2020年2月22日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (705) 「多度志・湯内」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

多度志(たどし)

tat-us-nay
樺皮・多くある・川

(典拠あり、類型あり)
深川市北部の地名で、JR 深名線に同名の駅もありました。かつての多度志村 → 多度志町で、1970 年に深川市に編入合併しています。

「東西蝦夷山川地理取調図」にも「タトシ」という名前の川が描かれていて、また「再篙石狩日誌」にも「タトシ」という川の記録があります。

前述の通り、同名の駅がありましたので、まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  多度志(たどし)
所在地 深川市
開 駅 大正 13 年 10 月 25 日
起 源 アイヌ語の「タトシナイ」、すなわち「タッ・ウㇱ・ナイ」(カバの皮の多い沢)の上部をとったものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.112 より引用)
はい。おそらくそんなところでしょうね。tat-us-nay で「樺皮・多くある・川」と見て良いかと想います。tat を「カバの皮」としているのは流石だなぁ……と思わせるところで、樹木としての「樺」は tat-ni と呼ぶのが正しい、とされています。

日本語だと、まず「樹木」を表す語彙があり、そのサブクラス?として「皮」がありますが、アイヌ語だとまず「樹皮」があり、「樹皮を持つ樹木」として「樹木」を意味する語彙が形成されます。日本語とは主客転倒しているところが面白いですね。

湯内(ゆない)

i-o-nay?
アレ・多くいる・川

(? = 典拠未確認、類型多数)
深川と旭川を結ぶ道路としては、道央道と国道 12 号がメインどころですが、もう一つのルートとして道道 98 号「旭川多度志線」があります。道道 98 号は「湯内トンネル」の開通で線形が改善されたこともあり、「使えるルート」としての認知度も上昇中という印象があります。

「湯内」は、多度志から「多度志川」を東に遡ったあたりの地名です。クツカルシナイの南あたりが本来の「湯内」で、より東側の「ポン沢川」のあたりは古い地図では「上多度志」となっていますが、現在の地形図では「湯内」となっていますね。

「湯の沢」説

NHK 北海道本部編の「北海道地名誌」には、次のように記されていました。

(通称) 上湯内 湯内川上流。湯内ダムがある。湯内はアイヌ語「ユ・ナイ」で湯の沢の意であるが現在温泉はない。もと宇佐美農場,永山農場があった。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.250 より引用)
「湯・無い」だけに温泉は無いのですね……などとすっとぼけたことを書いてしまいそうになりますね(いや書いてるし)。

多度志町史の説

この「湯内」についても、山田さんが仔細に検討を加えていました。

昭和四十年の町史に書かれた二つの解は面白いものであった。
〔多度志町史〕
 (1) 多度志の原名は仮名でタトシユナイと書かれた。その後の三字から湯内という地名ができた。
 (2) 現在の下湯内の土地に、従来からこの辺にあった石橋農場と関係ない人たちが入植した。それらの人たちを、われわれに「用のない人だ」といった。その「用ない」が訛ってユナイになったのである(大久保弥三次郎報告)。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.241 より引用)

「タトシ・ユナイ」説

(1) の「タトシユナイ」説ですが、あっ、そういう可能性があったか……! と瞠目せざるを得ないものです。「多度志」は tat-us-nay で「タトゥㇱナイ」あたりではないかと考えられるのですが、永田方正は子音の「ㇱ」を「シュ」(あるいは「ㇱュ」)と綴る悪癖があり、実際に多度志についても次のように記していました。

Tat-ush nai  タト゚ㇱュ ナイ  樺川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.59 より引用)
この「タト゚ㇱュ ナイ」が「タトシユナイ」と記されて、そして「タドシ」(多度志)という地名が成立します。「湯内」は多度志の東南東に位置しますが、地図に「タトシユナイ」と記されているのを見て、北西側が「タトシ」で南東側が「ユナイ」と勘違いした……という豪快な仮説も検討の余地がありそうです。山田さんも、この説については

まるで落し話の解みたいで腹をかかえて笑ったが、そんな経過が有り得ないとも云い切れない。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.242 より引用)
と好意的(何か違うような)に捉えていたようです。

「用ない」説

(2) の「用ない」→「湯内」説については、率直に言えばかなり無理があるように感じられるのですが、山田さんは次のように記していました。

意味の分らない地名があると、よく語呂合せのような地名説話ができるものであるが、これだって有り得ない事でもない。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.242 より引用)
山田さんは、明快に否定できるだけの根拠が揃わない限り仮説の棄却を行わなかった印象がありますが、これもその一つかもしれませんね。

「ヌーナイ」説

「多度志町史」の内容でお腹いっぱいの感もありますが、山田さんは更に検討を加えていたようです。

「永田地名解」は、道内数力所でユー・ナイ(温泉・川)を採録しているが、それと共に一つだけ違う意味の解が書かれている。十勝の札内川筋の処で「ユーナイ Yu-nai 豊漁川。此処温泉なし、アイヌ云う、ヌアンナイと同義にて豊漁川の意なりと、即ちイオナイの転訛なり」と書かれた。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.242 より引用)
地名で「豊漁」と言えば nu-an-nay(豊漁・である・川)が真っ先に思い浮かびます。永田地名解が「豊漁川」とした「ユーナイ」も、現在は「ヌーナイ川」となっているように見えます。nuyu の取り違え?は有り得るのか……という問いについては、少なくとも実例があると言えそうな感じです。

「イオナイ」説

「ヌーナイ」が「ユナイ」に転訛したという説以上に可能性がありそうなのが、「イオナイ」が「ユナイ」に転訛したという考え方です。

 イ・オ・ナイ或はイ・オッ・ナイは直訳すれば「それが・多い・川」である。「それ」と地名に出て来るものは、先ずは恐ろしいもので、蛇、熊等の場合が多い。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.242 より引用)
i は「それ」と訳される場合が多いですが、むしろ「アレ」としたほうがより理解しやすいのではないかと(常々)思っています。「アレ」は「熊」であったり、あるいは「蛇」や「マムシ」など、言挙げを憚るものの代名詞として用いられます。

ただ、山田さんは別の考え方の存在も示唆していました。

次に貴重なものの場合もあって、菱の実の意味にも使われる。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.242 より引用)
十勝の豊頃町に「育素多」(いくそだ)という地名があります。これは i-uk-us-to で「アレ・採取する・いつもする・沼」と考えられますが、この場合の「アレ」は「菱の実」とのこと。

まだ続きがありまして……

永田氏によると魚の意味にも使われた。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.242 より引用)
ほほう。「食事する」という完動詞で、転じて「食事」や「魚」を意味する ipe という語彙がありますが、それとは別に「アレ」で「魚」を意味することもあった、ということですね。いずれにせよ i が「アレ」(または「それ」)と解釈できるので、色々と拡大解釈もできてしまいそうですね。

ということで

そろそろまとめておきたいのですが、i-o-nay で「アレ・多くいる・川」が本命なのかなぁ、と思えてきました(往々にして、一番面白くない解が最も正解に近かったりするもので)。個人的には「タトシ・ユナイ」説が最高に面白かったので、そうであって欲しいと思っていたりしますが……。

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