそれだけ封建社会の硬直性が顕著である、と言ったところでしょうか。

にせ酒

イザベラは、「良い店」を褒めるだけではなく以下のような苦言も呈していました。

日本の内陸を今まで通ってきたが、ヨーロッパの食物や飲物、特に飲物のひどいまがい物だけを売っている店があるのには当惑する。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.225 より引用)
うーん……。今も(主にブランド品の)偽物を意味する「パチもん」という言葉がありますが、日本における「パチもん」の歴史はどの辺まで遡ることができるのでしょう(国書の偽造なんかは昔からのお家芸でしたが)。

日本人は、上は天皇から下に至るまで、外国の酒類を愛好している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.225 より引用)
酒の嗜みも「脱亜入欧」を徹底していたのですね。もしかしたら、そうすることで体格や風采が立派になる……と信じ切っていたりして。

ほんものの酒類であっても有害であろうに、硫酸塩、フーゼル油、悪い酢などの混合物であるときには、ずっとひどいものである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.225 より引用)
「硫酸塩」と言えば、ワインには「亜硫酸塩」が含まれるものがありますが、それと似たようなもの……なんでしょうか。

私は山形で、最上種の商標をつけたシャンペン酒を売っている店を二軒見た。マルテルのコニャック、バース・ビール、メドックとセン・ジュリアン酒、スコッチ・ウィスキーだが、原価の約五分の一で、すべてが毒物混合品である。この種の販売は禁止すべきである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.225 より引用)
いやいや、何ともお恥ずかしい限りです……。

政府の建物

官公庁の建物の話題に移ります。

 政府の建物は、ふつう見られる混合の様式ではあるが、ベランダをつけたしているので見ばえがする。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.225 より引用)
写真やイラストが無いので想像するしか無いのですが、「ふつう見られる混合の様式」というのは、開智学校のような建物なのでしょうか。確かにベランダがあると謎に見栄えが良くなりそうな気がします。

また、病院についても新しい建物を建設中だったようで、次のように高く評価していました。

大きな二階建ての病院は、丸屋根があって、百五十人の患者を収容する予定で、やがて医学校になることになっているが、ほとんど完成している。非常にりっぱな設備で換気もよい。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.225 より引用)
一方で、イザベラは現在の病院も視察していて「それほど良いとはいえない」と記しています。医療に対する関心が高いように見えるのは、「施療と布教」をバーター的に行う手法が常套手段になっていたからでしょうか。医学的に「奇跡」を起こすことは信者獲得の王道ですからね……。

不作法

もっとも、イザベラが視察したのは病院のみならず、裁判所にも足を運んでいたようでした。

裁判所では、二十人の職員が何もしないで遊んでいるのを見た。それと同数の警官は、すべて洋服を着ており西洋式の行儀作法をまねしているので、全体として受ける印象はまったくの俗悪趣味である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.226 より引用)
「脱亜入欧」のスローガンの元、とりあえず見た目から入ったものの、実体が全く追いついていない……と言ったところだったのでしょうね。「まったくの俗悪趣味」というのは単にちゃらんぽらんと言うのではなく、礼儀を欠いていたところが問題だったようで……

彼らは私にまず旅券の呈示を求めてから、ようやく県とこの市の人口を知らせてくれた。一度か二度、伊藤の態度に不作法なところがあるのを見たが、山形の警官の態度が警官にふさわしいものだろうか、と彼は、私に二度もきいたのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.226 より引用)
山形の発展ぶりをドヤ顔で誇っていた伊藤少年も、この警官の態度には激おこだったようです。

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