2019年9月14日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (660) 「計那詩川・シリイチ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

計那詩川(けなし──)

panke-kenas-pa-oma-nay
川下側の・川沿いの林野・かみ・そこに入る・川
(典拠あり、類型あり)
羽幌町民スキー場「びゅー」の近くで羽幌川に合流する南支流の名前です。支流ですが、苫前町との境にある「朗音山」(rawne ですかね?)のすぐ近くまで遡る、そこそこ長い川です。

明治時代の「北海道地形図」には、現在の「計那詩川」の位置に「パンケケナシパオマナイ」と記されていました。また「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ハンケケナシハヲマ」という川が描かれているので、どうやら「パンケケナシパオマナイ」を略して「計那詩川」になったと考えて良さそうな感じでしょうか。

西蝦夷日誌には次のように記されていました。

バンケケナシハヲマ、(幷て)ニセケシタアンナイ(共に右川)、向てヲサシトロマフ、(幷て)ヲロウエンハホロ(二股)、此處まで春雪融の時は小舟を遣るに宜しと。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.270 より引用)
あれれ、「バンケ──」はありますが、対になるはずの「ペンケ──」の記載がありませんね。これはどうしたものか……と思ったのですが、「竹四郎廻浦日記」には次のように記載されていました。

並て ハンケナシハヲマナイ、並て ヘンケナシハヲマナイ、また並びてニセケンタアンナイ等右の方也。並び(て)左の方ヲサシトロマツフ、相応の沢なりと。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.510 より引用)
どうやら「西蝦夷日誌」は「ヘンケ──」をうっかり書きそびれた、というのが真相でしょうか。代わりに「竹四郎廻浦日記」には怪しげなフライドチキンを売ってそうな川が出てきますが、これは「ニセケシタアンナイ」の誤字なのでしょうね(nisey-kes-ta-an-nay?)。

ということで、計那詩川は panke-kenas-pa-oma-nay で「川下側の・川沿いの林野・かみ・そこに入る・川」を略したもの、と考えられそうです。

シリイチ沢川

{sirar-chise}-{hapur}-pet?
{岩窟}・{羽幌}・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
羽幌川を遡ると、愛奴沢川、デト二股川(羽幌二股ダムがある)、中二股川などの大きな東支流が続き、更に遡ると「逆川」が合流しています。「シリイチ沢川」は「逆川」の更に上流側で羽幌川に合流する東支流の名前です。

明治時代の「北海道地形図」を見ると、現在の「逆川」のあたりに「シラチセハポロペッ」と記されています。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シラチセハホロ」という川が描かれていて、その近くに「シラリチセ」という断崖?が描かれています。

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

並びて ヲロウエンハホロ越て シラツチシハホロ、此処二股に成、左りの方を上るや シラツチセマウカタアンナイ、此処ウリウの川すじワツカウエンシマウシヘツと行逢居るよし。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.510 より引用)
ということで、どうやら「シラチセハポロペッ」は sirar-chise-{hapur}-pet で「岩・家・{羽幌}・川」と考えられそうです。sirar-chise は「岩・家」ですが、つまりは「岩窟」と考えられそうです。

厳密には「シリイチ沢川」と「シラチセハポロペッ」の位置は異なるのですが、「シリイチ沢川」という名前は「シラチセハポロペッ」に由来するのではないか……ということで、取り上げてみました。無関係だったらすいません。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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