2020年3月31日火曜日

木次線代行バスで各駅停車 (22) 「八川~出雲坂根」

備後落合行き 1449D の代行バスは、八川駅を出発して次の出雲坂根駅に向かいます。「路面に圧雪あり」とありますが、見た感じでは積雪や氷は無さそうでしょうか(もちろん油断は禁物ですが)。
国道 314 号は、八川駅を出発してすぐのところで「下横田川」を渡ったので、木次線の線路は川の向こうに見えています。
ただ、「仲仙道」集落のあたりで木次線も一旦川の南側に渡ってきたので、僅かな間ではありますが線路と国道が並ぶことになります。
これが木次線の線路だと思うのですが、完全に雪に埋もれていますね……。ただ、この程度の雪であれば、除雪車があれば普通に除雪できそうな気もします。きっとそれだけのコストに見合わない、ということなんでしょうね。

ゆっくり走ろう代行バス

代行バスは国道 314 号をゆっくり走ります。時折後ろの車に道を譲ることも。
木次線の踏切が見えます(町道の踏切でしょうか)。この日は営業列車が走ることは無い筈なので、おそらく踏切が鳴動することも無いのでしょうね。
路面はしっかり除雪されていて、もう乾いているようにも見えます。派手に降ったのは一週間ほど前(バス代行が始まった頃)なのでしょうか。
現在の気温が表示されていました。この気温だと雨ではなく雪になりそうですね。
表示は「上り坂」と「路面凍結」を交互に繰り返していました。この先は更に標高が上がるので、気温も下がりそうです。確かに凍結に注意ですね。

出雲坂根駅(いずもさかね──)

左手に「出雲坂根駅」が見えてきました。
駅舎は随分と立派なもので、近代的な木造駅舎と言った感じでしょうか。
代行バスは、なぜか道路右側のバス停?に停車しました。確かに道路の左側にはバスを停められそうなスペースが無かったですが……。
Google Map で確かめてみると、ここはどうやら駐車場のようですね。肝心の駐車スペースが雪置き場になってしまっているからか、ちょうどバスを停めるのに良さそうなスペースが残った(と言うよりは意図的にスペースを用意した)のでしょうね。

出発は 22 分後

1449D の八川駅出発は 13:16 でしたが、次の出雲坂根駅の出発はなんと 13:52 です(「奥出雲おろち号」の到着を待つダイヤだったようです)。この時点で 13:30 でしたので、出発まで 22 分ほど待つことになります。いったん代行バスを離れて、駅を見学することにしましょう。

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2020年3月30日月曜日

木次線代行バスで各駅停車 (21) 「八川」

備後落合行き 1449D の代行バスに乗車しました。運賃表の上に停車駅が貼られているのが見えます。1449D は備後落合までの 5 駅を、1 時間 25 分かけて走る予定でした。
出発まで 10 分以上余裕があるからか、運転士さんはまた外に出てしまいました。
よく見ると、代行バスの時刻表がありました。どうやら 1449D のダイヤをそのまま踏襲するようです(そりゃまぁ、そうしないと「代行」じゃないですからね)。
出雲大社を模した重厚なつくりの出雲横田の駅舎とも、間もなくお別れです。

代行バス、発車

代行バスは時刻通りに出雲横田を出発しました。出雲横田の中心街を東西に走る県道 15 号「横田多里線」で西に向かいます。
国道 314 号との交叉点にやってきました。左に木次線の線路がある筈なのですが、立体交差の下なので全く見えません。
交叉点を左折して、国道 314 号を南に向かいます。国道沿いにも結構店が立ち並んでいますね。

島根デザイン専門学校……?

ファミマの近くにやってきました。この先の交叉点を左折すると「奥出雲たたらと刀剣館」と「島根デザイン専門学校」があるようです。
あれ、「島根デザイン専門学校」って……木次駅で見かけた「木次線 18 駅」のパネルアートを描いていた人たちの学校ですよね。出雲横田にあったとは盲点でした。てっきり松江あたりにあるものだとばかり……。

奥出雲町八川

旧・横田町の第二の市街地と言えそうな八川にやってきました。T 字路を右折すると「絲原記念館」のある(奥出雲町)大谷です。
ただ、面白いことに木次線の「八川駅」は、八川の市街地から 1.2 km ほど南に離れたところにあります。ちょっと不思議な立地ですが、旧・馬木村(→ 旧・横田町馬木)に向かう県道 49 号「上筒井八川線」が八川駅のすぐ近くで国道と接続しているので、馬木地区への接続を考慮しての立地だったのかもしれません。
「木次線」の八川駅ではなくて「トロッコ」の八川駅になっているのはご愛嬌でしょうか。トロッコ車両が連結される「奥出雲おろち号」も、すっかり定着したと捉えていいのかもしれません。

