2020年4月18日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (720) 「草内・柾泊・尾根内」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

草内(くさない)

kucha(-un)-nay
山小屋(・ある)・川

(典拠あり、類型多数)
積丹町余別町から国道 229 号の「余別トンネル」で西に抜けた先の地名です。そのまま海沿いに西に進むと神威岬ですが、国道は草内から南に向きを変えて「神威岬トンネル」で柾泊(まさどまり)に向かいます。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「クチヤナエ」という地名?が描かれていました。また「西蝦夷日誌」にも次のように記されていました。

 崖(百ヨ間)を上り、平野しばし過(十七八町)、此邊にも鹿多し。其跡を認行、クチヤナイ〔草内〕に下る。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.137 より引用)
永田地名解にも次のように記されていました。

Kucha nai  クチャ ナイ  丸小屋ノ澤
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.103 より引用)
なるほど。「山小屋」を意味する語彙は kaskucha があり、どちらも地名に出てきますが、kas が仮設の小屋なのに対し、kucha は常設の小屋を意味する……とされています。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも、次のように記されていました。

クチャは山小屋または狩小屋のことで、山小屋のある川の意味だというが、そうならクチャウンナイとなるべきである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.39 より引用)
まるで知里さんのようなツッコミが入りましたが、確かにその通りかな、と思います。kucha(-un)-nay で「山小屋(・ある)・川」と考えるべきかと思います。

なお、山田秀三さんは「アイヌ語地名を歩く」の「おかもい様」と題されたエッセイで次のように記していましたが……

草内はクチャ・ナイ(丸小屋の・沢)の訛りだという。クチャは円く丸太を立ててその先を束ねて縛り、テントのような形に作った仮小屋の称。
(山田秀三「アイヌ語地名を歩く」草風館 p.32 より引用)
あれっ、「仮小屋」になっちゃってますね。ただ永田方正も「丸小屋」と書いていましたし、草内の kuchakas に近いものだったのかもしれませんね……?

柾泊(まさどまり)

mata-tomari
冬・泊地
matnaw-tomari?
北風・泊地

(典拠あり、類型多数)(? = 典拠あり、類型未確認)
積丹町草内から南に向かい、「神威岬トンネル」を抜けた先が「柾泊」です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「マチナトナリ」という地名?が描かれていました。

また、「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

チシヤナイ(小澤)、シイ岩(岩磯)、レフンコ泊(小澗)、マチナ泊(出稼多し)訛てマサトマリ〔政泊〕と云。名義、北風を凌ぐ澗と云義か。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.136 より引用)
「マサトマリ」は訛った形で、元の名前は「マチナトマリ」だ……としていますね。一方で「再航蝦夷日誌」には「マシラトマリ」と記されていました。「竹四郎廻浦日記」には現在と同じ音の「マサトマリ」とあったので、かなり前から「マサトマリ」と訛る流儀もあったように見受けられます。

永田地名解には次のように記されていました。

Mata tomari  マタ トマリ  冬泊 和人「マサドマリ」ニ誤ル元名ハ「シユンクトマリ」ト云蝦夷松泊ノ義
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.103 より引用)
ほうほう。「マサトマリ」ではなく「マタトマリ」で、mata-tomari で「冬・泊地」だという説ですね。そして元々は sunku-tomari で「エゾマツ・泊地」だったのだ……とのこと。

sunku-tomari の話は他では見かけないものですが、永田方正が現地でヒアリングしたネタでしょうか。そういえば「政泊」がいつの間にか「柾泊」になっていますが、「柾」は「マサキ」という樹木を意味する字でもありますね。

「マタトマリ」が訛って「マサトマリ」になったのだ、という説については概ね首肯できますが、一方で「マチナトマリ」や「マシラトマリ」は何だったのか……という点も考えてみました。……えーと、matnaw で「北風」を意味するので、matnaw-tomari で「北風・泊地」と読み解けそうですね。

尾根内(おねない)

onne-nay
年老いた・川

(典拠あり、類型多数)
積丹町柾泊から「神岬トンネル」(こうざき──)を南に抜けたあたりの地名です(住所としては「神岬町」のようですが)。同名の川も流れていて、直接海に注いでいます。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲン子ナイ」という川が描かれています。また「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

オラエニシ(怪岩)、マウニシテシ(岩磯)大岩あり。(六町十間)オンネ
ナイ〔尾根内〕(小川、人家)、幷てレタシモナイ(大岩聳立)、オシヨロコチ(平磯)上に火燃の如き奇石有、其色赭色にして遠見する時は恰も火の燃立かと怪まる。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.136 より引用)
念のため、前後関係がわかる形で引用してみたのですが、これらの地名と「東西蝦夷山川地理取調図」を見比べてみると、結構ズタズタですね。一番わかり易いのが「オンネナイ」と「オシヨロコチ」の前後関係が逆になっているところでしょうか。

このあたりの松浦武四郎の記録は意外と精度が高くない印象があるので、まぁそういうこともある、と見ておくのが良さそうでしょうか。

無駄にネタを引っ張った感もありますが、「尾根内川」の左右にはめちゃくちゃ長い「尾根」があったりします。onne-nay は「年老いた・川」で、あるいは「長じた・川」と書いても良さそうでしょうか。

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