亀嵩は斐伊川の北支流である「亀嵩川」の流域で、出雲横田は「斐伊川」の流域です。出雲三成も斐伊川の流域なので、わざわざ亀嵩を経由するのは遠回りでしか無いのですが、ルート選定の途中で「龜嵩村」を経由するように変更になったとのこと。色々と大人の事情があったのかもしれませんね。
木次線は亀嵩を出発して 0.6 km ほどで向きを変えて、南東に向かいます。
全長 660 m の「反谷トンネル」を抜けて、再び斐伊川の流域に向かいます。
駅間に、トンネル 3 つと橋 4 つ
木次線は斐伊川の流域に戻ってきました。右に左にと激しく蛇行する斐伊川に対し、木次線は遠慮なく橋を架けてトンネルを掘り、良い線形をキープしようとします。もっとも、この「第二大曲トンネル」(?)のあたりは、かなり妥協したような雰囲気も感じられますが……。
亀嵩と出雲横田の間では、斐伊川を 3 回渡って、最後に斐伊川の支流である「下横田川」を渡ります。出雲横田駅が近づいてきました。
出雲横田駅(いずもよこた──)
中継信号機(道路における「予告信号機」みたいなものだったかと)が見えます。斜めに点灯しているということは、この先の入場信号機?が黄色を現示しているということですね。出雲横田の駅が見えてきました。……おおっ、なんだかめちゃくちゃデカい建物が見えますね。
このデカい建物は車両工場か何か……かと思ったのですが、実は「雲州そろばん伝統産業会館」の建物なのだとか。出雲横田駅や JR 西日本とは何の関係も無いみたいです。
備後落合行き 1449D は、ゆっくりと出雲横田駅に入線します。前方の出発信号は赤を現示しています。
1 番のりばの謎
出雲横田駅は 2 面 3 線の国鉄型配線の駅……に見えるのですが、実はタラコ色のキハ 120 が停車している線路は木次方面とは繋がっていませんでした。こうやって車両の留置には使われているので、現在は留置線だと理解すれば良いのでしょうか。更に不思議なことには、Wikipedia によると、駅舎のあるほうのホーム(1449D が入線した場所)が「2 番のりば」で、駅舎から遠い方のホームが「1 番のりば」とのこと。普通は駅舎のある側が「1 番線」だと思うのですが、今は必ずしもそうでは無かったりするのでしょうか。
線路の向かい側には「祝 日本遺産認定」との看板が掲出された待合室が見えます。備後落合からやってきた木次・宍道方面の列車が入線するこの乗り場が「1 番のりば」なのだそうです。
1 番のりばの駅名標は JR 西日本の標準的なもの(ラインカラー制定後)です。
例のアレ「奇稲田姫」
「例のアレ」こと「神話駅名」は駅舎の前に掲出されていました。出雲横田駅の「例のアレ」は「奇稲田姫」(くしいなだひめ)とのこと。……あっ、なぁんだ。「奇稲田姫」って「櫛名田比売」(クシナダヒメ)のことじゃあないですか。櫛名田比売は素戔嗚尊によって「櫛」にされるという憂き目に遭った気の毒な娘さん、です。
これはつまり(やめなさい)、出雲横田駅は日登駅が木次駅を討伐するに際して「櫛」にされた、ということになりますね(やめなさいって)。駅の隣の「雲州そろばん伝統産業会館」が随分と立派な建物に見えるのも、櫛とそろばんのサイズの違いが如実に現れたと見て……(良くない)。
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横田は高校もあったはずなので、それなりの拠点性があるところです。
返信削除ねこあたま さん:
返信削除お隣の仁多町と合併して奥出雲町になった際に、仁多町のほうが僅かに人口が多かったからか(それとも松江に近かったからか)役場を取られてしまったようですが、町自体は横田町のほうがやや都会かな、という印象もあります。「島根デザイン専門学校」が横田町にあったというのも驚きでした。