八川駅(やかわ──)

1 km ほど国道を南下して、馬木に向かう県道 49 号との交叉点が近づいてきました。
県道との交叉点の 200 m ほど先を左折します。おおっ、これは……!
噂には聞いていましたが、凛とした佇まいの素敵な駅舎ですね。松本清張の小説「砂の器」が映画化された際に、亀嵩駅の代わりにロケ地として使用されたというのも納得です。

代行バスの運転士さんが駅の待合室に乗客が待っていないか確認して回ります。
運転士さんに後で聞いた所、バス代行が始まって約 1 週間とのこと。バス代行になっているにも関わらず、普段どおりに鉄道が来ると思って待っている人がいるかもしれませんからね。

例のアレ「脚摩乳」

すっかり忘れていましたが、八川駅の「例のアレ」こと「神話駅名」は「脚摩乳」(あしなづち)とのこと。アシナヅチは素戔嗚命によって「櫛」にされた「奇稲田姫」(クシナダヒメ)の父神に当たります。

つまり、例のアレが「手摩乳」(てなづち)である出雲八代駅とは「夫婦駅」ということになりそうですが、奇しくも映画「砂の器」で「亀嵩駅」の代わりにロケ地として使われた両駅が「夫婦駅」という扱いになっているというのも、ちょっとした因縁のようなものが感じられて面白いですね。

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2020年3月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (715) 「別内沢・ポンネアンチシ山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

別内沢(べつない──)

poro-nay?
大きな・川

(? = 典拠あるが疑わしい、類型多数)
道道 568 号「船澗美国港線」の起点あたりで美国川に合流する南支流の名前です。アイヌ語で petnay は「川」を意味することが多く、それぞれ「別」と「内」という字が充てられる例が多く見られます。

nay は山中の細い流れに名付けられることも少なくなく、「沢」と解釈される場合もあります。つまり「別内沢」は「川・川・沢」あるいは「川・沢・沢」ということに成りかねません。果たしてこれはどう解釈すれば良いのでしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」には美国川の南支流として「ヒラハナイ」「ハンケウシ」「ヘンケウシ」「ヲキラナイ」「ホロナン」「シユンクウシヒクニ」が記録されていました。また「竹四郎廻浦日記」には川の名前として「ヒラバ」「バンケクシ」「ヲキラシナイ」「ベンゲクシ」「ホロナイ」「シユムシリハンヒクニ」が記録されています。

これらの記録を見る限りでは、「別内沢」は「ホロナイ」と認識されていたように思えます。poro-nay は、一般的には「大きな・川」と解釈されます。

なぜ「ホロ」が「ベツ」に化けたのかは謎としか言いようがありません……。「ホロナイ」が道内の各所にあるので、他所の「ホロナイ」とは「別」なんだよ、というアピールだったりするのでしょうか……?

ポンネアンチシ山

po-{ne-an}-chis???
子・{に・なる}・中凹み
pon-ne-anchi-us-i??
小さい・ようである・黒曜石・ある・もの(川)

(??? = 典拠なし、類型未確認)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
道道 568 号「船澗美国港線」の起点あたりから更に美国川を遡ると、「我呂ノ沢」という支流が西から美国川に合流しています。余談ですが、道南には「ガロ」または「ガロー」という名前や読みの川が非常に多く、面白いことに道南以外ではほぼ皆無のような気がするんですよね。君とよくこの店にk……いやなんでも無いです。

小さな黒耀石の多い川

美国の「我呂ノ沢」も、古い地形図には「ポン子アンチシ川」と描かれていました。やはり元々はアイヌ語由来の名前があって、それが英語由来?の川名に置き換えられたと考えることができそうですね。

「我呂ノ沢」を地理院地図でも見ると、3 つの流れが最終的に 1 つにまとまっているように見えます。一番南の支流を遡るとポンネアンチシ山の頂上に向かうことになり、現在はこの川が「我呂川」と呼ばれているようです。

一方、明治時代の「ポン子アンチシ川」は真ん中の流れに相当します。この川の水源はポンネアンチシ山と余別岳の間の鞍部です。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 ポンネアンチシ山 1,114.8 メートル 神恵内村との境界の山で,アイヌ語の小さい黒曜石の多いの意かと思う。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.201 より引用)
pon-ne-anchi-us-i で「小さい・ようである・黒曜石・ある・もの(川)」と解釈すれば良いでしょうか。道東の置戸には「ポンオンネアンズ川」という川があり、この川は pon-onne-anchi ではないかとされています。この例から考えると、実は「ポンネアンチシ」も po-onne-anchi-us-i で「子である・大きな・黒曜石・ある・もの(川)」と考えることもできるのかもしれません。

小さな中凹み?

