(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
ペーペナイ川
(典拠あり、類型あり)
尻別川の東支流で、京極町北部を流れています。上流には「双葉ダム」と「京極ダム」があり、京極ダムでは揚水発電が行われています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヘヒナイ」とあるほか、丁巳日誌「報志利辺津日誌」には「ヘビナイ」という名前で記録されていました。
また、永田地名解には次のように記されていました。
Pepe nai ペーペ ナイ 合流多キ川 「ワㇰカタサップ」ト合流シテ本川ニ注ク現在の地形図では、ペーペナイ川はワッカタサップ川と合流するのではなく、直接尻別川に合流しているように見えますが、ほぼ同じ地点で合流しているので、永田地名解の書き方でも「ほぼ正しい」と言えそうですね。
山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」には、次のように記されていました。
ペーペナイは、他地の例からすると、ペ・ペ・ナイ(Pe-pe-nai 水・水・川)で、水(流) が、ごちゃごちゃ流れるところだったろうか。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.188 より引用)
今ひとつピンと来ないので、「北海道の地名」も見ておきましょうか。言葉の形は pe-pe-nai(水・水・川)である。道南豊浦町の旧名弁辺は,一説にペーペナイだといい,小流がむやみにあった川であると考えられていた。同じような川だったのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.467 より引用)
「小流がむやみにあった川」と言われると、確かに京極ダムの上流部には「中岳川」や「高台川」、「無意根川」「湖水川」「美比内川」「渓谷川」など、名前の確認できる支流だけでもこれだけあります。「支流が多い」ということは「流域面積が広い」と言い換えることができて、最終的には「水の量が多い」という点に帰着します。pe-pe-nay は「水・水・川」だと考えられますが、素直に「水の多い川」と捉えて良いのではないでしょうか。水の多い川で水力発電というのも、なかなか素敵な感じがします。
余談ですが、このロジックは「ベンベ川」には当てはまらないように思えます。ベンベ川の場合は pe-un-pe や pewre-pet と考えたほうが良さそうでしょうか。
脇方(わきかた)
(典拠あり、類型あり)
京極町の市街地から見て東に位置する地名です。1970 年までは国鉄胆振線の脇方支線が通っていました。ということで「北海道駅名の起源」を見てみましょう。脇 方(わきかた)
所在地 (胆振国) 虻田郡京極町
開 駅 大正 9 年 7 月 15 日
廃 止 昭和 45 年 11 月 1 日
起 源 付近を流れるアイヌ語の「ワッカ・タ・エ・サプ・ペッ」(水をくみに下る川)の上部をとって、駅名としたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.223-224 より引用)※ 原文ママ
え……。wakka-ta-e-sap-pet で「水・汲む・そこに・下りる・川」だと言うのですね。この解ですが、他の記録と比べてみると、ちょっと面白いことに気がつきます。
「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「ワツカタサ」という川が描かれています。また丁巳日誌「報志利辺津日誌」にも「ワツカタサ」と記録されています。
永田地名解には次のように記されていました。
Wakka tasatp ワㇰカ タサッㇷ゚ 水ヲ汲ミニ下ル處 土人云水瀨强ク下ル處ナリト
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.180 より引用)
はい。ここまで見た限り、「──駅名の起源」以外で「エ」が出てくる記録が見当たらないのですね。wakka-ta-e-sap-pet で「水・汲む・そこに・下りる・川」と解釈する場合、e- が無いと文法的な収まりがおかしくなるような気もするので e- を追加したんじゃないかな……と邪推してしまいます。もっとも ta-e-sap が ta-sap と変化するのはあり得る話なので、他の記録に「エ」が見つからないことが e- の非実在を証明するものでは無いのですけどね。
ただ、永田地名解の内容を素直に解釈すれば、wakka-ta-sap(-pet) で事足りるようにも思えます。「水を汲みに下りる」のではなく、sap を「群をなして山から浜に出る」意味と考えれば良さそうに思えます。
ということで、wakka-ta-sap(-pet) で「水・汲む・群をなして流れ下る(・川)」と考えて良いのではないでしょうか。ワッカタサップ川も流域がそこそこ広いので、雨が降った翌日には結構な勢いで水が増えたんじゃないかな……と考えてみました。
あ、「脇方」は「ワッカタサップ」を後略したものと見て良さそうです(あわてて書き足したな)。
カシプニ川
(典拠あり、類型未確認)
尻別川の東支流で、京極町の南部を流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には何故か尻別川の西支流として「カシユフ」という名前で描かれていました。丁巳日誌「報志利辺津日誌」には次のように記されていました。
またしばし過て
ベンケメナ
左りの方東岸少しの平地。赤楊・柳原にて箬多く、其傍小川有巾五間計浅瀬しばし下りて
カシユツフ
崖の下渕に成居るなり。此渕の下岩石峨々として、其辺フイラ有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.343 より引用)
「箬」は「くまざさ」を意味するそうです。「左りの方東岸」というのはアイヌの流儀で考えると正しいのですが、「ワツカタサ」(=ワッカタサップ川)や「ヘビナイ」(=ペーペナイ川)のことを「右の方東岸」と記しているので、やはり左右(東西)の取り違えがあったのかもしれません。永田地名解には次のように記されていました。
Kashp ni カシュプニ 杜仲(マユミ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.180 より引用)
「マユミ」という樹木があるのですが、アイヌは kasup-ni と呼んだのだそうです。Wikipedia には「古くから弓の材料として知られ」とありますが、知里さんによると kasup-ni は「杓子・木」とのこと。素直に「マユミの木(の多いところ)」と考えて良いのかな、と思わせます。なお、カシプニ川の上流部に錦という名前の集落(現在は無人とのこと)がありますが、この「錦」はマユミの別名である「錦木」(山錦木)に由来するとのことです。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