2019年11月24日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (680) 「知良志内川・ペンチリンナイ川・オカオナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

知良志内川(ちらしない──)

chiray-ot-nay
イトウ・多くいる・川
chiray-us-nay
イトウ・いる・川

(典拠あり・類型多数)
中川町佐久の東、中川町富和(とみわ)の西で天塩川に合流する南支流の名前です。早速ですが「天之穂日誌」には次のように記されていました。

右の方小川。是則チライ多きよし。依て
     チライウツナイ
と云よし。前に島一ツ有。枝川は左りの方を通る。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.498 より引用)
「チライ」は魚の「イトウ」のことですが、「ウツナイ」(肋川、あるいは川の浅瀬)というのはなんとも変な感じがします。

ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」には「チライヲツナイ」という名前で描かれていました。なるほど、これなら chiray-ot-nay で「イトウ・多くいる・川」と解釈できますね。

明治時代の「北海道地形図」には、「チラッナイ」と言う名前で描かれていました。「チライヲツナイ」がリエゾンしたとしたなら「チラヨッナイ」になりそうですが、それが更に「チラッナイ」になった、ということでしょうか。

そしてお約束のように「ッ」が「ㇱ」と取り違えられて「知良志内川」になった……とも考えられそうですが、更科源蔵さんはもう一つの可能性を示唆していました。

 知良志内川(ちらしないがわ)
 天塩川の小支流。チライ・ウㇱ・ナイでいとうの沢山いる川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.176 より引用)
あ、なるほど。「天之穂日誌」の「チライウツナイ」が chiray-us-nay で「イトウ・いる・川」の誤記じゃないか、という可能性も考えらますね。いずれにせよ「シ」と「ツ」は互いに誤記される運命にある、ということなのかもしれません。

ペンチリンナイ川

penke-kun-nay??1
川上側の・影・川
penke-kunne-nay??1
川上側の・黒い・川
penke-hattar??2
川上側の・淵

(??1 = 典拠なし、類型あり)(??2 = 典拠あるが疑わしい、類型あり)
中川町と音威子府村の境を流れる川の名前です(地理院地図を見た限りではギリギリ音威子府村側を流れているようにも見えます)。かつて国鉄宗谷本線に「神路駅」という駅がありましたが、その東側にあたります。

OpenStreetMap などでは「ペンチリンナイ川」と記されていますが、地理院地図では「ペンチクンナイ川」となっています。

どちらが本来の形に近いのだろう……と思って「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみたのですが、「イカシマナイ」「ハンケハツタラ」「ハンケチホシユ」「ヘンケハツタラ」「ヘンケハツタラ」「ヘンケチホシユ」などの川が描かれているものの、「ペンチリンナイ」または「ペンチクンナイ」に近い川があるかと言われると、うーん……という感じです。

「天之穂日誌」にも概ね同じような記録がありました。

扨、是より此者え土産等遣し一同に棹さし上るに、午巳辰の三位をおもに指、水勢はいよいよ急になるを、水早き処は縄にて引上せ等して行に、
     バンケヲホウシユ
右の方小川。同しく屈曲蜿転たる処を行に、
     バンケハツタリ
     ヘンケヲホウシユ
右の方小川。急流にして下は大磐岩。小し行て両方山
     トンタセシユケ
     へンケハツタリ
両岸峨々たる高山、少し行て左転太石浜有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.500-501 より引用)
明治時代の「北海道地形図」には、「ペチクンナイ」と読めそうな川が描かれていました。「チ」は「子」のようにも見えますが、果たして……。

「ペンチリンナイ川」が「ペンケクンナイ」なのであれば、penke-kun-nay で「川上側の・影・川」と解釈できるかもしれません(kunkur の音韻変化)。あるいは penke-kunne-nay であれば「川上側の・黒い・川」ということになります。音威子府は蕎麦も黒いのでちょうどいいですね(違う、そうじゃない)。

また、「ペンチリンナイ川」を「天之穂日誌」の記録の中に求めるとすれば、「ヘンケハツタリ」になるのかなぁ……と思っています。これだと penke-hattar で「川上側の・淵」ということになりますね。

「ヘンケヲホウシユ」の可能性は無いのか……という話も出てきますが、明治時代の「北海道地形図」を見ると、天塩川の南側を流れる川(現在は国道の「富和トンネル」の東西をそれぞれ流れています)が「ペンケヨポㇱュナイ」「パンケヨポㇱュナイ」であると描かれていました(「ヲ」が「ヨ」に化けた可能性がありそうです)。

これは「天之穂日誌」の記録に誤りがあった可能性も示唆していますし、またこのあたりの川名が「天之穂日誌」を底本にしていない、という可能性も出てきます。そうなると「ペンケクンナイ川」が「ペンケハッタリ」だった可能性も下がるかもしれないなぁ……と思わせます。

オカオナイ川

ukaw-nay
石が重なりあっているところ・川

(典拠あり、類型あり)
中川町と音威子府村の境界は、天塩川の北側では「ペンチリンナイ川」ですが、天塩川の南側は若干東寄りを流れる「オカオナイ川」です。

大変ありがたいことに、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヲカウ」をいう川が描かれていますし、明治時代の「北海道地形図」にも「オカオナイ」という名前で描かれています。

NHK 北海道本部編の「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 オカオナイ沢 天塩川左岸の音威子府村との境をする小川ある沢。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.366 より引用)※ 原文ママ

あちゃー……。久々に出ましたね伝家の宝刀が。

気を取り直して。「天之穂日誌」には次のように記されていました。

またしばし行て、右の方
     ヲカウ
小川有。其両岸峨々たる山。処々大磐の瀬有てはまた渕有。段々になりたり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.501 より引用)
断言こそされていませんが、ukaw-nay で「石が重なりあっているところ・川」と考えていいのではないでしょうか。

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