実際に黒曜石(黒耀石?)が良く取れるのであれば他に解釈の余地は無いと思われるのですが、この地形を見るとどうしても別の解釈を検討してみたくなります。積丹半島の最高峰は標高 1,297.7 m の「余別岳」で、その東北東に標高 1,255.4 m の「積丹岳」が並んでいます。

ポンネアンチシ山は余別岳の南南東に位置する標高 1,145 m の山です。この 3 つの山の間には少し窪んだ鞍部が存在していて、余別岳とポンネアンチシ山の鞍部から東に流れた水はやがて「ポンネアンチシ川」(旧称)となります。

「ポンネアンチシ」は po-{ne-an}-chis で「子・{に・なる}・中凹み」と考えられないでしょうか。

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2020年3月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (714) 「厚苫・弁越」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

厚苫(あっとま)

at-oma-i?
群来・そこにある・ところ

(? = 典拠あるが疑わしい、類型多数)
古平町と積丹町の境界に位置する岬の名前で、また、岬の西側の地名でもあります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「アトマイ」という地名が描かれています。一方で「西蝦夷日誌」には「アトイコイ(沙濱)」との記載があり、また「再航蝦夷日誌」には「アトマリ」とあります。「竹四郎廻浦日記」も「アトイコイ」ですが、「コ」の横に(マ)とのルビが振られています。

今回は久しぶりに「角川──」(略──)を見てみましょうか。

地名の由来には,アイヌ語の
アツトマイ(豊かなところの意)による説(北海道地名解),アツトマリ(ニシンが群来する泊の意)による説(小樽港史)などがある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.77 より引用)
at は「オヒョウニレの樹皮」を意味する名詞ですが、別に「群来する」という意味の自動詞でもあります。heroki-at で「ニシンが群来する」という意味になりますので、at-tomari だけでは「ニシン」という意味は(厳密には)含まれません。ただ、このあたりで「群来」と言えば「ニシン」なので、あえて heroki- を冠する必要は無かった、ということでしょう。

「──トマリ」と解釈する流儀は、再航蝦夷日誌の「アトマリ」から来ているのかもしれません。おそらく元々は at-oma-i で「群来・そこにある・ところ」だったのでは無いでしょうか。

厚苫岬はもとシヤコタン・ビクニの場所境にあたり,漁場の関係で境界争いが絶えなかった。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.77 より引用)
(汗)。そう言えば岬の西側は「積丹町厚苫」ですが、南東側は「古平町群来町」なんですよね。古平の「群来町」という地名も、実は at-oma-i を和訳したもの……と言えるのかもしれません。

弁越(べんごし)

penke-kus(-nay)??
川上側の・通行する・川

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
美国町の中心部から道道 568 号「船澗美国港線」で、美国川の支流の焼野川沿いを遡ると「川上」という地名があります。川上から見て南東の、美国川の向こう側あたりの地名です。古い地図では「辨腰」と描かれています。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 弁越(べんごし) 美国川中流地帯。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.204 より引用)
さすが我らの更科さんです。ブレませんねぇ

さて、美国川流域については、「竹四郎廻浦日記」に次のように記録されていました。

     ビクニベツ
川巾十間斗。小石川。急流。よつて渡し船を置たり。
 此川源にシヤコタン岳とヒクニ岳、フルヒラ岳の間を切て、凡七八日にしてフルウホロハツタラナイの後に当り居るよし。先を行に字は ヒラバ、左りの方 バンケクシ、ヲキラシナイ、ベンゲクシ、しばし上るに ホロナイ、並びて シユムシリハンヒクニ。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.403 より引用)
「竹四郎廻浦日記」には川の名前として「ヒラバ」「バンケクシ」「ヲキラシナイ」「ベンゲクシ」「ホロナイ」が記録されています。「東西蝦夷山川地理取調図」では「ヒラハナイ」「ハンケウシ」「ヘンケウシ」「ヲキラナイ」「ホロナン」とあり、「ヘンケウシ」と「ヲキラナイ」の位置が逆転しているようです。

「ヲキラナイ」の意味を検討

「ヲキラナイ」は o-kiraw-nay で「そこに・角・川」かなぁ、と思わせます(おそらく元々は o-kiraw(-un)-nay あたりだったのでは無いでしょうか)。となると「弁越」の西を流れる美国川の支流が「ヲキラナイ」だったのではないか……と思えてきます。

