(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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歌棄(うたすつ)
(典拠あり、類型あり)
国道 229 号沿いの「セタカムイ道路防災祈念広場」を過ぎて、長い「沖歌トンネル」を抜けたあたりが「歌棄」です。「歌棄」という地名は寿都町歌棄が有名ですが、実は古平にもありました。いずれも字が同じ「歌棄」なのも興味深いですね。ここは明治 35 年に古平町に合併するまでは「歌棄村」という村でした。ただ人口は 100 人未満だったようで、この人口規模でも「村」として存在できたというのは不思議な感じもします。
明治時代の地形図には「歌棄川」という川名と「歌棄」という村名が描かれていましたが、なぜか「東西蝦夷山川地理取調図」には記載を見つけることができませんでした。面白いことに「竹四郎廻浦日記」にも記載がありません。
ただ「西蝦夷日誌」には次のような記載がありました。
ヒウチ川(瀧川)、過て(五町十間)ヲタスツ〔歌棄〕(番や、茅藏、いなり社)、惣て人家繼き(三町廿八間)ニシヨトマリ(岩磯)、
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.151 より引用)
「ヒウチ川」が現在のどの川を指しているのか謎ですが、前後関係を考えると「歌棄川」そのものを指していたと考えるしかなさそうな気がします。つまり「歌棄」は川の名前では無さそう、ということになりますね。永田地名解には次のように記されていました。
Ota shut オタ シュッ 沙傍 歌棄村ト稱スここも寿都町の歌棄と同じく ota-sut で「砂浜・根もと」と解釈できそうです。「砂浜の根もと」というのは今ひとつ良く理解できないですが、山田秀三さんが「北海道の地名」にて「寿都町の歌棄」について記した部分を引用しておきます。
知里博士小辞典は「ota-sut。砂浜の・根もと。砂浜を上り草原になる辺りを言う=ota-sam」と書いたが,このスッの語義がはっきりしない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.457 より引用)
あああ、山田さんまで(汗)。オタスッという地名は後志の海岸に数ヵ所あるのであるが,どこも長い砂浜が,これから岩磯地帯になろうとするあたりの狭い浜である。実際上は砂浜の端の処についた名なのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.457 より引用)
そうですねぇ。そんな感じがします。チョペタン川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
古平町役場のすぐ北側を流れる川の名前です。流域に「本陣」という場所がありますが、古平には場所請負制の「場所」が設置されていたそうなので、もしかしたら場所関連の場所(ややこしいな)なんでしょうか……?どことなくコスタリカっぽい雰囲気も漂う川名ですが(どこが)、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
チョペタン川
昔の本陣の蔵が沢山あり、錠をかけていたので、錠部落と呼んだのが訛ったという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.43 より引用)
またまた更科さんったら……(笑)。なんともユニークな解釈ですね。こういったユーモアのセンスを忘れずにいたいものです(ハナから信じてない)。流石に「錠コタン」は無いだろう……と思って永田地名解を見てみたところ……
Cho pitan チヨウ ピタン 鍵ヲ開ク 「チヨウ」ハ鍵ニテアイヌ語ニアラズ昔シ土人米倉ノ鍵ヲ預リテ開閉セシニヨリ名クト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.97 より引用)
えええええーーー! 確かに pita で「……をほどく」あるいは「解く」という語彙がありました。いやー、まさか永田先生まで「鍵を開く」説とは畏れ入りました。そして更科さん、ユーモア呼ばわりしてすいませんでした(汗)。まだ「鍵ピタ」説には納得が行かないので(しつこいね)、他の資料をチェックしていたのですが、「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。
また並びて小石浜。
ヘンサイトマリ
番屋一棟(梁四間、桁八間)、蛭子の社有。此処の下に弁才は繋ぐなり。並びて
チヨヘタレ
フルビラ運上屋
フウレヒラの略語にして、其地アンサイトマリの上なり。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.406-407 より引用)
返済が止まると大変なことになりそうですが(違う)、今度は「チヨヘタレ」と来ました。煽り属性が強化されたような気もしますが……(違うって)。「西蝦夷日誌」は「チヨベタン」でしたが、「再航蝦夷日誌」には「チヨヘタナイ」と記されていました。ようやく「そうじゃないかなぁ」と想像していた記録が出てきた感があります。chi-o-pe-ta-nay であれば「我ら・そこで・水・汲む・川」となります。
いや、もちろん chi-o-pita-nay で「我ら・そこで・(鍵を)解く・川」という解釈も成り立つ余地はあるんですけどね……。
インフォーマントが永田方正にありもしない話をおもしろおかしく伝えたか、あるいは「水を汲む川」という情報を意図的に秘匿したか。もしかしたら既に「我ら・そこで・水を・汲む・川」という解釈が忘れ去られていたという可能性もありそうですね。
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