2019年12月31日火曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (168)「探訪・北海道博物館(映画上映会編)」

「北海道博物館」の特別展示室(2F)で開催されていた「第 2 回企画テーマ展『鶴』」を見終えて、外の廊下に戻ってきました。2F の廊下からは、博物館の正面にある広場が見えています。

休憩ラウンジ

階段で中 2 階に降りてきました。中 2 階には「休憩ラウンジ」なる場所があると言うのですが……
あっ、こんな場所があったんですね(すっかり記憶から抜け落ちてました)。飲み物の自販機もありますし、ちょっと一息入れるのに良さそうな感じです。
中 2 階の渡り廊下からは、入場券売り場と総合展示室のエントランスが見えます。マンモスの牙も見えますね。

はっけん広場

更に階段を降りて、1 階の下にある「MBF」に降りてきました。日本語だと「地下中 1 階」という表現が適切でしょうか。「はっけん広場」というスペースが見えますが、こちらは未来の若手研究者向けのスペースでしょうか。
そして「はっけん広場」の反対側には「講堂」があります。
運の良いことに、この日は「特別イベント 映画上映会」が予定されていました。しかも開始が 9 分後という幸運! これはきっと何かの運命だろう……という勘違いのもと、いそいそと講堂内の座席に向かったのでした。

昭和戦前期の北海道映像

上映される映像は「昭和戦前期の北海道映像」で、なんと天皇家から寄贈された「戦前の北海道関係映画フィルム」とのこと。もちろん田中邦衛や高倉健が出てくるわけもなく、「北海道の沿革及都市」「北海道の産業」「北海道の国立公園」「北海道の拓殖」「北海道拓殖実習場」「雪中の軍事教練」をテーマにしたものです。
この日は「北海道の産業」が上映されました。見事にピントが合っていないのはお約束ということで。
おおおお……、なんか凄いですぞコレ。しかも Windows Media Player ですし!(そこか
ということで、およそ 2 時間ほど、戦前の「北海道の産業」を堪能しました。上映会が始まったのが 13:30 ですから、もう 15 時半ということになりますね。

ミュージアムショップもお忘れなく!

ちなみに、「北海道博物館」の建物に入ってすぐ右のところにミュージアムショップがあります。なかなか品揃えもいいので是非お立ち寄りの上、博物館の目録や学芸員の方の著作を買い求めるときっと良いことがあります!(個人の感想です)
いやー、すっかり長居してしまいました。久々のシャバの空気が熱い……。
ということで、そろそろ駐車場に戻ることにしましょうか。

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2019年12月30日月曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (167)「探訪・北海道博物館(続・特別展示編)」

「北海道博物館」の特別展示室(2F)で開催されていた「第 2 回企画テーマ展『鶴』」の話題をもう少しだけ続けます。「ツルという生き物」の次のトピックが「北海道の人とツルの歴史」です。
「年表に見る北海道の人とツルのかかわり」と題された表ですが、この表によると初出は 1621 年(元和 7 年)で、アイヌの交易品の品目に「鶴」が出てくるのだとか。
こちらのパネルには地形図と写真が並んでいますが、「石狩低地帯に残る、かつてツルがいた痕跡あれこれ」と題されたものです。「馬追原野区割図 第一」と「──第二」がゾーニングされていますが、これはどういう意図があったのでしょう……?
なお、地図上にプロットされたポイントは「鶴」にちなむネーミングが見られる施設です(学校名や地区名、用水路の名前や橋の名前など)。

アイヌ民族と鶴

「アイヌ民族と鶴」というパネルが展示されていました。
ポイントとしては「ツルが祈りの対象になったり口承文芸に登場したりする例は少ないのです」というところでしょうか。クマがアイヌの文化で特別な位置を占めていることは広く知られるところですが、ツルに対してはどうやら「その他大勢」という扱いだったようですね。
もっとも、ツルの独特の所作は舞踊の元ネタになっていたようです。「形態模写」の対象として、とてもわかりやすいものですからね。

