2020年6月14日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (737) 「小沢・ヤエニシベ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

小沢(こざわ)

sak-{ru-pes-pe}
夏・{峠道}

(典拠あり、類型あり)
共和町東部の地名で、同名の駅があります。ということで、毎度おなじみ「──駅名の起源」を見てみましょう。

  小 沢(こざわ)
所在地 (後志国) 岩内郡共和町
開 駅 明治 37 年 7 月 18 日(北海道鉄道)
起 源 原名はアイヌ話の「サㇰ・ルペシペ」(夏越える沢道)で、安政 3 年(1856 年)村垣淡路守視察の際、それを「夏小沢」と解し、「小沢」と名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.31 より引用)※ 原文ママ

sak-{ru-pes-pe} は「夏・{峠道}」と解釈できますが、その意訳地名ではないか……という説ですね。

「シマツケナイ川」上流説

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

小沢 こざわ
 共和町内の地名,駅名。旧小沢村は今の共和町の東半部,堀株川上流一帯の地で,小沢の市街地はシマツケナイ川の川口のそばである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.473 より引用)
さらっと重要なことが記されていますが、共和町ができる前の「小澤村」は現在の「小沢」と「国富」の両方に跨っていた……と言うことになるのですね。「小沢の市街地はシマツケナイ川の──」という表現に違和感があったのですが、国富も小沢村の市街地だ、と考えると納得が行きます(明治時代の地形図を見ると、確かに「南部茶屋」の文字の上に「小澤」と記されています)。

昭和29年版北海道行政区画便覧は「小沢村名の由来はサマツケナイ(横向きの沢の義)が語源で,小さき沢多きの意である」と書き,北海道駅名の起源は「サㇰ・ルペシペ(夏越える沢道)で,安政三年村垣淡路守廻浦の際,それを夏小沢と解し,小沢と名づけたのである」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.473 より引用)
なるほど、「小沢」は「シマツケナイ川」に由来するという説もあったのですね。

この辺ではシマツケナイの水源の余市方面に山越えする沢にサクルベシベの名が残っている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.473 より引用)
確かに「東西蝦夷山川地理取調図」には「シヤクルヘシヘ」と「マタルヘシヘ」という川が描かれています。描かれ方を見ると、現在の「シマツケナイ川」の支流のようにも見えます。

「堀株川」上流説

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 小沢(こざわ)
 行政的には共和町で、西積丹の根元にある堀株川の上流を、昔はサㇰ・ルペシペ(夏越える道)といって、これをさかのぼって矢張り木幣をあげて通る稲穂峠(現在の倶知安峠)を越えて尻別川筋へ出たが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.50 より引用)
えーと、その……。適度に句点「。」を入れて文章を分けていただけるとありがたいのですが(汗)。

この沢道を安政三年(一八五六)に通った箱館奉行の村垣淡路守が、ここを「夏小沢」という訳名をつけたのが小沢となり、一般によばれるようになった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.50 より引用)
「なんだ結局同じことを言ってるじゃないか」と思われるかもしれませんが、実は sak-{ru-pes-pe} の場所が全く異なっています。山田説だと「シマツケナイ川上流・稲穂峠至近」ですが、更科説では「堀株川上流・倶知安峠至近」となります。

山田説の場合、「東西蝦夷山川地理取調図」に「シヤクルヘシヘ」という川が描かれていて、それに依ったと考えることができます。一方で更科説の場合、「東西蝦夷──」にはそれらしき川が見当たらない代わりに、明治時代の地形図に「ルペシュペ川」という川が描かれています。

また、この「ルペシュペ川」は永田地名解にも記録があります。

Rupesh be  ルペㇱュ ベ  路 此路ハ尻別川ト岩内川ノ分水嶺ナリ一名イナウ峠トモ云フ此處ヨリ「ポンクチヤナイ」ヲ經テ「シリペツ」ノ「ソーツケ」ト云フ鮭漁場ニ至ルナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.117 より引用)
ややこしい話ですが、現在の倶知安峠もかつては「イナウ峠」と呼ばれていました。共和町から仁木町に抜ける峠は現在も「稲穂峠」ですが、明治時代の地形図を見ると、共和町から倶知安町に抜ける峠も「稲穂峠」でした。

ということで

長々と書いてきましたが、「小沢」が sak-{ru-pes-pe} の意訳地名である、という点については(個人的には)疑義はありません。「サㇰルペシペ」の所在地については更科説に若干の分があるような気もしていますが、なんかそこまで拘る必要も無いような気がしてきました(ぉぃ)。

ヤエニシベ

ya-e-nu-us-pet??
網・で・豊漁・いつもする・川

(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
JR 函館本線・小沢駅から国道 5 号で東南東に向かったあたりの地名です。同名の川(ヤエニシベ川)や「ポンヤエニシベ川」があります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホンヤイヌヘツ」と「ヤイヌヘツ」という川が描かれています。また「西蝦夷日誌」には「ヤイヌシベツ(小川)」と記されていました。

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

扨又川すじ上るに、セトシナイ、セトシシン(リ)コヲマヘツ、左りの方の小川、並て ホンヤニシヘツ、並びて ホロヤニシヘツ、並びて テキラウシナイ、少し上り ニナラワ(パ)ヲマナイ、此辺より左右山有、谷川と成るよし也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.366 より引用)
丁巳日誌「曽宇津計日誌」には次のように記されていました。

暫く上り、
     ニナラケシ
     ホンヤエニシベツ
     ホロヤエニシベツ
等右の方より落来るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.130 より引用)
「曽宇津計日誌」では「右の方より」とありますが、少し前に「セトシ」を「左りの方より」と記しているので、左右を誤っている可能性がありそうですね。

「ヤエニシベ」をどう解釈するかですが、ここまで見てきた記録を加味して考えてみると、ya-e-nu-us-pet で「網・で・豊漁・いつもする・川」と考えられたり……しないでしょうか?

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