2019年10月31日木曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (131)「元江別、実は今でも元江別」

道道 128 号「札幌北広島環状線」で北広島に向かいます。道央道・江別西 IC に向かう道道 110 号「江別インター線」と合流して、ここからしばらくは道道 110 号を走ることになります。
道内では「元○○」という地名を良く見かけます。場所請負制度における「場所」の移転などで地名そのものがお引越ししたケースが少なからずありますが、「元江別」の場合は単に古くからの市街地という意味なのでしょうね、たぶん。
道道 110 号を南東に走ること数分で、国道 12 号との十字路が見えてきました。左折すると江別駅方面、右折すると野幌方面です。

道道 46 号「江別恵庭線」

直進すると、今度は道道 46 号「江別恵庭線」に変わります(道道 128 号「札幌北広島環状線」との重複区間……だと思います)。跨線橋の坂を登って、JR 函館本線を越えることになります。
「鉄西線」というネーミングにちょっと興味を惹かれたのですが、単に JR 函館本線の西側を並行する道路だったようです。
跨線橋で JR を越えて、上江別のあたりにやってきました。道内では時折めちゃくちゃ立派なお寺のような建物を目にすることがありますが、ここは……普通にお寺でした。随分と立派な建物であることは間違いありません。

野幌森林公園の東側には

上江別のあたりで市街地は終わり、田園地帯の中を走ることになります。江別の場合、JR よりも海側が栄えているのですが、これには地理的な理由がありそうですね。
道央自動車道の下をくぐって南に向かいます。ここは道央道・野幌 PA のやや東のあたりです。
前方に交叉点が見えてきました。道道 46 号自体が南西に向きを変えているので、右折すると北西に向かうことになります。まっすぐ札幌に向かう道路が無いのは、手前に広大な「野幌森林公園」が存在するためで、江別の市街地が JR よりも海側に開けているのも同じ理由だと思われます。
野幌森林公園の東側には文化施設を集中して配置したようで、「北海道立野幌総合運動公園」や「江別市森林キャンプ場」などがあります。また「江別市セラミックアートセンター」や「江別市陶芸の里」という施設もあるようで、このあたりは陶芸に良い土が出る、ということなのでしょうか。

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2019年10月30日水曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (130)「新石狩大橋」

見るからに「高規格道路です!」という雰囲気がプンプンする国道 337 号には目もくれず、そのまま直進して江別市に入ります。
当別町の東隣に「新篠津村」があります。ちなみにこの新篠津村、国道も高速道路も鉄道も通っていない、道内でも珍しい自治体のひとつです(珍しい……と言いつつ、あと 9 市町村もあるのですが)。
それはそうと、この「新しのつ村」の看板、なかなか格好いいですよね。

新石狩大橋

前方に「新石狩大橋」が見えてきました。
国道 275 号は石狩川の北西側を通っているので、石狩川の南側にある札幌市に向かうには、必ずどこかで川を渡る必要があります。夕張川と合流した後の石狩川はかなりの大河になっていることもあり、新石狩大橋から下流側には、道路橋はあと二つしかありません。「新石狩大橋」も、ご覧の通りなかなか立派なものです。
渋滞に巻き込まれてしまったので、左右の様子でも。左側(上流側)は一面の濁流が広がります。雨も降ってましたからね……。
右側(下流側)も似たようなもので、もう海の一歩手前と言った感じでしょうか(距離はともかく、水量や水深などが)。

幻の「国道 337 号」

橋を渡った先に交叉点があるのですが、……あれ、左折した先の道路が国道 337 号(例の高規格道路と同じ)になっていますね。旧道も健在ということなんでしょうか。
「新石狩大橋」は片側一車線でしたが、橋を渡った先で片側二車線道路に戻りました。なるほど、「新石狩大橋」で自然渋滞が発生するわけです。
直進すると札幌市……ですが、この日のゴールはお隣の「北広島市」です。ということで、カーナビの言うとおりに左折してみました。
道路脇には、番号が隠れてしまっていますが「札幌北広島環状線」と記されたヘキサが見えます。なぁんだ、やはりこの道はもう国道ではなく、道道 128 号だったのですね。
このあたりの道道 128 号は、中央分離帯の無い片側二車線道路という、工場団地とかに多そうな構造の道路です。

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2019年10月29日火曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (129)「馬肉のジンギスカン」