くらしのなかの鶴

続いてのトピックは「くらしのなかの鶴」です。
「ツル印サイダー」なる製品のポスター、でしょうか。HATSUBAIMOTO が思いっきりローマ字なのが面白いでしょうか。また日の丸のような赤い丸の中には「神威鶴」の三文字が記されています。「ツル印」と言いながら「神威鶴」なのがちょっと興味深いですね(単に「鶴」だけだと商標的に NG だったということでしょうか)。
こちらは、皆さんおなじみの JAL のジェット機の模型ですね。これはボーイングの 777 でしょうか。「JA8941」という機体番号でググってみたところ、どうやらこの機体は実在したらしく、しかも 2015/6 で登録を抹消されていました。登録を抹消された上にこんなに小さくされちゃって……(違う、そうじゃない

北東アジアの人とツル

ツルは、日本においてはとてもおめでたいイメージがありますが、世界の国々の中にはツルを不吉なものと見なす文化も存在するようです。ただ、東アジアでは概してその印象は好意的なものであるとのこと。良い印象がどのようにして醸成されたのか、興味をそそられます。

まちなかの鶴

「まちなかの鶴」ということで、釧路の街なかで見かけた「鶴」のスナップが飾られていました。
同様に、お隣の「鶴居村」と、そして「北海道博物館」が存在する「札幌市」でのスナップも飾られていますが……あー、やはりツルハは外せなかったですね(汗)。

北海道百年記念

他にも、ツルにまつわる物品がまとめて展示されていましたが、中にはこんなものも。
1968 年に制作された「北海道百年」と題されたポスターです。緑豊かな湿原にツルが舞っていますが、そこには何故か宙に浮かぶ巨大な車輪の姿が。シュルレアリスム……ですね。

タンチョウのいま

最後のトピックが「タンチョウのいま」です。
「タンチョウをめぐる問題」として、「人のそばで暮らす『迷惑ヅル』を紹介します」とあります。でもまぁ、タンチョウの数が回復したのは人間の餌付けによるところもあったと思いますし、今頃「人のそばで暮らす『迷惑ヅル』」と言われるのも、タンチョウにとっては釈然としない話と思っているかもしれませんね。
タンチョウは、1964 年に道民の投票で「北海道の鳥」に指定されているのだそうです。北海道の未来がタンチョウと共にありたい……という願いについても、大いに賛同したいものです。
ところで、このパネルのカラーリングですが、イラク国旗……ではなくて、タンチョウの頭部をモチーフにしたものだったんですね(気づくの遅くない?)。

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2019年12月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (690) 「ペペケナイ川・クトンベツ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ペペケナイ川

pe-peken-nay
水・清冽な・川

(典拠あり、類型あり)
JR 宗谷線・豊清水駅の北側(西側)を流れる川の名前です。川の大半が美深町側を流れていますが、河口のあたりは一部音威子府村に入っています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「テヘケナイ」という名前の川が描かれています。また「天之穂日誌」にも次のように記されていました。

此腰を十丁計も廻りて行候や、遅流の処しばし過て
     テイベケナイウツカ
大磐岩両岸峨々、浅瀬急流、七丁計縄にて引上る。
     テーヘケナイ
左り小川。此処川中岩尖りて七ツ(八)ツ出る也。飛石のごとし。土人等の云に、大古神が此処に岩僑を架渡りしと云伝ふ。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.64 より引用)
「浅瀬急流、七丁計縄にて引上る」という文を見て、つい脳内で「ファイトぉぉ! イッパァーツ!」というイメージが再生されてしまってアレですが……(書かなくてもいいのに)。

「テヘケナイ」あるいは「テーヘケナイ」と言われると「???」ですが、明治時代の「北海道地形図」には「ペペケナイ」と描かれていました。不思議なことに「ペペケナイ」であれば意味するところは明瞭で、pe-peken-nay で「水・清冽な・川」と解釈できます。

peken の本来の形は peker ですが、n の前の rn に変化するという、お約束の音韻変化の結果です。

ちなみに、JR 宗谷線・豊清水駅の由来について、「北海道駅名の起源」には次のように記されていました。

  豊清水(とよしみず)
所在地 (天塩国) 中川郡美深町
開 駅 昭和 25 年 1 月 15 日
起 源 付近にある小川をはさんで、一方に「常盤村清水」、片方に「美深清水」という二つの部落があったが、この両部落を合わせて将来豊かな所となるようにという意味をこめて、「豊清水」と名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.178 より引用)
「常盤村」は現在の「音威子府村」ですが、音威子府側にも「清水」という地名があったのですね。地形図では美深町側に「清水」が存在することが確認できますが、それよりも古い地図ではそのまま「ペペケナイ」と記されていました。この「清水」は pe-peker の意訳地名なのだろうなぁ……と想像しています。

