(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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ペヤマン川
(? = 典拠あり、類型未確認)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
北見幌別川の東支流の名前です。1980 年代の土地利用図を見ると「ペヤマン」という地名?も記されていますが、現在の地形図には見当たりません。「冷たい水の川」説
「角川──」(略──)には次のように記されていました(孫引きですいません)。ペヤマンは,ペヤムペッの転訛で,「冷たい水の川」の意という(歌登町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.874 より引用)
ふむふむ。pe-yam-pet で「水・冷たい・川」と考えたのですね。また,メマンは「涼しくある」の意で,ペメマンペツは「冷水川」のこと(地名アイヌ語小辞典)
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.874 より引用)
あれっ? どこから「メマン」の話が……。「地名アイヌ語小辞典」とありますが、知里さんの「──小辞典」には「ペメマンペツ」について該当しそうな記述を見つけることができませんでした。更科さんによる考察
この「ペヤマン」については、更科さんの「アイヌ語地名解」にも詳述されていました。ペヤマン
五万分の地図にはペヤマンペツとある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.203 より引用)
基礎的な情報を一つゲットできましたね。もちろん続きがあります。ぺは水をさすことばで、その水がヤㇺ(冷たい)ペッ川であると思われるが、それならペヤムペツになりそうに思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.203 より引用)
「ペヤマンペツ」じゃなくて「ペヤムペツ」じゃないの、という疑問が呈されました。pe-yam-an-pet で「水・冷たい・ある・川」と解釈するのも若干文法的におかしいような気もします。更科さんは「ペヤマン」についての疑問を更に投げかけます。
普通冷たい飲み水のある場合はヤムワッカ(冷たい飲み水)といって十勝の止若がそうであり、北見斜里郡にある水の冷たい川はヤㇺ・ペツ(止別)となっている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.203 より引用)
そうですね。もっとも「止別」については知里さんが疑問を呈していましたが……。水の冷たい川をペヤムペッというかどうか、他に例もないので、分からないが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.203 より引用)
いつになく懐疑的な姿勢を貫く更科さんですが……ヤムペツも本当はぺ・ヤㇺ・ぺッという方が、むしろ正しいのではないかとも思われるふしもある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.203 より引用)
えええええー(汗)。更科さんが超一流のナックルボールの使い手だということをすっかり失念していましたが、そう来ましたか……。いや、改めて考えてみたら更科さんの書いていることはすんごく正しいと思うんです。ただ、この返しを予期していなかったので衝撃が凄すぎて……。実は「ペカマッペ」じゃ?説
明治時代の「北海道地形図」にもこの川は描かれていますが、なんと「ペカマッペ」という名前で描かれています。「カ」と「ヤ」は似た形をしているので、誰かが「カ」を「ヤ」と誤ったとしても不思議はありません(もちろん逆の可能性もありますが)。「ペカマッペ」を素直に読み解くと pe-kama-pet で「水・上を越える・川」となるでしょうか。川の途中に平らな岩を越えて水が流れるところがあって、それに因んだネーミングではないかと考えられそうです。
オムロシュベツ川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
歌登の市街地の真ん中で北見幌別川と合流する西支流の名前です。今回も「角川──」(略──)を見てみましょうか(またしても孫引きですいませんです)。オムロシュベツは, オムオロウシュベツで,「河口のふさがった越路の川」の意( 歌登町史)というが,オムオロシ・ペツで「川尻がふさがる・そのところの・大きい川」(地名アイヌ語小辞典)とも解され,「越路」の意味は含まれない。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1098 より引用)
町史の引用にとどまらず、独自に内容を評価しているのが素晴らしいですね。町史の説では o-mu-o-ru-us-pet で「河口・塞がっている・そこに・道・ついている・川」と解釈すれば良いのでしょうか。一方で「角川──」の編者による解釈は o-mu-oro-si-pet で「河口・塞がっている・ところの・大きな・川」あたりでしょうか。
更科さんによる考察
この「オムロシュベツ川」について、更科源蔵さんは「アイヌ語地名解」にて次のように記していました。オムロシベツ
歌登町役場や郵便局のある歌登町の中心市街の少し上流で、西北の山地から流れ出て合流する川の名から出て、この流域の部落名になっている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.202 より引用)
あ、確かに 1980 年代の土地利用図には「オムロシュベツ」という地名が記されていますね。なお歌登町が枝幸町と合併したのは 2006 年です。この地名について永田方正氏はルペシュナイで「天塩へ下ル路」と訳している。天塩へ下るは少し無理であるが、山を向こうに越えて行く路の川ということになるから、オム・ルペㇱペなら雄武に越えてゆく路ということになる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.202 より引用)
ふむふむ。ちょうど「雄武」で「オム」と読ませる街が枝幸の隣にあるんですよね。だがこの川で雄武に越えるのも無理なので、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.202 より引用)
ですね。雄武は「オムロシュベツ川」とは完全に逆方向なので、川のネーミングとしてはありえないです。結局川口のふさがる(オム)越路の川というのではないかと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.202 より引用)
ということで、「歌登町史」が「越路の川」という解をひねり出してきたのは、更科さんの説に影響された可能性がありそうな感じです。古い地図との照合
「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると、「ホロヘツ」(北見幌別川)には「ハンケナイ」「ヘンケナイ」「トイシヘツ」「チカフンナイ」「ヲロヒリカナイ」「ルヘシナイ」「ホール」「シノマンホロヘツ」という支流(いずれも西支流)があったように描かれています。現存する川と照合してみると「ハンケナイ」が「パンケナイ川」で、「ホール」が「ポウルンベツ川」である可能性が高いかと思われます。明治時代の「北海道地形図」と照らし合わせてみると、現在と同じ位置に「パンケナイ」と「ペンケナイ」が確認できます。「ペヤマン川」のところに「ペカマッペ」があるのは前述のとおりです。
更科さんは「オムロシベツ」が永田地名解にある「ルペシュナイ」であるとしましたが、「北海道地形図」には現在の「ポウルンベツ川」(岩屋ポウルンベツ川ではない方)の位置に「ルペシュペ」と描かれています。
更に言えば、「岩屋ポウルンベツ川」の位置に「ポロペッ」と描かれています。「岩屋ポウルンベツ川」が「北見幌別川」の本流とされていた(あるいは誤認識されていた)可能性もありそうです。
実は「オコロシペ」じゃ?説
本題に戻りますと、「北海道地形図」と現在の地形図を照合した限りでは、「オムロシュベツ川」の位置に「オコロシペ」という川が描かれているように見えます。「オムロシュベツ」と「オコロシペ」は、似ているようであり、でも違っているようでもあり、判断が難しいですね。まぁ、「コ」を 90 度近く右に回転させると「ム」に似てくるかもしれませんが……。
仮に「オムロシュベツ」の原型が「オコロシペ」だとすれば、……どういう意味でしょうね(汗)。改めて地形図を見てみると、「オムロシュベツ川」はかなり形の良さそうな山の裾野をぐるっと回っていることに気付かされます。
この地形的な特徴から考えてみると、o-kor-us-pet で「河口・持つ・そうである・川」と解釈できたりしないでしょうか。「オムロシュベツ川」は山裾を迂回している関係で、「沖縄ノ沢川」を含めた複数の支流と合流した後で「北見幌別川」に合流しています。
「多くの河口を持つ」と言ったところで(地理院地図では)3 つくらいなのですが、地理院地図で川として描かれていない沢を含めるとそこそこの数になりそうにも見えます。類型があるかと言われると(汗)なのですが……。
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