石狩当別駅の南側を東西に伸びる「中央通」にやってきました。前方の交叉点で駅前通りと交叉します。
ちなみに結構な逆光でして、補正しないとこんな感じです。まぁ何が映っているかは十分わかるレベルではありますが……。

駅前通り

石狩当別駅の駅前通りにやってきました。舗装も綺麗ですし道の左右には花壇まで。すんごく整備が行き届いた感があって素晴らしいですね。左側に見える 5 階建ての建物はビジネスホテルのようです。
前方に、当別川にかかる「当別大橋」が見えてきました。この当別川は戦後(だと思う)に開削された新川で、かつての当別川は当別神社の南の「阿蘇公園」のあたりを流れていたようです。流路変更により現在は川の北側となっていますが、ここは元々は川の南側で、「江当軌道」という軽便鉄道の終点が、おそらくこの右あたりにあったと思われます。

久しぶりの……

橋を渡った先で国道 275 号と合流します。直進すると札幌に、左折すると月形に向かうことになります。
久しぶりの国道 275 号ですね(新十津川で国道 451 号に入って以来)。
札幌まで 23 km(東区東雁来町まで 19 km)と出ています。札幌まであと少しですが、よく考えたらこの日のゴールは札幌じゃ無かったんですよね……。

既成概念を覆す

当別町対雁というところにやってきました。お隣の江別市にも「対雁」があるのですが、両者の距離はそこそこ離れています。「対雁」は一度読み方を知ってしまえば簡単に読めるようになる地名……でしょうか(「ついしかり」と読みます)。
ジンギスカンと言えば羊肉……と思っていたのですが、馬肉のジンギスカンもあるのでしょうか。北海道は「豚肉の焼き鳥」があるくらいなので、何があっても驚いてはいけないのですが……。
左右が開けると同時に、前方に高速道路のような高架道路が見えてきました。この高規格道路は国道 337 号で、いつかは千歳空港まで繋がる……のでしょうか。

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2019年10月28日月曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (128)「小学校の前の押ボタン信号」

道道 28 号「当別浜益港線」を南に向かいます。左側に駐車場が見えてきました。
どうやら、ここが「当別ダム」のようですね。「道民の森」には負けるかもしれませんが、立派な標石も用意されています。
車を停めてダム周辺を散策……しても良かったのですが、手を抜いて社内からダム堤の写真を(手抜きですいません)。
またしても後続車がいないのを良いことに本線上からも一枚。勢いはそれほどでは無いものの、絶賛放水中でした。

山の上の航空自衛隊

当別ダムから坂を下って川沿いの平野部に降りてきました。気持ちのいいまっすぐな道ですが、こういう場所に限ってめちゃくちゃ飛ばす車がいるんですよね……。
この右折して 3 km ほど山を登ったところに航空自衛隊当別分屯基地があるようです。基地は阿蘇岩山の北東の山上にある……ということは、レーダーや無線の傍受を担当する基地でしょうか。

当別町立弁華別小学校

更に南下して「弁華別」というところにやってきました。「弁華別」は「べんげべつ」ではなく「べんけべつ」だったんですね。
あっ、この信号は……。毎度おなじみ「小学校の前の押ボタン信号」のようです。左側に校門も見えていますが、この「当別町立弁華別小学校」、なんと 2016 年 3 月で閉校になってしまったとのこと。2015 年は弁華別小学校の最後の夏だったんですね。
なお、「小学校の前の押ボタン信号」のあるところは制限速度が低めに設定されていることが多いので、どうぞ安全運転で。

左折がオススメ

道道 28 号はこの先の交叉点で左折とのこと。直進すると当別の市街に向かうようですが、矢印が細く描かれています。なるべく左折して道道(バイパスなんでしょうね)に回ってほしいという意図が見て取れる青看板です。
でもまぁ、街の様子を確かめるにはバイパスよりも旧道ですよね。この道は当別神社への参道でもあるのか、道路の左右に幟が見えます。
速度制限はついに 30 km/h まで下がりました。前方に JR 学園都市線(札沼線)の踏切も見えます。

当別町立当別小学校

踏切を渡った先に派手なカラーリングの建物が見えてきました。どうやらこの建物が「当別町立当別小学校」のようですね。
この押ボタン信号も「小学校の前の押ボタン信号」でしょうか。