もはや時期を逸した感がしますが、山田秀三さんの「北海道の地名」から引用しておきます。

ぺペケナイ川
豊清水 とよしみず
 ペペケナイ(またベベケナイとも)は音威子府村と美深町の境の川。たぶんぺ・ペケン・ナイ(pe-peken-nai 水が・清澄な・川)であったろう。ペケレ(peker 清い)は後の語の n に引きつけられて peken と変わる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.144 より引用)
はい。やはりそう考えるのが自然なんでしょうね。

クトンベツ沢川

kut-un-pet
岩層のあらわれている崖・ある・川

(典拠あり、類型あり)
ペペケナイ川の北支流の名前で、美深町と音威子府村の境界となっています。ややこしいことに美深町内には全く別の場所にも「クトンベツ沢川」が存在します。美深町には「美深峠」も複数存在するみたいですし、役場の人はややこしくないのでしょうか……?(汗)

戦前の地形図(陸軍図)を見ると、ペペケナイ川とクトンベツ沢川の間に「クトンベツ」という地名があったように描かれています。その後「美深町清水」に改称されて現在に至る、と言った感じでしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」や「天之穂日誌」には記載が見当たりませんでしたが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」に記載がありました。

 クトンベツ川
 音威子府村との境にあるペペケナイの右支流。意味はクッ・ウン・ぺッで帯状の岩崖ある川ということ。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.171 より引用)
川の名前がびみょうに違うのでどうしたものか……とも思ったのですが、逆に最近「沢川」が増えたような印象もあります。kut-un-pet で「岩層のあらわれている崖・ある・川」と解釈して良いかなぁと思います。

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2019年12月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (689) 「徳志別川・ニタツナイ川・タチカラウシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

徳志別川(とくしべつ──)

top-us-pet
竹・多い・川
tukusis(-us)-pet
アメマス(・多くいる)・川

(典拠あり、類型あり)
枝幸町(旧・歌登町)の南部から北に向かって流れて、枝幸町の中程でオホーツク海に注ぐ川の名前です。個人的に珍しいと思うのが、道道 120 号「美深中頓別線」から下流側に道路が無いというところです。車が通る道が無いのはちょくちょくある話ですが、人が歩ける道すら無いというのは珍しいのではないかと……。

思い出せる中では、雨竜川の鷹泊ダム上流部もそんな感じでしたね。

この徳志別川ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「トウシヘツ」と描かれています。また「竹四郎廻浦日記」には「トホシベツ」と記録されています。これらの記録からは to-us-pet で「沼・ついている・川」と読めそうです(実際に河口部に河跡湖のようなものも見えます)。

ただ、永田地名解には異なる見解が記されていました。

Topush pet  トプシュ ペッ  竹川 大竹多キ川ナリ、松浦地圖「トウシペツ」トアルハ訛ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.441 より引用)
top-us-pet で「竹・多い・川」なのだ、と言う説のようです。突然出てきたこの説について、山田秀三さんは

永田地名解が「トプㇱペッ top-ush-pet(竹川)。大竹多き川なり」と書いたのは当時のアイヌから聞いた伝承であろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.173 より引用)
と考えたようです。確かにそうでも無い限り、「トウシヘツ」説を明快に否定できるとも思えないですからね。

更科源蔵さんは「アイヌ語地名解」で次のように記していました。

トㇷ゚は竹、ウㇱは沢山ある。ペツは川で根曲竹の笹の子とるところであるというが、トクシュシペツ(あめます川)とも解される。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.200 より引用)
最後にこっそり新説を含めるあたり、さすが更科さんですね。確かに tukusis は「アメマス」を意味するため、tukusis(-us)-pet であれば「アメマス(・多くいる)・川」となります。個人的には永田説よりも納得感があるのですが、現時点では広く受け入れられているわけでは無いようです。

ニタツナイ川

nitat-nay?
湿地・川

(? = 典拠未確認、類型多数)
徳志別川の西支流に「オフンタルマナイ川」という川がありますが、ニタツナイ川はオフンタルマナイ川の西支流です。

「ニタツナイ」は nitat-nay で「湿地・川」と言うことになるかと思います。どのあたりに「湿地」があったのだろう……と思って地形図を眺めているのですが、中流部にクレーターのような盆地があるので、もしかしたらこのあたりが大昔は湖だったのかな、などと想像してみました(全く見当違いかもしれませんが)。

