2019年10月13日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (669) 「ウヘンベツ川・風烈川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ウヘンベツ川

upen-pet??
若い・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
道道 688 号「名寄遠別線」の「豊成橋」の少し先で遠別川に合流する東支流の名前です。上流部でいくつもの支流に枝分かれしているのが特徴的でしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」には該当する位置に川が描かれているように見えますが、残念ながら名前が記されていません。あるいはこの川が「オモシルシベツ川」であると認識していたので、名前を記さなかったのかもしれません(ちょうど図幅の切れ目に描かれていたので)。

「若い・笹・多くある・川」説

「竹四郎廻浦日記」には「ベウレフウタシナイ」と言う名前の川が記録されています。その情報を基に明治時代の「北海道地形図」を見てみると、「ペウレフーイナペッ」と言う川が描かれているように見えます。

「ベウレフウタシナイ」という名前になにか聞き覚えがあったのですが、しばしの逡巡の後、足寄の「フウタツアショロ川」のことだったことに気づきました。あと「ペウレ」は中標津に「ペウレベツ川」がありましたね。

「ベウレフウタシナイ」ですが、素直に読み解くと pewre-huttat-us-nay で「若い・笹・多くある・川」となりそうです。

ただ、服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」によると、húttat は八雲・沙流・帯広などの北海道の南半分で記録された語彙のようで、美幌や旭川、名寄あたりでは urás が使われることが多かったようです。もちろん「アイヌ語方言辞典」の記録が絶対だとは言いませんが、留意すべき点ではないかと思われます。

「若い・肋・肩・ある・川」説

となると「フウタツアショロ川」の項でも私案として記した ut-tap(「肋・肩」)という解釈は成り立たないか……と考えたくなります。「ウヘンベツ川」と「フウタツアショロ川」の地形的な類似性はあまり無いように見えるのですが、改めて見てみると河口部に(川の流れを邪魔するかのような)小山があることに気がつきました。

まず「ウヘンベツ」川ですが、こんな感じです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
続いて「フウタツアショロ川」です。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
このことを ut-tap(「肋・肩」)と呼んだのかな、と思えてきました。従って pewre-ut-tap-us-nay で「若い・肋・肩・ある・川」ではないか、という私案です。

何故「若い」なのか

あと、何故 pewre(若い)なのか……という話です。ウヘンベツ川の南に「ヌプリケシオマップ川」という川が流れているのですが、この川の河口部(ちょい手前)にも、似たような、そしてウヘンベツ川よりも若干立派?な ut-tap がある……ようにも見えるのです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ですので、「ヌプリケシオマップ川」のことを、あるいは onne-ut-tap-us-nay と呼ぶ流儀があったんじゃないかな、と想像してみました。onne は「年老いた」という意味ですので、pewre(「若い」)の対義語として適切だろう、という想像です。ただ、nupuri-kes-oma-p という、より重要度の高いネーミングが別途存在したので、それに取って代わられた……という「想像」です。

ところで「ウヘンベツ」は何処へ

ここまでお読みいただいて、「なんだ『ウヘンベツ』の話はどこ行ったんだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。実は upen で「若い」という意味があるそうで、upen-pet で「若い・川」ということになりそうなのです。

「ベウレフウタシナイ」がいつしか「ペウレフータシペッ」となり、「フータシ」が中略されて「ペウレペッ」となった後に、同義語である「ウペンペッ」と呼ばれるようになったのではないか……と思われるのです。

消えた「ペウレペッ」の行方は……(続く)

風烈川(ふうれつ──?)

pewre-pet??
若い・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
道道 688 号「名寄遠別線」の「豊成橋」と「雪見橋」の間に「平谷橋」という小さな橋がありますが、その下を流れる川の名前が「風烈川」なのだそうです。

地理院地図には河川として描かれているものの、河川名の記載はありません。また、「東西蝦夷山川地理取調図」や「北海道地形図」などにも記載が無く、まったく手がかりが無い……というのが正直なところです。

似たような地名には「風連別」や「風蓮」、あるいは「風烈布」などがありますが、いずれも hure-pet あるいは hure-p で「赤い・川」あるいは「赤い・もの(川)」ではないかと言われています。この「風烈川」も同様に hure-p ではないか……と思ったのですが、良く考えてみると遠別川の向こう側に「ウヘンベツ川」が流れていることに気が付きました。

「ウヘンベツ川」は「ベウレフウタシナイ」が変化に変化を重ねて現在の形に落ち着いた……と思われます。そしてその変化の過程で「ペウレペッ」と認識された時期があったのではないか、と想像しました。

最終的に「ペウレペッ」という名前が「ウペンペッ」に差し替わったことになりますが、「ペウレペッ」は紆余曲折の末に対岸の小河川(=風烈川)の名前になってしまった……という可能性も考えられるのではないか、と思われるのです。

以上のストーリーが成り立つのであれば、「風烈川」は pewre-pet で「若い・川」だった可能性がありそうです。面白いことに、風烈川の河口(遠別川への合流点)にも、流路を捻じ曲げている突起がある……と言えばある、とも言えるのですよね。

つまり、本当は「風烈川」こそが pewre-ut-tap-us-nay で、実はウヘンベツ川は onne-ut-tap-us-nay だった……というコペルニクス転回的な仮説も……

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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