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2019年10月27日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (673) 「ペンケビラ・辰子丑・コクネップ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ペンケビラ

penke-pira
川上側の・崖
(典拠あり、類型あり)
天塩町雄信内から国道 40 号で東に向かうと「雄信内トンネル」を通ります。実際に現地を走ってみると、峠があるわけでもないのに何故トンネルが……と思えるのですが、雄信内トンネルの東側は 6~70 m ほどの高さの崖になっていて、すぐ隣は天塩川という、人の行く手を阻むような地形だったのでした。なるほど、これはトンネルでバイパスするのが正解だわなぁ……と納得できる地形です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハンケヒラヲマイ」という川と「ヘンケヒラヲマイ」という川がそれぞれ描かれています。

「天之穂日誌」には、この一帯のことが随分と詳しく記載されていました(それだけ通行上のインパクトがあるということなんでしょうね)。

扨是より辰の方に向て、平山の間をを行こと凡一里にて左右高山。其根にビラ有。上は皆椴・落葉松計也。則是を
     ハンケビラ
と云なり。過てしばし寅の方に向て行や、此山の麓に小川有。
     ヒラヲマナイ
と云なり。また七八丁平山の間行て、又右の方高山赤土崩。
     ベンケヒラ
     ヘンケヒラパヲマナイ
小川なり。右二ツとも滝川に成て落る。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.486 より引用)
地形図で「雄信内トンネル」のあたりを見てみると、トンネルの真上に川が流れています。この川が「ヒラオマナイ」(pira-oma-nay)でしょうか。

また、「ヘンケヒラパヲマナイ」に相当する川も現存しているように見えます。「ヘンケヒラパヲマナイ」は penke-pira-pa-oma-nay で「川上側の・崖・かみ・そこに入る・川」ですが、より正確には {penke-pira} で固有名詞と捉えるべきなのでしょうね。

散々引っ張りましたが、「ペンケビラ」の意味は明瞭で、penke-pira で「川上側の・崖」だと考えて良さそうです。

辰子丑(たつねうし)

{tat-ni}-us-i
{樺の木}・多くある・ところ
(典拠あり、類型あり)
天塩町東部の地名で、カタカナで「タツネウシ」と表記する場合もあるようです。それにしても「辰子丑」という当て字は傑作ですね。方位のようにも思えますが、「辰」は東南東、「子」は北で「丑」は北北東なので、「辰子丑」という方角は存在しない……筈です。

面白いことに、この「タツネウシ」は「東西蝦夷山川地理取調図」や「天之穂日誌」に記載が見当たりません。

幸いなことに、更科さんの「アイヌ語地名解」に記載がありました。

ここの地名についても、これまでだれもふれていない。タツネウㇱはタッニ・ウㇱで樺の木のたくさんあるところという意味である。樺の木の皮は昔の生活に大事なものだった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.177 より引用)
あー、やはりそう考えるのが自然ですよね。{tat-ni}-us-i で「{樺の木}・多くある・ところ」と見ていいかと思います。

コクネップ川

kot-kunne-p?
窪地・黒い・もの
(典拠あり、類型あり)
天塩町と中川町の境界を流れる川の名前です。川の西側には「天塩町下コクネップ」や「天塩町下国根府」などの地名が見られます。また川の東側は「中川町国府」という地名ですが、これも「国根府」から来ているのでしょうね。一見アイヌ語に由来するようには見えないけれど、元を辿ればアイヌ語由来……という地名もちょくちょくあって、なかなか楽しいものです。

この「コクネップ川」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき名前の川が見当たりません。「天之穂日誌」にも見当たらないように思えます。

幸いなことに、山田秀三さんの「北海道の地名」に記載がありましたので、見ておきましょうか。

コクネップ川
 国鉄問寒別駅の対岸を少し溯った処で天塩川に注ぐ西支流の名。明治の 5 万分図等には出ている名であるが,松浦氏天塩日誌にはその名が書かれていない。永田地名解もこれを書いていない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.141 より引用)
そうなんですよねぇ。

珍しい形の名なので語義不明。コッ・ネ・プ「kot-ne-p 窪地・になっている・もの(川,処)」か?
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.141 より引用)
なるほど、kot-ne-p で「窪地・のような・もの」と考えたのですね。ただこの解だと、「コクネップ」の「ク」が出てこないようにも思えます。

また、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも次のように記載されていました。

わずかに明治三十一年の五万分の地図に、中川村との境の川の名にコックネプと記入されている。それが現在の五万分では、コックネプ川となっているが、この小川の名が字名になったので、おそらくコッ・クンネ・プが、その原名かと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.177 より引用)
ふむふむ。更科さんは kot-kunne-p で「窪地・黒い・もの」ではないかと考えたのですね。