この川(名称不明)を遡るとほどなく二手に分かれるのですが、川と川の間の峰がかなり鋭利な形で、これを「角」(つの)と呼んだんじゃないかなぁ……と思っています。

「弁越」は「ベンゲクシ」か「ヘンケウシ」

とりあえず「弁越」の近くを「ベンゲクシ」あるいは「ヘンケウシ」という川が流れていた、ということはほぼ確定と見て良いと思います。あとは「ベンゲクシ」か「ヘンケウシ」か……というところですが、penke-kus(-nay?) あたりであれば「川上側の・通行する・川」となります。

「バンゲクシ」あるいは「ハンケウシ」の場所はほぼ確定していると思われるのですが、この川(名称不明)を遡ると古平町のチョペタン川、あるいは出戸ノ沢川の流域に出ることができます。

積丹町弁越の西側(川上側)を流れる川を遡った場合、古平町の泥ノ木川流域に出ることができますが、実は弁越の東側を流れる川を遡ると、より短い距離で泥ノ木川流域に出ることができます。

これらの点を総合して考えると、まず川の並びは「東西蝦夷山川地理取調図」にある通りに「ハンケウシ」「ヘンケウシ」「ヲキラナイ」で良いのではないか、と思われます。ただ川の名前は「竹四郎廻浦日記」にあるように本来は「バンケクシ」「ベンゲクシ」だったのではないか、と思います。

ということで、「弁越」は penke-kus(-nay) で「川上側の・通行する・川」ではなかろうか、というのが今日のところの結論です。

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2020年3月27日金曜日

木次線代行バスで各駅停車 (20) 「出雲横田 その 2」

備後落合行き 1449D は、出雲横田駅で 20 分停車した後に出発する……予定でした(汗)。ところがなんと、大雪のため出雲横田から備後落合まではバスで代行運転となってしまいました。
備後落合に向かう線路が伸びていましたが、今日はこの先を列車が走ることはありません(もしかしたら除雪車とかが走るのかもしれませんが)。

来るのは 7 本、出るのは 10 本?

木次から出雲横田までの下り列車は一日 7 本で、うち 3~4 本が出雲横田止まりです。逆に出雲横田から木次に向かう上り列車は一日 10 本で、6~7 本が出雲横田始発です。
普通に考えると車輌も運転士さんも足りなくなるので、1449D のように何故か運転士さんが二人乗っていたり、未使用の車輌を後ろに連結したりしている……のだと思います。もし出雲横田から備後落合までがバス代行になっていなければ、後ろの車輌をここで切り離していたのでしょうね。
木次からの一番列車が到着する前に、出雲横田から木次に向かう列車が 2 本ほど設定されています。出雲横田に 2 編成が停泊するほか、運転士さんも「乗務員休泊所」で寝泊まりする、ということなのでしょうね。

風格のある駅舎

出雲横田の駅は、改札の上に巨大な注連縄があったりして、なかなか「風格」を感じさせます。
駅前広場から駅舎を眺めると、更に風格のある佇まいです。この駅舎は 1934 年の開業当初からあるらしく、その事実で更に風格が増しているような感じも。

代行バス!

そして駅の真ん前には JR バスの姿が!
JR バスの方向幕には「鉄道代行」の文字が。随分と手回しが良い感じですね。
早速バスの中に入りました。代行バスに乗るなんて経験は滅多に無いので、どうせならいい席を確保したいじゃないですか。

雲州そろばん伝統産業会館

バスの中から「雲州そろばん伝統産業会館」を眺めます。あ、よく見たら窓がそろばんの形!
ちなみにこの方は……どなたでしょう? 何か棒のようなものを持っているように見えますが……あ、もしかしてカーリングのブラシでは?(絶対違うと思う

奥出雲交通の路線網が凄い

出雲横田駅のめちゃくちゃ風格ある駅舎を望みます。駅舎が立派なだけでなく、2005 年までは木次線でもっとも乗車人員の多い駅だったのだとか。
駅前にはバス停がある……のですが、下の方は雪に埋もれてますね(汗)。
出雲横田駅からは、「奥出雲交通」のバスが 4 路線も出ていました。町の南西部にある「馬木」に向かうバスが 4~6 本、西に向かって「大谷」を経由して「三成」に向かうバスが 3~5 本、東隣の日南町にある「阿毘縁(あびれ)」に向かうバスが 5~6 本、そして木次線と並走して町の南端にある「三井野原」に向かうバスが 5~6 本ほどあります。

