「年表に見る北海道の人とツルのかかわり」と題された表ですが、この表によると初出は 1621 年(元和 7 年)で、アイヌの交易品の品目に「鶴」が出てくるのだとか。
こちらのパネルには地形図と写真が並んでいますが、「石狩低地帯に残る、かつてツルがいた痕跡あれこれ」と題されたものです。「馬追原野区割図 第一」と「──第二」がゾーニングされていますが、これはどういう意図があったのでしょう……?
なお、地図上にプロットされたポイントは「鶴」にちなむネーミングが見られる施設です(学校名や地区名、用水路の名前や橋の名前など)。
アイヌ民族と鶴
「アイヌ民族と鶴」というパネルが展示されていました。ポイントとしては「ツルが祈りの対象になったり口承文芸に登場したりする例は少ないのです」というところでしょうか。クマがアイヌの文化で特別な位置を占めていることは広く知られるところですが、ツルに対してはどうやら「その他大勢」という扱いだったようですね。
もっとも、ツルの独特の所作は舞踊の元ネタになっていたようです。「形態模写」の対象として、とてもわかりやすいものですからね。
くらしのなかの鶴
続いてのトピックは「くらしのなかの鶴」です。「ツル印サイダー」なる製品のポスター、でしょうか。HATSUBAIMOTO が思いっきりローマ字なのが面白いでしょうか。また日の丸のような赤い丸の中には「神威鶴」の三文字が記されています。「ツル印」と言いながら「神威鶴」なのがちょっと興味深いですね(単に「鶴」だけだと商標的に NG だったということでしょうか)。
こちらは、皆さんおなじみの JAL のジェット機の模型ですね。これはボーイングの 777 でしょうか。「JA8941」という機体番号でググってみたところ、どうやらこの機体は実在したらしく、しかも 2015/6 で登録を抹消されていました。登録を抹消された上にこんなに小さくされちゃって……(違う、そうじゃない)
北東アジアの人とツル
ツルは、日本においてはとてもおめでたいイメージがありますが、世界の国々の中にはツルを不吉なものと見なす文化も存在するようです。ただ、東アジアでは概してその印象は好意的なものであるとのこと。良い印象がどのようにして醸成されたのか、興味をそそられます。まちなかの鶴
「まちなかの鶴」ということで、釧路の街なかで見かけた「鶴」のスナップが飾られていました。同様に、お隣の「鶴居村」と、そして「北海道博物館」が存在する「札幌市」でのスナップも飾られていますが……あー、やはりツルハは外せなかったですね(汗)。
北海道百年記念
他にも、ツルにまつわる物品がまとめて展示されていましたが、中にはこんなものも。1968 年に制作された「北海道百年」と題されたポスターです。緑豊かな湿原にツルが舞っていますが、そこには何故か宙に浮かぶ巨大な車輪の姿が。シュルレアリスム……ですね。
タンチョウのいま
最後のトピックが「タンチョウのいま」です。「タンチョウをめぐる問題」として、「人のそばで暮らす『迷惑ヅル』を紹介します」とあります。でもまぁ、タンチョウの数が回復したのは人間の餌付けによるところもあったと思いますし、今頃「人のそばで暮らす『迷惑ヅル』」と言われるのも、タンチョウにとっては釈然としない話と思っているかもしれませんね。
タンチョウは、1964 年に道民の投票で「北海道の鳥」に指定されているのだそうです。北海道の未来がタンチョウと共にありたい……という願いについても、大いに賛同したいものです。
ところで、このパネルのカラーリングですが、イラク国旗……ではなくて、タンチョウの頭部をモチーフにしたものだったんですね(気づくの遅くない?)。
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