「角川──」(略──)には、中川町国府の項に次のように記されていました。

地名は,天塩町との境界を流れるコクネップ川から付けられたもので,アイヌは「泥炭地特有の黒い水が川に流れ込み,また上流からも鉄分を含んだ水が浸透し,しかも普通のときは水が涸れて少ないところからコクネップと呼んでいた」という(中川町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.548 より引用)
「コクネップ」が「水が涸れて少ない」とする考え方ですが、更科さんによると kot は「窪み」「窪地」以外に「涸れ沢」という解釈もできるとのこと。故に kot-kunne-p で「水の涸れた・黒い・もの」ではないか、ということですね。

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「コクネップ川」を遡ったあたりに「クン子シリ」という山が描かれています。「コクネップ川」は山(クン子シリ?)の奥深くまで食い込んだ川であり、幅広の谷が伸びているのが特徴的に思えます。この特徴からは、やはり kot-kunne-p で「窪地・黒い・もの」と考えてしまって良いのではないでしょうか。

ちなみに「クン子シリ」は「一面に松の生い茂った山」で、遠目に黒く見えたからとのこと。「コクネップ川」はそんな山の奥深くまで切り込んだ「窪み」なので、kot-kunne-p と呼んだのではないか……と考えました。

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2019年10月26日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (672) 「産士・雄信内・男能富」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

産士(うぶし)

hup-us-i
トド松・多くある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
天塩町北部、国道 40 号沿いの地名です。カタカナで「ウブシ」と表記する流儀もあるようです。

「東西蝦夷山川地理取調図」には、天塩川の西支流として「ヘンケウフシ」が、また東支流として「ハンケフフシ」という川がそれぞれ描かれていました。「ペンケ」と「パンケ」が川の左右に存在するのは割と珍しいような気もします(通常は同サイドの上流側・下流側で並んでいることが多い)。

「天之穂日誌」には次のように記されていました。

過て
     ウフシテ
左りの方小川、惣て此辺遅流。針位多く丑寅向に成る也。
     ベンケウフシテ
右の方小川有。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.482-483 より引用)
「左りの方」がアイヌの流儀(川下から川上に向かって右・左とする)で記されているのであれば、この記載は「東西蝦夷山川地理取調図」とも一致します。問題は最後の「テ」で、これを一体どう解したらいいものか……。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。

 ウブシ(産土)
 天塩川の上流上幌延の対岸の天塩町の字名。現在産士の字をあて、中産士、東産士などと書いているが、ウブシの語源を解けるような地名が古いどの記録にも見当たらない。おそらくフㇷ゚・ウㇱがフプシとなったものと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.177 より引用)
あー、これは全く同感です。hup-us-i で「トド松・多くある・もの(川)」と考えるのが妥当かと思われます。ついでに言えば、現在「東産士」や「北産士」、「中産士」と言った集落のあるところは、かつては広大な湿地帯だったと考えられます。本来の「ウブシ」は「円山ウブシ川」を遡った先にある、現在「西産士」と呼ばれるあたりの地名であり、川名だったのでしょうね。

フㇷ゚はトド松のことで、トド松の沢山あるところをフプシという。阿寒湖畔のフプシヌプリ(トド松のある山)支笏湖畔の不風死岳(フプシヌプリ)と同じトドの密林についた名称であると思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.177 より引用)
概ね同感です。ただ、以前から少し気になっているのが、hup には「おでき」という意味もあるのです。たとえば山の上から見て「おでき」のように見えるものが多数あるのであれば、それを hup-us-i と呼んだとしても不思議はないように思えるのですね。

おそらく、多くの場合は「トド松」の森が「おでき」のように見えたのではないか……と思ったりもします。ですので「トド松・多くある・もの」という解釈がひっくり返ることはまず無いのでしょうけど、極稀に例外があるかもしれないなぁ……という独り言でした(すいません)。

雄信内(おのぶない)

o-nup-un-nay
河口・原野・ある・川
(典拠あり、類型あり)
天塩町東部の地名です。字が同じで「おのっぷない」と呼ぶ駅が川向うの宗谷線にありますが、駅が存在するのは幌延町です。品川区にある目黒駅のような感じでしょうか。

