南大東の鉄路の話
南大東島には 1983 年まで砂糖運搬用の専用鉄道がありました。戦前は沖縄本島にも「沖縄県営鉄道」がありましたが、太平洋戦争で壊滅的に破壊され、終戦後はレールが接収されてしまい復活は叶いませんでした。そのため、南大東島の専用軌道は戦後の沖縄に残った唯一の鉄軌条による鉄道だったということになります。ちなみに、次の「南大東駅」は「出雲大東駅」の南(というよりは西南西ですが)に位置することに由来するネーミングで、もちろん南大東島とは何の関係もありません。
県道 24 号「松江木次線」
県道 24 号「松江木次線」の跨線橋が見えてきました。出雲大東の駅前通りが元々の県道 24 号で、駅の南側の踏切で木次線と交叉していますが、南側にバイパスを建設して立体交差にしたようです。「松江木次線」というネーミングは JR 木次線のライバルのようにも思えますが、JR 木次線と並行するのは出雲大東と木次の間だけです。東南東に進んでいた木次線は、出雲大東駅で向きを変えて今度は西南西に向かうことになります。出雲大東から木次までは、少なくとも分水嶺を二つ越えることになる筈ですが、ほぼ最短距離で両者を結ぶ谷(古断層?)があって、県道 24 号と JR 木次線が大半の区間で並走しています。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
絶賛点滅中!
このように、出雲大東と木次の間は奇跡的に勾配の少ないルートですが、県道と並走するため緩やかなカーブが続きます(おそらく道路のほうが先に開通していたと思われます)。「運転士支援システム」はここでもなかなか役に立つようで……次のカーブの回転半径(R=160)を表示していました。
しかも背景色を点滅させて、しっかりと注意喚起してくれます。
車で山道を走る場合、カーナビの地図の設定を大縮尺にして、次のカーブの深さを事前に把握しようとすることがあります。「運転士支援システム」はそれと似たような、見方によってはカーナビ以上の情報を伝えてくれているのですね。
これは 160R を過ぎた後のかなり緩い右カーブですが、遠くからだとまるで直角に曲がっているようにも見えます。運転士は担当区間のすべての(注意の必要な)カーブの深さを暗記していると思いますが、こういった支援システムの存在は、やはり心強いのではないでしょうか。
南大東駅(みなみだいとう──)
出雲大東駅を出発してから 5 分ほど経過して、次の「南大東駅」が近づいてきました。駅のすぐ手前で踏切を通過して……ほどなく南大東駅に到着です。この南大東駅は、木次線の中でもっとも新しい駅とのこと(1963 年 10 月開業)。「もっとも新しい」とは言っても、沖縄返還の 9 年前なんですけどね。
新しい故に、かどうかはわかりませんが、南大東駅はかなり簡素な構造で、ホームと道路をつなぐスロープがあるくらいで、駅舎と呼べそうなものはありません。
ただ、待合所はちゃんと用意されていて、あとトイレもあるようです。
例のアレ「佐世の髪飾り」
簡素な構造の駅ですが、「例のアレ」はちゃんと用意されていました。「佐世の髪飾り」(させ──)という題目?で、素戔嗚命(スサノオノミコト)に由来するストーリーがあるとのこと。「佐世」という地名はシャシャンボ(シャセンボ)という木の古い呼び方に由来するのだそうです。Wikipedia には「シャシャンボの実際の語源は古語の『さしぶ』が訛ったものでる」とあります。「訛ったものでる」という typo がなかなかチャーミングですね。
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