「横田」から「三成」に向かうバスの中には、横田の東にある「蔵屋」を経由する便もあるようです。まるっきり逆方角ですが……。

あっという間に 4 連発

こうやって時刻表を見てみると、結構な本数が走っていることに驚かされます。代行バスの出発を待っている間にも……あっ。
あっ、あっ。改めて時刻表を見てみると、12:56 に「阿毘縁行き」と「(大谷経由)三成行き」が出発して、1 分後の 12:57 に「(馬木経由)三成行き」と「三井野原行き」が出発しています。
しかも「阿毘縁行き」以外の 3 本は「八川公民館前」まで同じルートを通るようで、3 台のバスが連なって走る……ってことですよね? 木次線の到着に合わせたダイヤなんでしょうけど、このダイヤは凄いとしか……。

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2020年3月26日木曜日

木次線各駅停車 (19) 「出雲横田」

備後落合行き 1449D は、毎度おなじみ定刻通りに亀嵩を出発しました。次の停車駅は「出雲横田」です。
亀嵩は斐伊川の北支流である「亀嵩川」の流域で、出雲横田は「斐伊川」の流域です。出雲三成も斐伊川の流域なので、わざわざ亀嵩を経由するのは遠回りでしか無いのですが、ルート選定の途中で「龜嵩村」を経由するように変更になったとのこと。色々と大人の事情があったのかもしれませんね。
木次線は亀嵩を出発して 0.6 km ほどで向きを変えて、南東に向かいます。
全長 660 m の「反谷トンネル」を抜けて、再び斐伊川の流域に向かいます。

駅間に、トンネル 3 つと橋 4 つ

木次線は斐伊川の流域に戻ってきました。右に左にと激しく蛇行する斐伊川に対し、木次線は遠慮なく橋を架けてトンネルを掘り、良い線形をキープしようとします。
もっとも、この「第二大曲トンネル」(?)のあたりは、かなり妥協したような雰囲気も感じられますが……。
亀嵩と出雲横田の間では、斐伊川を 3 回渡って、最後に斐伊川の支流である「下横田川」を渡ります。出雲横田駅が近づいてきました。

出雲横田駅(いずもよこた──)

中継信号機(道路における「予告信号機」みたいなものだったかと)が見えます。斜めに点灯しているということは、この先の入場信号機?が黄色を現示しているということですね。
出雲横田の駅が見えてきました。……おおっ、なんだかめちゃくちゃデカい建物が見えますね。
このデカい建物は車両工場か何か……かと思ったのですが、実は「雲州そろばん伝統産業会館」の建物なのだとか。出雲横田駅や JR 西日本とは何の関係も無いみたいです。
備後落合行き 1449D は、ゆっくりと出雲横田駅に入線します。前方の出発信号は赤を現示しています。

1 番のりばの謎

出雲横田駅は 2 面 3 線の国鉄型配線の駅……に見えるのですが、実はタラコ色のキハ 120 が停車している線路は木次方面とは繋がっていませんでした。こうやって車両の留置には使われているので、現在は留置線だと理解すれば良いのでしょうか。
更に不思議なことには、Wikipedia によると、駅舎のあるほうのホーム(1449D が入線した場所)が「2 番のりば」で、駅舎から遠い方のホームが「1 番のりば」とのこと。普通は駅舎のある側が「1 番線」だと思うのですが、今は必ずしもそうでは無かったりするのでしょうか。
線路の向かい側には「祝 日本遺産認定」との看板が掲出された待合室が見えます。備後落合からやってきた木次・宍道方面の列車が入線するこの乗り場が「1 番のりば」なのだそうです。
1 番のりばの駅名標は JR 西日本の標準的なもの(ラインカラー制定後)です。

例のアレ「奇稲田姫」

「例のアレ」こと「神話駅名」は駅舎の前に掲出されていました。出雲横田駅の「例のアレ」は「奇稲田姫」(くしいなだひめ)とのこと。
……あっ、なぁんだ。「奇稲田姫」って「櫛名田比売」(クシナダヒメ)のことじゃあないですか。櫛名田比売は素戔嗚尊によって「」にされるという憂き目に遭った気の毒な娘さん、です。
これはつまり(やめなさい)、出雲横田駅は日登駅木次駅を討伐するに際して「櫛」にされた、ということになりますね(やめなさいって)。駅の隣の「雲州そろばん伝統産業会館」が随分と立派な建物に見えるのも、櫛とそろばんのサイズの違いが如実に現れたと見て……(良くない)。

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