同名の川が南から北に流れていて、雄信内(集落)のあたりで天塩川に注いでいます。天塩町内を流れる川の中では、(天塩川を除けば)一番長い川かもしれません。

駅名ですので、まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょう。

  雄信内(おのっぷない)
所在地 (天塩国) 天塩郡幌延町
開 駅 大正 14 年 7 月 20 日
起 源 アイヌ語の「オ・ヌㇷ゚・ウン・ナイ」(川尻に原野のある川)が、「オヌプナイ」となり、それに漢字を当てたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.180 より引用)
o-nup-un-nay で「河口・原野・ある・川」だと言うのですが、疑問を差し挟む余地の無さそうな、妥当な解かと思います。

面白いのは、「東西蝦夷山川地理取調図」や「天之穂日誌」には、いずれも「ヲヌフナイ」と記録されているところです。「北海道駅名の起源」では「誰か」が -un を足していることになるのですが、もしかしたら知里さんでしょうかねぇ……?(略された -us-un を「取り戻す」ケースが多かったので)

男能富(だんのっぷ)

tanne-pet??
長い・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
雄信内川の西支流「二十三号川」を遡ったあたりの地名です。「雄信内」が「おのぶない」(あるいは「おのっぷない」)なのに「男能富」は「だんのっぷ」というのも、なかなか難易度が高いような……(「男能富」も「おのっぷ」と読めそうじゃないですか)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲヌフナイ」の支流として「クリキンナイ」という川が描かれています。果てしない夢を追い続ける系の川名のようにも思えますが(思えません)、これが「二十三号川」に相当するかどうかは不明です。個人的には違うんじゃないかな、と感じています。

「天之穂日誌」にも「クリキニンナイ」という川の存在が記録されていますが、どうやらこの一節は「問寒別川」の支流の情報と完全に取り違えている(逆になっている)ようなので、「クリキンナイ」も問寒別川の支流だった可能性が高そうです。

本題に戻りますと、「男能富」については何の手がかりも得られていません(汗)。「ダンノップ」という読みと「二十三号川」の特徴から想像するならば、tanne-pet で「長い・川」あたりでしょうか。雄信内川には膨大な数の支流がありますが、その中でも「二十三号川」の長さはトップクラスに見えるので、そのことを「長い川」と呼んだのではないか……という仮説です。

ややこしいことに、「男能富川」という川が「二十三号川」の西支流として存在します。ただ、本来の「ダンノップ」は「二十三号川」のことで、現在「男能富川」と呼んでいるのは「男能富集落で二十三号川に合流する支流」という意味だろう(地名ありきの川名)と想像しています。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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2019年10月25日金曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (127)「季節のない街に生まれ」

「当別ふくろう湖」沿いの道道 28 号「当別浜益港線」を南に向かいます。前方に「川崎橋」という名前の橋が見えてきました。
ちなみにこの「川崎橋」、2014 年に撮影されたストリートビューでは……


標識があらぬ方を向いていましたが、一年後には直っていた、ということになるんですね。

青い空 白い雲

そして、ほどなく「当別ふくろう湖」を一気に渡る「望郷橋」に差し掛かります。
この「望郷橋」は、カーブをなるべく緩くするために、橋の前後が緩やかに曲がっています。おかげで減速すること無く快適に走行できます。
……などと言いながら、後続車の無いことを確認してから、ほんの一瞬停車して「当別ふくろう湖」の写真を。

願い事ひとつだけ

「望郷橋」で「当別ふくろう湖」の西側に渡ってからは、すぐに支流の「小松の沢川」にかかる「小松の沢橋」を渡ります。「望郷橋」以外はかなりストレートなネーミングが多い印象がありますね。
「小松の沢橋」は、最初から最後まで、きれいな左カーブを描く橋です。昔は橋と言えば直線のものが多かったですが、今はカーブした橋も普通になってきましたね。
ダム湖沿いの道なのでどうしてもカーブが多いですが、減速が必要になりそうな深いカーブは無いのが助かります。

風のない丘に育ち

「ストレートなネーミングが多い」と書きましたが、前方に「青山冬橋」という名前の橋が見えてきました。
そしてすぐさま「青山秋橋」が。橋の名前に春夏秋冬を忍ばせるというのは国道 276 号あたりでも見ましたが、まさかここも……?
などと考えを巡らせているうちに、あっさりと「青山夏橋」と「青山春橋」が見えてきました。
この畳み掛ける感じは、まるで「寿司! 鳥! 風呂! 寝ろ!」を彷彿とさせますね(それはどうかと)。

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