また、不思議なことに、明治時代の「北海道地形図」には「ピウタン」という名前で描かれていました。そのままでは解釈が困難ですが、pi-uta-un(-nay) で「小石・河原・ある(・川)」あたりあたりだったのでしょうか。

「ニタツナイ」の解釈はほぼ間違いないと思うのですが、「典拠なし、類型多数」なので「?」をつけておきます。

タチカラウシナイ川

tat-kar-us-nay
樺の皮・採る・いつもする・川

(典拠あり、類型あり)
徳志別川の東支流の名前です。川沿いを道道 1023 号「上徳志別乙忠部線」が通っています。1980 年代の土地利用図には「タツカラウシュナイ」という地名も描かれていますが、現在は「歌登豊沃」という地名のようです。これは瑞祥地名と考えられますが、「豊沃」というのはなかなかユニークですよね。

「東西蝦夷山川地理取調図」には該当しそうな川が描かれていません。やや下流側に「エナウエテカナイ」という東支流が描かれていますが、これは現在の「菅原ノ沢川」のことでしょうか。

更科さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。

タッ・カラ・ウㇱ・ナイで樺皮を(タッ)採る(カラ)いつもする(ウㇱ)沢(ナイ)という意味。他の地方でタッニウシ(樺の木の多いところ)などと呼んでいるところと同じである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.204 より引用)
はい。全く異論はありません。tat-kar-us-nay で「樺の皮・採る・いつもする・川」で良いかと思います。

現在は川口に豊沢橋というのがあるので、学校名も豊沢小学校となったので、豊沢という日本名でも呼ばれるようになった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.204 より引用)
気になって調べてみたのですが、歌登には「豊沃小学校」が 1978 年まで存在していました(1953 年開校、1978 年閉校)。良く考えてみると、「沢」の字と「沃」の字はどことなく似ているような気も……。更科さんが勘違いした可能性ももちろんありますが、更科さんの原稿を活字化する時に誰かがやらかした可能性もありそうです。

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2019年12月27日金曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (166)「探訪・北海道博物館(特別展示編)」

「北海道博物館」の総合展示室(2F)の話題を散々続けてきましたが……ようやく、昨日の記事で無事終了となりました。

アルバータと言えば

「総合展示室」を出たところには「友好館紹介コーナー」として、「ロイヤル・アルバータ博物館」の紹介コーナーが設けられていました。アルバータと言えばカナダ……というところまではわかるのですが、どの辺でしたっけ。ブリティッシュ・コロンビアの東隣とかでしょうか。
テキトーなことを書いたのですが、位置については当たっていたみたいです(汗)。隣のトーテムポールはカナダからやってきた物でしょうか。だとすると北海道からカナダに贈ったものもあると思うのですが、何を贈ったのでしょう……?(大喜利スタート)

第 2 回企画テーマ展「鶴」

これまで見てきた「総合展示室」の展示は常設展示なので、「クローズアップ展示」を除けばほぼ同内容の展示を今も見ることができます。一方で「特別展示室」の展示は期間限定のものなので、まさに「一期一会」だったりします。
この日は「第 2 回企画テーマ展『鶴』」が絶賛展示中でしたが、なんと翌日が最終日だったみたいです。しかも観覧料は「無料」とのこと。太っ腹ですねぇ!

ツルという生き物

では、早速観覧してみることにしましょう。最初のセクションは「ツルという生き物」と題されたものです。
まずは謝辞から。「一般財団法人アイヌ民族博物館」をはじめ、様々な施設とグループ、個人に対する謝辞が並んでいます。

タンチョウとクロヅル

ここからは、個人的にグッと来た内容を掻い摘んでご紹介します。普通に剥製が並んでいますが……
右が「タンチョウ」で、
左が「クロヅル」とのこと。こちらは生息エリアなどの情報がありませんが、鹿児島の出水で越冬する群れが確認されているそうです。

タンチョウはツルっぱげ?

