2019年10月27日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (673) 「ペンケビラ・辰子丑・コクネップ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ペンケビラ

penke-pira
川上側の・崖
(典拠あり、類型あり)
天塩町雄信内から国道 40 号で東に向かうと「雄信内トンネル」を通ります。実際に現地を走ってみると、峠があるわけでもないのに何故トンネルが……と思えるのですが、雄信内トンネルの東側は 6~70 m ほどの高さの崖になっていて、すぐ隣は天塩川という、人の行く手を阻むような地形だったのでした。なるほど、これはトンネルでバイパスするのが正解だわなぁ……と納得できる地形です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハンケヒラヲマイ」という川と「ヘンケヒラヲマイ」という川がそれぞれ描かれています。

「天之穂日誌」には、この一帯のことが随分と詳しく記載されていました(それだけ通行上のインパクトがあるということなんでしょうね)。

扨是より辰の方に向て、平山の間をを行こと凡一里にて左右高山。其根にビラ有。上は皆椴・落葉松計也。則是を
     ハンケビラ
と云なり。過てしばし寅の方に向て行や、此山の麓に小川有。
     ヒラヲマナイ
と云なり。また七八丁平山の間行て、又右の方高山赤土崩。
     ベンケヒラ
     ヘンケヒラパヲマナイ
小川なり。右二ツとも滝川に成て落る。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.486 より引用)
地形図で「雄信内トンネル」のあたりを見てみると、トンネルの真上に川が流れています。この川が「ヒラオマナイ」(pira-oma-nay)でしょうか。

また、「ヘンケヒラパヲマナイ」に相当する川も現存しているように見えます。「ヘンケヒラパヲマナイ」は penke-pira-pa-oma-nay で「川上側の・崖・かみ・そこに入る・川」ですが、より正確には {penke-pira} で固有名詞と捉えるべきなのでしょうね。

散々引っ張りましたが、「ペンケビラ」の意味は明瞭で、penke-pira で「川上側の・崖」だと考えて良さそうです。

辰子丑(たつねうし)

{tat-ni}-us-i
{樺の木}・多くある・ところ
(典拠あり、類型あり)
天塩町東部の地名で、カタカナで「タツネウシ」と表記する場合もあるようです。それにしても「辰子丑」という当て字は傑作ですね。方位のようにも思えますが、「辰」は東南東、「子」は北で「丑」は北北東なので、「辰子丑」という方角は存在しない……筈です。

面白いことに、この「タツネウシ」は「東西蝦夷山川地理取調図」や「天之穂日誌」に記載が見当たりません。

幸いなことに、更科さんの「アイヌ語地名解」に記載がありました。

ここの地名についても、これまでだれもふれていない。タツネウㇱはタッニ・ウㇱで樺の木のたくさんあるところという意味である。樺の木の皮は昔の生活に大事なものだった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.177 より引用)
あー、やはりそう考えるのが自然ですよね。{tat-ni}-us-i で「{樺の木}・多くある・ところ」と見ていいかと思います。

コクネップ川

kot-kunne-p?
窪地・黒い・もの
(典拠あり、類型あり)
天塩町と中川町の境界を流れる川の名前です。川の西側には「天塩町下コクネップ」や「天塩町下国根府」などの地名が見られます。また川の東側は「中川町国府」という地名ですが、これも「国根府」から来ているのでしょうね。一見アイヌ語に由来するようには見えないけれど、元を辿ればアイヌ語由来……という地名もちょくちょくあって、なかなか楽しいものです。

この「コクネップ川」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき名前の川が見当たりません。「天之穂日誌」にも見当たらないように思えます。

幸いなことに、山田秀三さんの「北海道の地名」に記載がありましたので、見ておきましょうか。

コクネップ川
 国鉄問寒別駅の対岸を少し溯った処で天塩川に注ぐ西支流の名。明治の 5 万分図等には出ている名であるが,松浦氏天塩日誌にはその名が書かれていない。永田地名解もこれを書いていない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.141 より引用)
そうなんですよねぇ。

珍しい形の名なので語義不明。コッ・ネ・プ「kot-ne-p 窪地・になっている・もの(川,処)」か?
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.141 より引用)
なるほど、kot-ne-p で「窪地・のような・もの」と考えたのですね。ただこの解だと、「コクネップ」の「ク」が出てこないようにも思えます。

また、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも次のように記載されていました。

わずかに明治三十一年の五万分の地図に、中川村との境の川の名にコックネプと記入されている。それが現在の五万分では、コックネプ川となっているが、この小川の名が字名になったので、おそらくコッ・クンネ・プが、その原名かと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.177 より引用)
ふむふむ。更科さんは kot-kunne-p で「窪地・黒い・もの」ではないかと考えたのですね。

「角川──」(略──)には、中川町国府の項に次のように記されていました。

地名は,天塩町との境界を流れるコクネップ川から付けられたもので,アイヌは「泥炭地特有の黒い水が川に流れ込み,また上流からも鉄分を含んだ水が浸透し,しかも普通のときは水が涸れて少ないところからコクネップと呼んでいた」という(中川町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.548 より引用)
「コクネップ」が「水が涸れて少ない」とする考え方ですが、更科さんによると kot は「窪み」「窪地」以外に「涸れ沢」という解釈もできるとのこと。故に kot-kunne-p で「水の涸れた・黒い・もの」ではないか、ということですね。

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「コクネップ川」を遡ったあたりに「クン子シリ」という山が描かれています。「コクネップ川」は山(クン子シリ?)の奥深くまで食い込んだ川であり、幅広の谷が伸びているのが特徴的に思えます。この特徴からは、やはり kot-kunne-p で「窪地・黒い・もの」と考えてしまって良いのではないでしょうか。

ちなみに「クン子シリ」は「一面に松の生い茂った山」で、遠目に黒く見えたからとのこと。「コクネップ川」はそんな山の奥深くまで切り込んだ「窪み」なので、kot-kunne-p と呼んだのではないか……と考えました。

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