2019年12月17日火曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (158)「探訪・北海道博物館(鉄分多めの方に編)」

「北海道博物館」の総合展示室(2F)の話題を続けます。今更ですが第 3 テーマ「北海道らしさの秘密」の最初のサブテーマ「自然の恵みとともに」です。

大地に生きる

「はばたく! 北海道ブランド」の次のトピックが「大地に生きる」です。
これは「1898(明治31)年ごろの上川盆地」と題された地図で、バラ色の部分が「市街地」(旭川市街)、水色の部分が「殖民区画地」、藤色の部分が「屯田兵村」、そして黄緑色の部分が「御料地」です。旭川には離宮の建設も予定されていたことが関係するか否かは不明ですが、御料地、結構な大きさですよね……。
そして近文のあたりに黄色いエリアがあることにお気づきでしょうか。凡例には「北海道庁がアイヌ民族を集めて農業をさせようとしたところ」とあります。幕末には旭川から永山にかけて、また忠別川沿いにもアイヌのコタンが点在していましたが、アイヌは道庁によって近文の一帯に押し込められることになります。これが本当の道庁圧力でしょうか(字が違います)。

水と生きる(違)

「大地に生きる」の次が「海に生きる」です。
そして「海に生きる」の次が「山に生きる」でした。「黒いダイヤの時代」と題されたパネルが展示されていました。
パネルの横には「昭和10年代ごとの切羽のようす」が再現されていました。なかなかのリアリティですが、服が綺麗すぎるような気も……?
「石炭産業のあゆみ」と題されたパネルですが、ちょっと興味深いグラフがありました。「資本別にみた石炭生産業の推移」と題されたもので、1910 年ごろは道内の石炭生産量の 2/3 程度を財閥系の炭鉱が占めていました。
ところがわずか 20 年後の 1930 年には総生産量の 96.3 % を財閥系の炭鉱が占めてしまいます。説明文によると、筑豊炭田で財を成した財閥系炭鉱資本が北海道に進出した結果とのこと。

鉄分多めの方に

坑道内でトロッコを動かすのに使われたと思われる「蓄電池機関車」が展示されていました。まるで機関車のミニチュアのようにも見えますが、坑道内で使用するにはこのサイズが目一杯だったのでしょうね。
そしてこちらの蒸気機関車は……これはミニチュアですよね。
「海に生きる」「山に生きる」の次は「道をつなぐ」と題されたトピックです。カラフルな「義経号」の模型が飾られています。
さっきの蒸気機関車の模型は、「義経号」「開拓使号客車」の模型の手前に飾られていました。

明治時代から昭和のはじめにかけての鉄道網

9600 型蒸気機関車の模型の前には、「明治時代から昭和のはじめにかけての鉄道網」という図がありました。国鉄最盛期の地図ではないので、たとえば「羽幌線」が開通前だったり、今の「石北本線」も一部未開通だったりします。
あと「札沼線」が影も形もないのが面白いですね(この後「部分開業」「全通」「一部休止」「全線復活」「一部廃止」と一進一退が続くことになるのですが)。
ところでこの「思鹿」、小平町鬼鹿のあたりのような気がするのですが……(汗)。

このキマロキはいつか見たキマロキ

それはそうと、この 9600 型蒸気機関車の模型、後位に何やら妙な車両が……
あっ……これは……っ!
やはり! 名寄で見かけた「キマロキ編成」の模型だったんですね!
名寄で「キマロキ編成」を見たのは、実はこの前日の話なんですが、なんか随分と昔の話のような……(ネタを引っ張りすぎなのが良くないのでは)。

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