2020年7月12日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (745) 「真狩・南別川・知来別川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

真狩(まっかり)

mak-kari-pet
後ろ・回る・川

(典拠あり、類型あり)
羊蹄山の南麓の村の名前で、同名の川が西に向かって流れています(尻別川の南支流)。細川たかしの出身地としても有名でしょうか。

大きな雌岳と小ぶりな雄岳

丁巳日誌「報志利辺津日誌」には次のように記されていました。

左り
     マツカリベツブト
川口巾十間計、小石流れ出、其下深し。此源はヒン子シリとマチ子シリの間小山三ツ有、其間より涌出る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.358 より引用)
毎度おなじみ「東西蝦夷山川地理取調図」によると、羊蹄山が「後方羊蹄山」(シリベシ──)と描かれていて、南東の「尻別岳」が「ヒン子シリ」となっています。pinne-sir は「雄・岳」で matne-sir が「雌・岳」なのですが、松浦武四郎の認識では小さい方の「尻別岳」がオスで、大きな「羊蹄山」がメスだ、とのこと。

「間の小山三つ」は「軍人山」あたりの山のことでしょうか。松浦武四郎は留寿都から留産に抜ける際に、このあたりに真狩川の水源があるということを記録していました(マツカリヘツイトコ)。地理的な認識は完璧だったのですが、惜しむらくは「東西蝦夷山川地理取調図」を描く際に「マツカリヘツ」を羊蹄山の北側に描いてしまったことでしょうか(実際には南側に描かれるべきでした)。

則ホロノホリは此源に有るが故に、世上シリヘツ岳といへども、実に此辺の土人が云処はマツカリヘツノホリなるべし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.358 より引用)
ここは少し解釈に苦しむところで、ここで言う「シリヘツ岳」は「尻別岳」のことではなく「後方羊蹄山」のことである、と考えられるようです。要は「羊蹄山」のことが「マツカリヘツノホリ」と呼ばれているよ、ということです。

確かに、明治時代の地形図を見てみると、羊蹄山のところに「マッカリヌプリ」と描かれています。どうもこの頃すでに「マツカリヘツ」が「マッカリ」と略されていたようですね。

閑話休題

永田地名解には次のように記されていました。

Mak karip  マㇰ カリㇷ゚  山後ヲ囘ル處 又「マクカリッペツ」山ヲ囘ル川トモ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.181 より引用)
どうやら mak-kari-pet で「後ろ・回る・川」と考えられそうでしょうか。山田秀三さんの「北海道の地名」にも、次のように記されていました。

この川は,上流の方に行っても屈曲が多いので,マク・カリ・ペッ「mak-kari-pet 奥(山)の方を(で)・回っている・川」と呼ばれたのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.464 より引用)
そんなところなのでしょうね。確かにこのあたりの川の中では屈曲の度合いが高いのだなぁ……と納得したところです。

南別川(なんべつ──)

nam-pet???
冷たい・川

(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
真狩川の南支流で、真狩村の市街地のほぼ真ん中を流れています。いかにも南支流っぽい名前ですが、丁巳日誌「報志利辺津日誌」には次のように記されていました。

扨此川筋の事を聞に、川口より凡何程といへる事は、誰も川口を見たる土人無りし故しれざれども、其上の方に行ては西岸 にナンベ、此辺ソウツケより少し上の方に当り、しばし過て、ナンベツ、左り岸、ソウツケより来る川有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.358 より引用)
「ソウツケ」は倶知安町の「ソウスケ川」のことと考えられますが、真狩村から倶知安町を見た場合、まさに「羊蹄山の向こう側」となるため、「ソウツケから来る川有」というのはかなり眉唾ものです。

永田地名解にも次のような記載がありました。

Nam pet  ナㇺ ペッ  冷水
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.181 より引用)
はい。「冷たい」という意味の yam という語彙がありますが、「冷たい」を意味する yam はどちらかと言えば道北から道東方面に多いようで、道南では nam のほうが一般的な印象があります(yam は「栗」と解釈される場合が多いような)。

一応 nam-pet で「冷たい・川」と解釈することができそうにも思えますが、同系の地名である可能性のある斜里郡の「止別」に対して、知里さんは以下のような疑義を呈していました。

アイヌ語ではヤム・ワッカ(冷い・水)とは云うが,ヤム・ペッ(冷い・川)とは云わないからである。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.251 より引用)
そう言えば、新冠に「滑若」で「なめわっか」と読ませる地名がありましたね。nam-pet は若干の疑義がありますが、nam-pe で「冷たい・水」と解釈することはできるかもしれません。

永田地名解が nam-pet を「冷水」としたのは誤訳と言えそうですが、実は nam-petnam-pe の間違いだったとすれば「冷水」で大正解だったと言えそうなのが皮肉なところです。

真狩村の「南別川」がアイヌ語に由来するのかどうかはじっくりと検討が必要ですが、真狩川の支流のどれかがそのように呼ばれていた……とは言えそうでしょうか。

知来別川(ちらいべつ──)

chiray-pet
イトウ・川

(典拠あり、類型あり)
真狩川の南支流で、真狩川の支流の中では流長・流域ともに最大のものです。「東西蝦夷山川地理取調図」や丁巳日誌「報志利辺津日誌」には言及がありませんが、永田地名解には次のように記されていました。

Chirai pet  チライ ペッ  イト魚川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.181 より引用)
あー、やはり chiray-pet は「イトウ・川」だったのですね。そのまんまd(ry

ちなみに、このあたりでは喜茂別町に「知来別」「知来別川」があり、留寿都村にも「知来別」があります(真狩川の南支流である「大沢川」の近く)。どれも同じ字が当たっているのも面白いですが、まぁ、他に良さそうな字があるかと言われるとそれも微妙かもしれません。

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