「タンチョウはツルっぱげ?」と題されたパネルですが、そうか、「タンチョウ」って「丹頂」で、つまりは「てっぺんが赤い」ということだったんですね。生後 1 年くらいでハゲ始めるとのこと……早いんですね(何が)。

似て非なるトリ

「似て非なるトリ」という題名の展示です。「コウノトリ」や「ダイサギ」「アオサギ」などはツルと似た外見をしていますが、たまたま似通った形に進化しただけで、生物としての系統は全く異なるとのこと。「コウノトリ」や「サギ」は肉食ですが、「ツル」は雑食なのだそうです。

松に鶴?

「松に鶴?」と言えば……わっかるかなぁ~? 実は、タンチョウの足は後方の指が小さいため、木の枝を握ることができないのだそうです。つまり、松の枝にツルが立つという構図はあり得ないとのことで、絵師がツルとコウノトリを見間違えたか、あるいは純粋に演技の良さそうなものをまとめただけじゃないか、とのこと。わっかんねぇだろうなぁ~

渡りを忘れたタンチョウ

「渡りを忘れたタンチョウ」と言う題名ですが、ユーラシア大陸のタンチョウは夏と冬で生息地を大きく移動させているのに対し、釧路のタンチョウは冬場も北海道に居座って越冬するようになったとのこと。
江戸時代には東北をはじめとして本州のあちこちでタンチョウが見られた記録があるとのことで、北海道のタンチョウが「渡りを忘れた」のは比較的最近のことみたいですね。

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2019年12月26日木曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (165)「探訪・北海道博物館(北海道の○○○編)」

「北海道博物館」の総合展示室(2F)の話題を続けます。総合展示室の話題も、今日で最後……にできるでしょうか?

ヒトの近くで生きる・新たな侵入者たち

「ヒトの近くで生きる」と題された展示の横に……
「新たな侵入者たち」と題された展示がありました。
ジオラマは、二つのテーマをまとめたものです。キタキツネとカラスがゴミ袋をあさる一方で、森の中にはアライグマなどの外来種の姿が。
こちらは……「サケが森と海をつなぐ」の展示の続きのようですね。ツルが湿原の中を闊歩する様子のジオラマです。

クジラが打ち上がる海

草原(森かも)を模した絨毯の上には、かなりリアルな熊の形をしたソファー?があって驚きましたが……
海(ですよね)を模した絨毯の上には、シャチのような形をしたソファー?もありました。
「生き物たちのつながり」というテーマで、「クジラが打ち上がる海」という題名の展示です。これはアザラシの親子?でしょうか。
「クジラが打ち上がる海」の横には、海で見つかるさまざまな漂着物が展示されていました。

北海道の生物多様性

漂着物の上には「北と南の生き物たち」と題したパネルが展示されていました。昨日も少し触れた通り、北海道と本州の間には生物相の断絶があり、これは提唱者の名前から「ブラキストン線」と呼ばれています。パネルでは、「種」が違うものと「亜種」が違うものがリストアップされています。
毎度おなじみ、忘れた頃にやってくる「クローズアップ展示」です。「クローズアップ展示 7」は「北海道の生物多様性」とのこと。
展示されていたのは昆虫の標本ですが、「北海道のいろいろな環境と、そこにくらすオサムシやゴミムシの仲間」「ひとつの花にあつまるいろいろなカミキリムシの仲間」そして「いろいろな色や模様をもつ同じ種類のテントウムシ」とのこと。一番右のケースで見えるマーブルチョコのような模様は、テントウムシを拡大したものです。

北海道の○○○

総合展示室の出口では、興味深いアンケートが行われていました。「あなたはヒグマと共存できる?」というテーマで、「退治してもらいたい」「退治しなくていい」「どちらでもない、わからない」を選ぶという形式です。
2015/8/15 時点の集計結果は、緑の「退治しなくていい」がピンクの「退治してもらいたい」を倍以上上回るというものでした。過去には「三毛別羆事件」のような凄惨な悲劇もあったのに、これは本当なのかなぁ……と思ってしまいます(実際に当事者になったなら、「今すぐ退治して!」と言いそうな気がするんですけどね。

エントランスの吹き抜け

総合展示室を抜けた先は吹き抜けになっていて……
エントランスにあった、ナウマンゾウとマンモスの骨格標本を上から眺めることができます。実は床一面に衛星写真が貼られていたんですよね。

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