2020年3月4日水曜日

木次線各駅停車 (4) 「宍道駅 3 番のりば」

11:19 発の備後落合行き木次線 1449D は、宍道駅の 3 番のりばから出発します。米子行き 132D は 1 番のりばに停車していたので、跨線橋を渡って 3 番のりばに移動することになります。
跨線橋のガラス窓のところに、「木次線」「③番のりばへ」と記された案内が貼られていました。"Kisuki-Line" "Track NO.3" のように英語の案内も充実しているのが面白いですね。

跨線橋からの眺め

決して幅広とは言えない跨線橋を歩きます。左右に観光スポットのポスターが所狭しとばかりに並んでいます。視覚障害者誘導用ブロック(いわゆる「点字ブロック」)が途中で曲がっていますが、曲がった先に 2 番・3 番のりばへの階段が続いています。跨線橋自体は奥まで続いていますが、現在は使用されなくなったホームへの階段がある……と思われます。
跨線橋の上から西方向を望みます。1 番線(本線)と 2 番線・3 番線では枕木が異なることに気付かされます。本線は速度が出せそうなコンクリート製枕木で、2 番線・3 番線はコストパフォーマンスの良さそうな木製の枕木です。
同じく東方向を望みます。1 番線(本線)は左側です。

石灯籠と湖の町

2 番・3 番のりばから階段を上がったところに、他に類を見ないサイズの「宍道町」の看板があります。
なるほど、「石灯籠と湖の町」なんですね。宍道町は 1927 年に町制施行し、1955 年にはお隣の来待村と合併しています。その 50 年後の 2005 年に松江市と大合併して、自治体としての宍道町はその歴史を閉じることになったのですが、宍道町の Wikipedia の記事は随分とあっさりしたもので、「石灯籠」についても記載は見当たりません。
島根県の Web サイトに「出雲石灯ろう」という記事がありました(「灯ろう」と言われると「ともろう」と読みたくなるのは私だけでしょうか)。石灯籠の素材となる「来待石」は「苔がつきやすい」という特徴があるとのこと。少し風雨に晒されることで味が出るという、なんとも渋い特性があるのですね。

「来待石」(きまち──)を算出するのはかつての「来待村」ですが、もともとは「來海村」で「きまち──」と読ませていたのだとか。「海」を「まち」と読ませるのはかなり無……いや、興味深いですね。

「石灯籠と湖の町」というコピーは、それぞれ旧・来待村と旧・宍道町を意味するのかもしれないな、と思えてきました。事実上吸収された側を先にしたのであれば、なかなか大人の対応だなぁ……と思ったりもしたのですが、これは流石に深読みしすぎでしょうか。

宍道駅 3 番のりば

階段を降りて、宍道駅の 2 番・3 番ホームにやってきました。屋根の一部が光を通す素材(強化プラスチックとか?)になっていて、おかげで薄暗い雰囲気がありません。
出発の 13 分前ということで、既に備後落合行き 1449D が入線済みです。ホームに飲み物の自販機があるのも地味に嬉しいですね。
散策も程々に、さっさと車内に乗り込むことにしました。ドアは路線バスを彷彿とさせる折戸です。戸袋などが不要なので、窓の配置の自由度が高くなるメリットがありそうです。

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2 件のコメント:

  1. ねこあたま2020年3月5日 7:31

    4・5番線があったころは大きな駅だと感じましたね。こんなになっちゃんですねえ。コストというか遊休資産の処分ということで側線を取っ払っていますが、いざダイヤが狂ったりすると、特急退避・普通の追い越し、単線だと上下待ちが難しくなって、昔と比べてなかなか復旧できない感があります。

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  2. ねこあたま さん:
    航空写真で見た限りでは、木次線専用ホームとして 4 番線があったことは見て取れるのですが、5 番線もあったのですね。交換設備の縮小は JR 西に限らず全国的な傾向だと思われますが、維持費用のカットという面で多少なりとも効果があるのでしょうね。

    かつての三江線は石見川本と江津の間の交換設備を全部取っ払った上で一閉塞にするという荒業を決めていましたが、そのおかげで廃止が決まったあとの増発に苦労したなんて笑えない話があったのを思い出します。

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